カテゴリー「映画」の記事

2009年11月 1日 (日)

映画「風が強く吹いている」を観て

 今日は映画の日。日曜日と重なったので混雑するかなと、朝の早い目に映画館に向かいましたが、思いの外空いていて、結局開場まで朝マックをして時間をつぶしました。

 「駅伝」と聞くと、たすきを繋ぐという言葉からすでに熱いものを感じてしまいます。一人で走るマラソンとは違い、駅伝の走りには仲間への思いが込められているからです。

 この作品は、個性の全く異なる9人の若者の心を繋いで、一つの「走り」にまで高めていったドラマです。陸上競技にはほとんど素人で、箱根駅伝と言えばテレビで観ることぐらいしか思いつけなかった若者たちを、リーダーのハイジこと清瀬灰二がそれぞれの良さを引き出していく様がいいですね。ハイジは「長距離は才能と努力を天秤にかければ、努力の方に傾く競技だ」と言っていましたが、その努力も「根性」という言葉で強制するのでは決してなく、単調にならず無理をさせずに走らせ続け、少しずつ力をつけさせていくのです。

 それはハイジが一人一人の特性を見抜いて、その特性に応じた練習をプランニングしたり、自信をつける言葉で巧みにやる気にさせたり、そして何よりも、夢を実現しようとするリーダーへの絶大な信頼感があったからこそ、気持ちがひとつになって目標に向かっていけたのだと思いました。

 人間というのは高い目標、良きリーダー、そして強い仲間意識があれば、どんな困難にも打ち勝つことができることを、教えられたような気がします。何のために走るのか、それはより早く走るためではなく、より強い人間になるためであると。さわやかで感動的ないい映画でした。正月にある「箱根駅伝」をまた違う思いで観ることができるかもしれません。
 
 ハイジ役の小出恵介。どんなときも笑顔を絶やさない、そのさわやかな魅力が素晴らしい。スピードを追い求めるランナー・カケル役の林 遣都。映画「バッテリー」で観たときよりも、随分とたくましくなっていました。自信にあふれたいい走りを見せてもらいました。

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2009年10月24日 (土)

映画「沈まぬ太陽」を観て

 今日の公開にあわせて、昨日文庫版の原作・全5巻を読み終えました。主人公・恩地元(おんちはじめ)の苦渋に満ちた人間ドラマを、そして魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する政・官・財の絡みつく人間関係を、どんなふうに映像化するのか、楽しみにしながら映画館に足を運びました。

 しかし映画が始まるとともに目に飛び込んできたのは、そのどちらでもなく、それは1985年8月12日、日航123便御巣鷹山墜落事故でした。原作でも第3巻「御巣鷹山編」として全体のストーリーからは独立的に描かれ、作者・山崎豊子が犠牲者への鎮魂の思いをこめ、また心からの「償い」を見せようとしない上層部への怒りをこめて叙述されています。映画でも明日が来ることを信じて疑うことなく、搭乗前に記念撮影する家族の幸せな姿などが描かれ、冒頭から目頭が熱くなってしまいました。

 固辞していた労働組合の委員長を無理に押しつけられたところから、恩地元の悲劇が始まります。それも平穏にこなしていれば、管理職への足かがりにもなっていたはずなのに、性分としての強い正義感と、与えられた仕事はすべて誠意をもってなしとげようとする律儀さが、私利私欲のためだけに会社を食い物にしようとする輩たちの逆鱗に触れて、海外の僻地勤務に追いやられていくのでした。そして「詫び状を書けば復帰させてやる」という言葉にも乗らず、11年間の流罪にも等しい扱いにもひたすら堪え忍んだというのは、本当に驚くべき「頑固」さと言わざるを得ません。自分の人生のためにも、家族のためにも、どこかでおりあいをつける道はなかったのかと凡人は考えてしまうのですが。
それでも、逆境にありながら常に自分のポストにベストをつくそうとした態度は、立派だと思います。特に遺族に対し誠心誠意をこめてつくす姿は、感動的でした。

 主人公のように報復すら考えず、「組合の仲間を決して裏切ることはできない」と思い詰めている人間は、もう今の社会のどこを探しても存在しないような気がします。それだけに、納得いかないことがあっても、妥協を繰り返しながら生き続けている自分にも、人生のどこかでは「恩地」的な筋を通した生き方が大事かなと思ってしまいました。

 原作にも登場するニューヨーク・ブロンクス動物園に書かれた「世界で最も危険な動物」と言われる人間たちの姿は、原作ほどの「えげつなさ」はありませんでした。経営再建中の日本航空に遠慮したのかもしれませんが。後半は恩地元や行天四郎の露出は原作より多くて、複雑でおどろおどろした人間関係は二人に焦点をあてて整理していたようです。そのため、10分休憩後の後半は迫力に欠けるきらいがあります。
 
 最後の夕陽の中を疾走する場面。「何一つ遮るもののないサバンナの地平線へ黄金の矢を放つアフリカの大きな夕陽は、荘厳な光に満ちあふれている。それは不毛の日々にあった人間の心を慈しみ、明日を約束する沈まぬ太陽であった」というモノローグは、どんな人間の行いも、大自然に比べれば些末なものであるという作者の結局の思いがこめられているようでした。
 
 主人公・恩地元を演じた渡辺謙。会社と家族の間で苦悩する良心ある人間の姿を熱演しておられました。行天の愛人役・三井美樹(原作とは異なる)を演じた松雪泰子、スチュワーデス姿が魅力的でした。

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2009年10月10日 (土)

映画「さまよう刃」を観て

 東野圭吾原作「さまよう刃」映画化作品。出演、寺尾聰・竹野内豊、酒井美紀。

 「さまよう刃」は東野作品の中にあっては、「手紙」と同じく社会派のジャンルに入ると思います。最愛の娘を陵辱されたうえ殺された父親が、法の裁きによることなく、自らの手で加害者に裁きを下すというものです。なぜ父親がこのような行為に走らざるを得なかったのか。それは、加害者が少年であり将来の社会復帰のためには、極刑をもって罪を償わせられないことにありました。しかも何の反省も無く自らの快楽のために、同じような犯罪を繰り返している彼らに対し、殺してしまいたいという感情を抱いてしまうことは主人公のみならずだれしもそうだと思いました。

 僕も二人の娘を持つ同じ父親として、娘を殺されることの悲しみと加害者への憤怒は本当によくわかりました。映画ではそのような父親の姿を、犯人に迫る靴音だけが静かに響くように描いていきます。未来を無くし無念をはらしたいだけの存在になってしまった姿が、よく表現されていたように思います。

 この事件を捜査する刑事が、「警察の仕事は正義の味方か。いや違う。警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとしているのは法律だ」というような言葉を言います。決して復讐は認めることはできないが、法律がすべて正義と言えないのではないかと。

 被害者やその家族の無念を思えば、少年であろうと本当に鬼畜のような犯罪を犯した者へは、厳罰を持って処すべきであるという意見と、あくまで少年の矯正教育や保護のために少年法は必要であるという意見がありますが、もしきょうの映画のような復讐をした父親を裁く裁判に、裁判員として臨んだとすれば自分はどのような正義を持つことができるだろうかと考えてしまいました。

復讐を果たそうとする父親役の寺尾聰。映画「半落ち」でみせたような、感情を抑えた演技がより父親の苦悩と執念をあらわにしていたように思います。刑事役の竹野内豊。警察官でありながら、殺人をおかそうとする者を救おうとしてしまうジレンマがよく伝わってきました。

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2009年9月22日 (火)

映画「カムイ外伝」を観て

 今月は時代劇が数多く公開されていますが、僕自身も「BALLAD」「火天の城」に続きこれで3作目の鑑賞となります。

 白土三平原作の漫画を映画化した作品ですが、同じカムイが登場する「カムイ伝」の方は、中学生のころにむさぼるように読みました。それは支配者に立ち向かう民衆の姿が描かれていたからです。そしてまた、江戸時代の巧妙な差別の仕組みをも学ぶことができました。

 一方テレビアニメにもなった「カムイ外伝」は、厳しい忍者の掟から逃れ、「抜忍」となったカムイの自由を求めた孤独な戦いがテーマになっています。しかしこの映画では、民衆をなぶり楽しむ藩主(佐藤浩市)やその奥方(土屋アンナ)、藩主の愛馬の足を切り落とした漁師(小林薫)、「ひにん」の子ゆえに石つぶてを投げつけられたとき「お前らと同じ血が流れとるんじゃ」と叫ぶカムイ、などの場面に、身分制度の理不尽さを訴えるメッセージが「カムイ伝」同様に込められているように思いました。

 それでもやはり、なんと言ってもこの映画の見せ所は、カムイと執拗な追っ手たちとの息をのむ戦いの場面です。「飯綱落し」や「変移抜刀霞斬り」というカムイの必殺技を初めて実写で見ることができました。どちらもスピード感あふれる特撮で圧倒されました。観ている者の意表をつくような武器の登場させ方や、忍者ならではのその防ぎ方も面白かったです。また、宮藤官九郎の脚本らしく、予想をつかせない展開も見事でした。

 この手の映画では、民衆は農民であることがほとんどのように思いますが、ここでは漁師村が描かれます。階級社会の中にあっては、様々な人々がしいたげられながらも、仲間達と生きていこうとしていた姿があったことを視点を変えて、描いてみせてくれたように思います。ただ最後のこの人達の終わらせ方は、奇をてらい過ぎている感も無きにしもあらずでしたね。 
 
 カムイを演じた松山ケンイチ。フィジカルの強さがよく感じられ、カムイの格好良さをひきたてていました。また次から次へとよくもこれだけと狙われる中で、屈することなく戦い続けるメンタルの強さを見せる一方、漁師家族の団らんを垣間見た時の、さびしそうな表情も孤独なカムイの気持ちが出ていました。

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2009年9月13日 (日)

映画「火天の城」を観て

 「大阪城は誰が建てましたか?」と授業で子どもに聞くと、おどけて「大工さん」と答える子が必ずいます。そんな時「そうじゃなくて、もっと有名な人」と言い直しをさせたりしますが、この映画を観て「そう、その通り大工さん」と子どもの答えも素直に受け取とめてやりたくなりました。

 映画「火天の城」は織田信長の命を受け、安土城を3年で築き上げた男達のドラマ。さしずめ現代で言えば、「プロジェクトX」とか「プロフェッショナル 仕事の流儀」でとりあげられそうな、宮大工の総棟梁・岡部又右衛門とその弟子達の活躍を描きます。

 重機の無い時代に五層七階という「天下一」の城作りに取り組んだ土木技術にも驚かされますが、映画では城作りの過程をドキュメンタリー風に追っていくのではなく、むしろ家族や仲間との葛藤、そして連帯といった人間のありのままの姿を綴ります。特に、田舎大工とさげすまれながらも、京都や奈良の宮大工と渡り合い、信長といえどもこびへつらうことなく、自らの信念を貫き通す岡部又右衛門の強い姿が輝いて見えました。決して妥協を許すことなく、求め得る最高のものを自分自身にも課していこうとする厳しい姿があればこそ、集団の信頼を勝ち取ることができたのだと思いました。「城を組むということは、人を組むということ」という言葉が出てきましたが、いくらカリスマ的な大工であっても、かかわる集団をまとめる力がなければ、壮大なプロジェクトは成功しないということを示唆していたようです。

 また、敵味方や異種の職種を越えて、城作りに心通わせることができたのは、利害損得ではなく、木や石が一番生かすことができる方法を考えようとした職人魂のなせるわざなんでしょうね。それから加えて、戦国時代の大名と大工集団の関係もこの映画を観てよく分かりました。
 
 岡部又右衛門役の西田敏行、誠実さと実行力がスクリーンからよく伝わってきました。その妻役の大竹しのぶ、どんなときも明るく夫を支える姿が胸を打ちました。娘役の福田沙紀、次第に父親を理解していく演技が良かったです。信長役の椎名桔平、スマートなマント姿がやっぱりカッコ良かったです。

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2009年9月 6日 (日)

映画「BALLAD- 名もなき恋のうた」を観て

 クレヨンしんちゃんのアニメ・「 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦」をもとにした実写版。監督は「続always 3丁目の夕日」の山崎貴。
 
 姫とその家臣という身分の差ゆえに、思いを果たし得なかった悲恋にからめ、背を向け逃げてばかりいた現代の父と子が、タイムスリップした戦国時代の非情な合戦の中、ついには勇気をもって立ち向かっていった様を描いていきます。

 セリフもストーリーもアニメ版とほぼ同じなのですが、泣くほど感動したアニメ版ほどには、残念ながら心打つまでには至りませんでした。最大の理由はクレヨンしんちゃんが登場しないといことです。真一という子どもは出てきますが、おばかなことをするわけではなく、ごく普通の気弱な小学生という設定です。アニメ版が感動できたのは、そのしんちゃんや父の野原ひろしが、最後は思いもよらない活躍をしたためです。またタイムスリップにしても、アニメならばアニメのお約束の世界のこととして、納得して観ていられるのですが、実写になるとリアルさや現実さにこだわってしまい、違和感を覚えてしまうのは僕だけでしょうか。

 アニメのシーンには無い、カメラで記念撮影する場面は面白かったのに、あの撮った写真の扱いを工夫するなどすれば、実写版独自の路線も行けたように思います。結論から言えば、アニメ版にこだわらないで現代人など登場させずとも、純粋な戦国時代の物語として描く方がまだすっきりしたかもしれません。美術的には戦国時代の風俗や合戦の有様を忠実に表現していて見応えがありました。
 
 ただ国や愛する人のために必死になって戦ったというのに、歴史にはほとんど何も残らなかったということを知らされた、戦国時代の名も無き人々の思いはどうなのだろうという感想は持つことができました。
 
 侍大将・井尻又兵衛役の草彅剛。鬼と恐れらるほどの使い手ながら、女、子どもにはきわめて弱いというシャイな戦国武士を好演していました。廉姫役の新垣結衣。美しいが気丈でかったつな姫の雰囲気がよく出ていました。エンディングロールで初めて気づいたのですが、斉藤由貴さんが出ておられたのですね。どの役かは観てのお楽しみ。

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2009年8月23日 (日)

映画「南極料理人」を観て

 熊本県在住の生瀬ファンの知人が、是非観たいとブログに書かれていたので、それに触発され僕も今日観てきました。

 昭和基地から1000km離れ、富士山より高い3800mに位置する「ドームふじ基地」。ペンギンすら生息しない氷点下60度の氷と雪だけの世界で暮らす、8人の越冬隊員の物語。

 そう書けば、南極観測のために奮闘する男達の感動的な物語、のように思えますが決してそうではありません。観測の仕事らしいと思えたのは、地下3000mから、コアと呼ばれる100万年前の氷を掘り出す場面くらいで、集められた様々なプロ達の中で唯一プロとしての仕事を果たしていたのは、海上保安庁から派遣された調理担当者だけでした。後はビデオで流れるテレビ体操のモデルさん達のコスチュームにときめいたり、夜はサロンに様変わりする医務室でお酒を飲んだり、なんとか長い孤独な南極の生活を楽しもうとするエピソードがたくさん描かれていくだけです。「パチンコがしたい」、「脱走したい」とか次から次に出てくる本音の告白にも、隊員たちが本当にどこにでもいる人たちと同じで、とても共感を覚えました。

 その中で、みんなの楽しみの一つである食事作りに真剣に打ち込んでいるのが、この映画の主人公です。みんながおいしそうに食べている姿を、幸せそうに眺めるところのまなざしがいいですね。また、食べたいものを聞き、何とかその食材を調達しようとする料理人魂が素晴らしい。缶詰や冷凍食品だけで、よくぞあれほどの料理ができるもんだと感動してしまいました。特にみんなのリクエストで、伊勢エビがエビフライになったシーンは爆笑でした。どんな過酷な場所でも、食べていくことに幸せを感じれば人間は何とか生きていけるということでしょうか。ストーリーとは関係ありませんが、舎内のあちこちで張られていた「1分=740円、長電話は身の破滅」などといったたくさんの注意書きがおもしろく、食事、排泄、水の確保など、南極での生活にこだわった人間くさい映画になっていました。
 
 几帳面でいて料理にこだわる「南極料理人」役を堺雅人が、手さばきも堂に入った演技で秀逸でした。特にあの笑顔が印象深いです。また科学者らしくない寂しげでおとぼけな雰囲気を、生瀬勝久が好演していました。そのほか身分の隔てもない裸の男達のキャラを、個性的な役者がそれぞれ演じていて、ユニークな作品に仕上がっていました。沖田監督は、セリフよりも間や表情を大事にして、役者の生の演技力を引き立て、よりおかしみを増す手法が素晴らしく思いました。

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2009年8月 1日 (土)

映画「アマルフィ 女神の報酬」を観て

 先月の末に3日間のプチ夏休みを取り、1本の演劇と2本の映画を観ました。舞台は「異人たちとの夏」、映画は「ノウイング」と「アマルフィ 女神の報酬」です。

 映画の方では、前者が迫力ある映像とニコラス・ケイジの演技が良かったものの、ストーリーが陳腐で期待はずれでした。逆に後者は2時間15分があっという間に過ぎてしまうほどの、面白い作品になっていました。
 
 「アマルフィ 女神の報酬」は「ホワイトアウト」の真保裕一の脚本。内容はサスペンス&ミステリー風でよく練られていたと思います。映画の構成も、伏線を張り巡らせ、謎解きで観ている者の頭を疲れさせてしまうというような展開では無く、新しい事実をスピーディに次から次へ積み上げて真相に迫る手法で、ひとつひとつ納得して映画の流れの中に乗っていくことができました。

 そしてなんと言っても、イタリアのロケ。日本人観光客が減少しているといわれるイタリアの観光PRに作られたのかと思われるほど、存分に見せて頂きました。アマルフィ、初めて聞く町の名前ですが世界遺産にも指定されているようで、海に面した断崖絶壁に張り付くように立ち並ぶ家々が素晴らしい。

 さらに観光地の美しいさだけではなく、スリが横行したり、ちょっと脳天気なイタリア警察が登場するなども、イタリアの雰囲気をよく表していたと思います。ただその分登場人物の関係がじっくり描きこまれず、消化不良の面もありましたが。
 
 主人公の外交官を演じた織田裕二、SPのような職務の外交官が本当にいるのかよくわかりませんが、ゴルゴ13のように孤独で陰のある雰囲気を漂わせ、理知的にそしてアグレッシブに解決していく様はなかなかカッコ良かったです。相手役の天海祐希、ベランダで一人タバコをくゆらすシーンや、子どものために必死になってピストルを振り回すシーンなどは圧倒的な魅力と存在感がありました。

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2009年7月 5日 (日)

映画「蟹工船」を観て

 原作に漂う蟹工船の臭気をも感じさせてくれる映像だったと思います。また原作には無い来世を願うお遊び的な所も、心からは笑えない雑夫たちのまことしやかで、悲しい心情をよく表していました。

 無産階級(プロレタリア)と呼ばれた人々が、国家のためという美名のもとに、資本家や軍部に搾取され利用さていた構図が見事に理解することができます。国や支配者が精神主義で鼓舞することほど、疑ってかからねばならないものはありません。それは支配される者の過酷さを覆うってしまう隠れ蓑にすぎないからです。

 この映画で象徴的に使われていたのが歯車です。自分の力では回ることができず、ただひたすら機械の一部品として組み込まれているにすぎない歯車。それは、貧困層に生まれた運命に逆らえず、来世にしか望みを託すことができない労働者の姿そのものと思われました。しかし映画では、人間は人や社会に回され続ける歯車ではない、一人一人人間として自分らしく生きる権利があると立ちあがるのです。彼らが作った労働組合の旗にも、歯車同士が手を結ぶ絵が画かれていました。

 舞台は80年前ですが、現代風なタッチなところに我々の社会が抱える「貧困」という問題にも、迫っていたように思います。
 
 監督のSABUですが、示唆的で象徴的な構成や映像がうまいなぁと思いました。トイレに閉じ込められた雑夫の壁をたたく音が響くシーン、歯車がはずれて倒れるシーンなどが印象的でした。
 
 労働者のリーダーとなる新庄を演じた松田龍平。「死ぬことぐらい自分で決めたい」というマイナス思考から、「我々は立ちあがらねばならない」というプラス思考への変化を力強く表現していました。監督役の西島秀俊、メイクで悪役顔となり声をはりあげての熱演となりましたが、イメージが先行して役になりきれなかったところがあります。佐藤浩市のような人が良かったのでは。昨日、大阪薫英高校の先生が、パンフレットを持ってこられて谷村美月が本校の卒業生であると紹介されていましたが、いきなりの登場で驚きました。

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2009年6月28日 (日)

映画「Dear Doctor」を観て

 西川 美和脚本・監督作品。

 この作品は僻地の診療所に勤める医者と、村人達との温かいふれ合いを描いたよくあるヒューマンドラマでは決してありません。またストーリーは単純であっても、心にストンと落ちるわかりやすいドラマでも決してありません。

 この映画は人間心理の多重性を、叙情に流されることなく、映像だけの手法を使ってシニカルに描いていきます。僕はこの映画のテーマは「錯覚」ではないかと思いました。愛とか美とか、善とか幸福とか、人間が素晴らしいと思っていることは、つきつめると何一つ確かなものはなくて、そう思いこんでしまっている錯覚なのではないかと。

 この作品では、「命」さえもそうであるということを感じさせられる場面もありました。介護老人に救命を施そうとする医者に対して、「もうそのへんで」と諭す家族、死を告げられ握りしめた手がほどけた嫁。見ている方も錯覚にとらわれていることに、はっとさせられるシーンでした。

 しかし最後、きれい事では済まされないことに気づいている中で、それでも主人公は潔く自分を捨てて、癌患者とその家族が最も幸せになると思う道を選ぼうとします。いいとか、悪いとかではなくて、こんなことができてしまうのも人間なんだということを監督は言いたかったのではないでしょうか。
 
 診療所の医師役となった笑福亭鶴瓶、映画「母べえ」では吉永小百合との共演が見事でしたが、今回は八千草薫と差し向かっての演技に味わい深いものを感じました。特に最後の白衣を振って別れを告げるシーンは胸がつまりました。研修医役の瑛太、軽いキャラでしたが映画のテーマを引き立てる演技だったと思いました。

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2009年6月21日 (日)

映画「劔岳 点の記」を観て

 若い頃は登山が好きで、夏の北アルプスにはよく登りました。そのころはそんな趣味もあって新田次郎の山岳小説は愛読書のひとつでした。「孤高の人」や「聖職の碑」、その他の短編集もよく読みました。その中でも、「剣岳 点の記」は最後の意外な顛末と共に、思い出深い作品の一つで、今回それが映画化されると聞くや、公開と同時に映画館に足を運びました。客席も登山愛好家らしい中高年の人でうまり、隣の年配のご婦人も出てくる山の名前を、感慨深げに復唱されていたし、映画が終わるやいなや図らずも大きな拍手が起きたのも、最近にない経験でした。
 
 黒澤作品の名カメラマン、木村大作が監督ということで本当にどのように撮影したのかと思うぐらい、ダイナミックで美しい映像をスクリーンいっぱいに見せてもらいました。特に秋にじゅうたんのように染め上げられた山の姿や、雲海が赤くそまる夕日の場面などは息を飲むような美しさでした。その中、豆粒か蟻の行列のように尾根にとりつく人々の姿が映し出されると、自然に挑む人間があまりにも切なくもあり、けなげでもあり、そして実に強くもあるように思いました。「悠久の大自然の中では、人間の行いなどちっぽけなものにすぎない」というセリフがありましたが、都会で使うと臭い言葉も山の中では心に落ちるものがあります。

 登山装備も十分でない100年前の日本で、ただ地図を作るという目的のために、危険をおかしてでも「死の山」と恐れられた剣岳の登頂に挑戦した人たちがいたことをこの映画は教えてくれます。「行ったことが大事ではなく、何のために行ったかが大事」と言われていたように、なしとげた事におごり高ぶらず、ただ淡々と自らにた与えられた「仕事」を全うしようとする主人公たちの姿に感動しました。最後の登頂成功の場面は物足りなく感じましたが、それをセンセーショナルに描くことがかえって登頂した彼らの意図に反するという思いがあったからなんでしょうね。

 そして、実はこの映画の本当の主人公は、人間を拒みそして包み込む剣岳そのものにあったのだとも思いました。
 
 測夫を演じた松田龍平、明治の若者には見えない雰囲気もありましたが、独特のキャラで作品を面白くさせていました。一番印象に残ったのはガイド役の香川照之。山を知り尽くし山に登りたいという人のために、山とおりあいをつける役柄を見事に演じていました。登山家役の仲村トオル、超然としたムードが測量隊と対峙できてストーリーを作っていました。主人公の測量手をつとめた浅野忠信、押さえた演技で誠実な人柄をよく表現していました。

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2009年6月14日 (日)

映画「真夏のオリオン」を観て

 この映画は太平洋戦争末期に、米巡洋艦インディアナポリスを撃沈したイ-58潜水艦の艦長橋本以行 少佐をモチーフにして描かれているそうです。 まもなく戦争が終わるという時に、最後まで戦わねばならなかった事実を、日米艦長の知力をつくして向き合う姿を通して描いていきます。

 人間魚雷「回天」の搭乗員に対して、「もったいない」とさとし出撃を許さず、自らの戦略と乗組員達とのチームワークで生きて帰ることをめざしたイ-77潜水艦の倉本孝行艦長(玉木宏)。米駆逐艦との死闘は鬼気迫るものがありましたが、戦争映画によく見られる悲壮感はほとんどありませんでした。それはどんな危機が迫ろうと「めしにしよう」と、一息いれることで動揺させずに冷静さを求めた明るい艦長と、その艦長に全幅の信頼を寄せる乗組員の姿があったからだと思います。 特攻攻撃という人間の精神を極限までに追い込んだ戦法とは、対極のものを感じました。潜水艦は「海に出れば自由だ」というセリフがありましたが、海軍の中ではまた独特の世界があったのでしょうね。

 ストーリーとしては現実の戦争では起こりえないような「おとぎ話」的な感じもなくはありませんでしたが、敵・味方に分かれていようとも、音楽や星や詩の美しさは人間を結びつけてくれることを映画は訴えているようでした。

  倉本艦長を演じた玉木宏。合理的な判断と、人間味あふれるハートを持つ指揮官の姿を好演していました。「僕の夢は、オーケストラの指揮者になること」というセリフには思わず笑ってしまいましたが。炊事を担当する兵を演じたドランクドラゴンの鈴木 拓、なかなかいい味を出していましたね。

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2009年3月20日 (金)

映画「ワルキューレ」を観て

 「祖国を救うためというより、人の命を救うため」。映画の冒頭に出てくるヒトラー暗殺計画の中心人物だったシュタウフェンベルク大佐の言葉です。一人のドイツ人(ヒトラー)がすべてのドイツ人でないということを世界に訴えるために、彼らは行動を起こしたのです。この「ワルキューレ作戦」は単にヒトラーの暗殺に止まらず、政権をナチスから奪回し、連合国との休戦を目的とした大がかりなクーデター計画であったことをこの映画を観て初めて知りました。ヒトラーの独裁政治による非人道的な行為を止めさせるためのネットワークが、良心的な将校や将軍たちの中にできあがっていたことにも驚きました。しかし、計画が挫折することは歴史上知ってしまっているので、映画を観る上での関心は、警戒網をくぐっていかに計画が実行できたかというハラハラ、ドキドキさと、彼らを待ち受けている運命です。特に主人公のシュタウフェンベルク大佐が行動中に、何度も家族の安否を知ろうとする場面が印象的でした。一人の人間が生きているか死んでいるかだけで、多くの人間の態度や運命がオセロの白黒のように変わってしまうということを思い知らされ、あらためて独裁政治・ファシズムの恐ろしさを感じた映画でもありました。
 
 隻眼のドイツ軍将校を演じたトム・クルーズ。迷うことなくひたすら命をかけて、信念を貫いた主人公を、時にはカッコ良く、時には恐ろしいほどに鬼気迫る熱演で描写していました。

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2009年3月15日 (日)

映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」を観て

 前作の「チーム・バチスタの栄光」では原作を読んでからの鑑賞だったので、犯人捜しという面白さが半減してしまいましたが、今回は田口医師(竹内結子)と白鳥圭輔(阿部寛)以外は何の予備知識も無いままで、映画の展開に期待しての鑑賞となりました。

 結論から言うと、結末がある程度見通せてしまう内容で、動機や犯罪性においても焦点がボケていた感が否めません。正直ミステリーとしては物足りなく思いましたが、人物の描き方には惹かれるものがありました。特に救命救急医の速水医師(堺雅人)。ジェネラルと呼ばれるカリスマ性・独裁性を見せながらも、実は気の弱さを内に秘めているというキャラ。一人でも多くの人命を救うという使命を果たすためには、自分を偽ってでも人を動かしていかねばならない「救命救急」の現場の壮絶さを感じることができました。救命救急のリーダーとしては、如何に敵を多くつくろうとも、部下に嫌われようとも職務を全うせねばならないと。それから、いかに利益をあげるかという病院経営、いかに出世するかという医師の策略、そしていかに人を救うかという医療の目的、これらが三つどもえとなっている大学病院のかかえる問題も浮き彫りにしていたように思います。映画のつくりとしては、ところどころコミカルなタッチも交えながらも、終盤にいたるまではBGMもなく、淡々と描かれていたのが、最後の大事故の発生でおこる病院のリスクマネージメントを一気に見せることで、チームとして命を守る現場の姿をよく現せていました。
 
 堺雅人は、難しい役どころでしたが、とても魅力的に演技していました。特に真相究明の倫理委員会での場面がとてもカッコ良かったです。

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2009年2月15日 (日)

映画「旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ」を観て

 動物園物語と言っても、主役は動物ではなく人間でした。かわいい動物目当てに小さな子もたくさん来ていましたが、小学校の高学年以上でないとストーリーはわかりにくかったのではと思います。

 ノーベル賞のような発明とか発見ではなくても、こんな世界においても人間の創造力の発露があるというすごさを感じさせてくれる映画でした。人気が無くて閉園に追い込まれそうになった動物園の園長や職員は、どうすれば魅力ある動物園にすることができるのかを考えます。その答えのひとつが、「行動展示」というものでした。動物がもつ能力を精一杯見てもらおうというものです。樹上で行動するオラウータンを下から見上げてもらう、水中ならばジェット機のように飛ぶペンギンを見てもらうといったアイデアです。このようなアイデアが生まれるのも、動物を心から愛し、動物の姿をつぶさに知っている職員ならではのことだったのでしょう。ただアイデアだけではどうにもならないものがある。それは予算です。たびたび市長など行政側が登場しますが、財政難を理由に動物園側の要求を認めることはありませんでした。しかし、園長の情熱とあきらめない気持ちが、最後には行政も変えていくのです。金は出せないのに、精神力だけを要求するだけの行政ではやる気も失せてしまいます。北海道に旅行に行くときは是非、旭山動物園に寄ってみようと思いました。

 日本映画で全編日本語字幕付きの映画というのも初めて観ました。

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2009年2月 7日 (土)

映画「マンマ・ミーア!」を観て

 四季の舞台で観たように、観客みんなで「Dancing Queen」を立ち上がって歌い踊るというような盛り上がりはありませんでしたが、そこはミュージカル、心沸き立つものがありました。

 特にドナ(メリル・ストリープ)がサム(ピアース・プロスナン)に自分のどうしようもない運命を切なく歌う「The Winner Takes It All」は、曲の美しさとあいまって胸が熱くなりました。若き日の自分に思いをめぐらせ、今もなお枯れることない人への愛を感じていたいという女性がいとおしく思われる映画です。またおおらかに性を語り、老いさえも笑い飛ばせる明るく元気に満ちあふれた人生、ほんとうに楽しそうでうらやましくもありました。美しい島の風景が舞台にはない奥行きをだし、主人公たちの歌につねにからまる、島民やホテルの従業員たちのバックダンサー、バックコーラスぶりがコミカルで躍動感ある映画をつくっていました。そして何よりABBAの歌、やっぱりいいですね。本当に歌いたくなる歌ばかりです。
 
 メリルストリープ、熟年の魅力があふれていました。アマンダ・セイフランド、キュートで表情豊かな演技が素晴らしかったです。彼女が最後に歌う「I Have A Dream」も感動しました。

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2009年2月 1日 (日)

映画「チェ 39歳別れの手紙」を観て

「チェ 28歳の革命」の後編。 ボリビアでゲリラ戦を指揮中に政府軍に捕らえられ、処刑されるまでを描く。
 
 キューバ革命時の英雄的な活躍は見る影もなく、山岳地帯での絶望的な戦いの連続に「なぜ」という問いを避けられませんでした。キューバにいれば妻と5人の子に囲まれた幸せな生活と、民衆の畏敬のまなざしの中で生きることができたのに、それらを捨ててまで何のゆかりもない、異国の地で自ら死を選ばねばならなかったのかと。映画の中で彼は「革命家という最も崇高な人間に高めていく」というようなことを語っていました。彼は革命の中でしかもう生きることができなかったのかもしれません。政府軍の兵士に「共産主義者なのに神を信じるのか」と問われて「私は人間を信じる」と言う場面があります。人間を信じるがゆえに、貧困や抑圧は命に代えてでも戦っていかねばならない敵だったのだと思いました。名誉や地位などは求めない、ただひたすら信念にのみ従った壮絶な生き方としか言いようがありません。

 しかし、残念ながら彼の行動は救おうとした民衆に支持されることなく終わりました。今も一つの信念だけで世界が変わることはないでしょう。それでも他人のことを考えて行動できる人間がいる限り、「人間は信じる」に値するものだとゲバラは言い残したように感じました。

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2009年1月25日 (日)

映画「誰も守ってくれない」を観て

 「15歳には重すぎる」というセリフがありましたが、幼女殺害の疑いで逮捕された兄、命をもって我が子の罪を償おうとした母親、そのつきつけられた現実は、いたいけな中学生の少女にとっては耐えきられるものではなかったと思います。

 また犯罪者の家族として背追っていかなければならない十字架だけではなく、マスコミの容赦のない取材攻勢に加えて、人権を無視し好奇心を満足させるだけのネットの書き込みにさらされてしまうのです。特に後者は、映画で出てくるスクープをねらう新聞社ですらあきれてしまうほどの、写真・実名なんでもありの無法地帯となってしまっていました。その姿を見せないおそろしさを映画ははっきりと描写していました。そこにはモラルも責任も何もなく、知り得ないことを知り得たという充足感で行動している人間の心の闇の世界を感じるだけです。

 そのようなものからも逃げねばならなくなったことに、映画で使われたセリフではありませんが「背筋が寒く」なってしまいました。、今回初めて警察に容疑者の家族の保護という仕事があることを知りましたが、このような状況におかれた家族への配慮は、マニュアル通りのビジネスライクで心が通っているとはいえません。

 その中で保護の任にあたった刑事が過去の出来事を通して、人間の弱さや家族のつらさを感じていたからこそ、少女の心が開かれたのだと思います。人の心の痛みを感じられるものだけが、人を本当に守ることができるのだと。現代社会の病理を描いた重いテーマの映画でしたが、最後は温かい気持ちになるこができました。
 
 刑事役の佐藤浩市、人間味を感じさせる演技で好感を持つことができました。妹役の志田未来、マスコミにさらされる恐怖の表情が秀逸でした。後輩刑事の松田龍平、今風の若者だけど仕事はできるという雰囲気をよく醸していました。

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2009年1月18日 (日)

映画「感染列島」を観て

 パンデミック(感染爆発)が予想される新型ウィルスを想定したシミュレーション映画。
 
 絵空事ではないだけに、その恐怖を実感することができました。「この向こうは戦場なんですよ」というセリフがありましたが、ウィルスが特定できないままに、数限りなく搬送されてくる患者を前にして、医師や看護師の戦いは壮絶を極めていました。ここにはテレビでよく登場するようなゴッド・ハンドを持った救命救急医は登場しません。使命感だけで、必死で立ち向かう彼らの姿に本当に尊いものを感じました。しかし、その中で一人でも多くの命を救うためには、トリアージ(救命の順序)をとらなければならない非情さも必要であることの難しさも同時に感じました。

 地域封じ込めによるパニックはよく描かれていましたが、社会機能がマヒする中、食料や電気、ガスといったライフラインはどうなるのか、通信手段(映画では携帯電話がつながっていましたが)は生きているのかなど想定しなければならない事はもっとあるようにも思いました。その一方、
ウィルス感染の原因を、人間の欲望による自然破壊にあったことを明らかしていくことで、単なるパニック映画に終わらせなかったことは良かったです。

 そして最後には特効薬ではなく、人間と人間のつながりで命を救えるとしたことで、少しでも希望を与えてくれる作品になっています。「たとえ明日、地球が終わろうとしても、君は今日リンゴの木を植える」という言葉が出てきましたが、最後の最後まであきらめず前を向く姿を訴えていて、大変感動しました。
 
 ウィルス感染した患者の第一診察者として、懸命に治療にあたる医師・松岡 剛を演じた妻夫木聡。もともと優しい気持ちを持った普通の医師が、人々が断末魔をあげていく中、あきらめずに向き合っていく医師に変わっていく様を熱演していました。みんなが防護マスクをしてしまうと、誰が誰だかわからなくなるシーンもたくさんありましたが・・・。WHOのスタッフを演じた壇 れいさん。クールな中に温かい心を忍ばせていて、とても美しく思いました。

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2009年1月12日 (月)

映画「チェ 28歳の革命」を観て

 昨年は「母べぇ」から「ハッピーフライト」まで日本映画を中心に26本の映画を観ましたが、今年は洋画「チェ 28歳の革命」からのスタートとなりました。
 
 革命家で現代の若者にも人気のあるチェ・ゲバラが、キューバのバチスタ独裁政権を倒すために1956年にカストロたちとメキシコからキューバに渡り、ゲリラ戦を繰り広げる中、ついに1959年に「キューバ革命」を成功させるまでの姿をドキュメンタリータッチで描いています。
 
 持病のぜん息に苦しみながら山岳地帯のゲリラ戦を続ける姿は、痛ましくさえ感じました。そんな病弱の彼がなぜ革命に身を投じたかは、やはり抑圧者を憎み農民を愛するヒューマニズムにあったと思います。決して負傷者を見捨てることなく、読み書きを知らない兵士には学校で学ばせ、そして略奪を許さない態度によく表れていました。アメリカ人記者がインタビューする場面で、革命の精神は何かと聞かれたゲバラが、「愛」であると答えたのが印象的でした。しかし、愛やヒューマニズムと武力闘争を繰り広げる生き方とは矛盾するようにも思えます。それについても彼は「狂い」がなければできなかったと言っていました。本気で革命を起こそうと思えば、「狂気」がなければならないと。それだけ時代が追い詰めていたのだとも感じました。それでも権力や名誉や功名心ではなく、純粋に民衆を救おうとした彼のハートが、今でも多くの人を魅了してやまないのでしょう。
 
 ゲバラを演じたベニチオ・デル・トロのジープに乗り葉巻をくゆらす姿が、ゲバラの雰囲気をまさによく出していました。

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2008年12月 6日 (土)

映画「ハッピーフライト」を観て

 矢口史靖監督作品。初めての国際便の乗務となったCA(キャビンアテンダント)の斉藤悦子(綾瀬はるか)、機長昇格のための最終審査となったコーパイ(副操縦士)の鈴木和博(田辺誠一)、彼らが乗り込んだANAホノルル便だったが、途中でコンピューターの速度表示にトラブルがおこり、羽田空港に引き返すことになってしまう。
 
 矢口監督の映画づくりのうまさは、本当に素晴らしいものを感じます。一機のフライトにかかわる人間模様、仕事模様をあるときは緊張感を持って、あるときはコミカルに描くその緩急自在の展開は、観ていて決して飽きることはありませんでした。しかし、この映画にはどれだけの職種が登場したのでしょうか。パイロット、CA、整備士、管制官、グランドスタッフなどなど。(空港で鳥を追い払う係員や、ディスパーチャーといわれる天候や航路のサポートをする仕事があるのも初めて知りました)しかもこの映画では、カッコ良く華やかに見えるそれぞれの仕事の、我々が知りようがない裏側での厳しさやつらさをもつぶさに描いていきます。それはあたかもNHK教育の「あしたをつかめ」という職業紹介の総合版を観ている感もありました。仕事のプロとして生きるとはどういうことかを学ぶ一種のキャリア教育の教材にもなりそうです。それともう一つは、若い人を育てようとするベテランの姿です。若い人に決しておもねることなく、時には恐れられながら、煙たがられながらも、しっかりと難局を切り抜ける力を植え付けようとする彼ら彼女らの仕事ぶりには感銘すら受けました。特にチーフパーサー(寺島しのぶ)の客に謝るだけでなく、責任を持ってサービスを遂行しようとする言葉には本当に胸が熱くなりました。

 新米CAを演じた綾瀬はるかは、その持ち味のキャラがよく生きていました。グランドスタッフの田畑智子、親しみの持てるおもしろいお姉さんという演技で楽しませてもらいました。個人的には、ふだんはパソコンも扱えず部下にさげすまれながらも、いざというとき本気になって事を解決していくという岸辺一徳が演じた上司の役が良かったです。

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2008年11月30日 (日)

映画「ブラインドネス」を観て

 最近、新型ヴィールスによる感染被害の予測が現実化されてきた感もありますが、この映画も突然、人の視力を奪い視界を「白い闇」で覆ってしまうという伝染病を描いています。ただ普通のパニック映画とは趣を異にしています。この種の多くの映画では対策に追われる政府、国家、軍隊などの混乱ぶりにカットを割きますが、この映画ではほとんどそのようなシーンは観られず、舞台は感染患者が隔離された病棟で繰り広げられる、「食欲」や「性欲」のままに生きる人間の姿をリアルに描くことに費やされていきます。散乱するゴミ、汚されたままのトイレ、そして食料を支配するために「王」となり権力を振るう男の登場。人間の持つ醜さに目を覆いたくなってしまいます。ただ、平等であることは一人の女性をのぞいて、誰も目が見えないということです。だれもが社会的弱者になっているということです。ここでは、人種の違い、貧富の差など何一つ通用しません。一人では絶対に生きていけないし、見た目の価値ではなく内面の価値が問われていく世界になります。それでも弱肉強食の生存競争になるのか、目が見えない者同士寄り添って生きていくのか、人間の存在をも深くつきつけた映画になっていました。見た目の美醜や価値に振り回されている現代人にとって、考えさせられる映画でもありました。

 映像的には、最初の展開をアップテンポで描き、観る者を「隔離病棟」に有無を言わさず引きずりこんだあと、じっくりと「人間の闇」を見せつける手法はただならぬものを感じさせられました。日本からも、伊勢谷友介・木村佳乃が熱演していましたが、ジュリアン・ムーアの追い詰められた者の厳しく迫真の演技が素晴らしかったです。

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2008年11月24日 (月)

映画「私は貝になりたい」を観て

 この映画が公開されることを知った時から、観なければいけないと思い詰めていましたが、今見終わって正直ほっとしているところです。映画館には30分前に着いたのですが「残席わずか」のサインが点滅しており、前から3列目の鑑賞となりました。この映画への関心の高さが、うかがわれました。観客は年配の方が多くをしめていましたが、中居君の坊主頭が目当てか、若い人も少なからず見受けることができました。
 
 橋本忍脚本のリメイク版ということですが、名作「砂の器」に劣ることのない人間の悲しみを深く掘り下げた見応えのあるドラマでした。貧乏な生活から這いずりあがり、妻(仲間由紀恵)と小さな村にへばりつくように生きてきて、ようやくささやかな幸せの光が見えてきたとたんに、戦犯として葬られてしまわねばならなかった主人公・清水豊松(中居正広)の「もう、人間なんかに生まれかわりたくない。私は戦争もない深い海の底の貝になりたい」という悲痛な叫びが、胸につき刺さりました。責任の取りようもなかったいっかいの兵卒に、罪を背負わせたBC級戦犯の裁判はまさに戦後処理のための「生けにえ」づくりではなかったかと思ってしまいます。戦争は人間が起こした犯罪でしょうが、本当に裁かれねばならないのはいったい何なのでしょうか。ただ、人間へのとてつもない不信感で終わらせることのないように、アメリカ兵との友情、矢野中将(石坂浩二)のアメリカ軍への告発、そして新たな命の誕生を描くことで、テーマの重さを何とか支えようとする作者の思いは伝わってきました。 

 豊松を演じた中居正広。処刑の執行を告げられた後の演技は、絶望の淵に立たされた人間の姿を如実に表現できて秀逸でした。映画「母べぇ」同様、笑福亭鶴瓶の演技は暗く重い映画の中に、飾らないホンネで生きる人間の強さ感じさせてくれてホットさせられました。

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2008年11月 8日 (土)

映画「天国はまだ遠く」を観て

 瀬尾まいこ著「天国はまだ遠く」の映画化作品。原作のストーリーや感想はhttp://hishiya.cocolog-nifty.com/mokumoku/2006/11/post_1fac.html
 
 ずいぶんも前から映画化の話があって、千鶴と田村さんは誰がなるのかと瀬尾ファンの間では密かに盛り上がっていましたが、結局異色なキャスティングで、加藤ローサとチュートリアルの徳井義実が演じることになりました。結果的に徳井が入ったことで、ヨシモトテイストの「天国はまだ遠く」という感じで、いたる所に二人のボケ・ツッコミの会話がまじり、思わず吹き出すシーンも多々ありました(突然の相方・福田の登場も爆笑でした)。といっても、民宿「たむら」のイメージもそのままに、原作の持ち味は壊されることなく、スローライフな情感はよく生かされていたと思います。都会生活の人間関係に心傷ついた千鶴にとって、手を伸ばせば星があり、自然の中のゆるやかな時間があり、そして自分の良さをまるごと受け止めてくれる田村さんとの生活は、自分らしさを取り戻せる、生きていることを実感させられる大切な日々であったことを映画は描いていきます。特に「自分にとっての日常をもう一度強く生きてみたい」という言葉が印象的でした。思い通りにならないことを、自分のせいにして自分を追い込めば追い込むほど生きづらくなってしまう。自分を無理して飾るのではなく、素直に心を開いて、素朴なまま自然や人を感じることが幸せなんだと。天橋立の風景をさりげなく織り込んだ映像も、美しくて良かったです。
 
 田村さんを演じた徳井義実、最初ちょっと線が弱いのではと思いましたが、とぼけた感じが逆に温かくて、人間味のある演技につながっていました。加藤ローサ、今風の女の子らしい演技で自殺未遂から立ち直っていく姿を好演していましたが、原作の千鶴からはちょっと精神的に幼すぎる感が無きにしもあらずというところでしょうか。また、ストーリー的にも千鶴や田村さんの悲しみや苦しみが、分かりづらいかったところも残念でした。

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2008年11月 3日 (月)

映画「まぼろしの邪馬台国」を観て

 「まぼろしの邪馬台国」を著し、古代史研究に一石を投じた宮崎康平とその妻和子の物語。
 
 宮崎康平氏というのは文学者であり、経営者であり、古代史研究家であり、今で言うところのマルチな人であったことがよくわかりました。才能だけではなく、エネルギッシュな行動力、郷土・島原への深い愛情、そして人と正面から向き合える人間力などに長けた人物でありました。しかし、過ぎたワンマンな性格のため人との折り合いが悪く、家庭生活はうまくはいかなかったようです。そこへ後妻として入った和子さんの、康平氏を全身で受け止め、バックアップされる姿がいとおしく思えました。それだけ人ととして魅力あるものを康平氏にみつけられたのでしょう。特に古代にかける思いや情熱は、並々ならぬものを感じました。人を魅了してやまない、「邪馬台国」。思いを卑弥呼にはせる時、康平氏の郷土を愛する気持ちから、どうしても九州の地にその存在を願わざるを得なかったと思います。二人で倭人伝をたどる九州各地への旅は、本当にうらやましささえ感じました。盲目の康平氏の目となって、研究を支えられた和子さんの姿は愛情に満ちあふれていました。だからこそ、最後に康平氏が「邪馬台国なんかどうでもいいんじゃ、お前と二人でこうして歩けることが、何よりうれしいんじゃ」と言わしめたものと思えました。
 古代へのロマンと夫婦愛を描いた感動的な映画でした。
 
 宮崎康平氏を演じられた竹中直人さん、盲目でありながら求めてやまない気持ちをストレートにダイナミックに演じられていました。和子役の吉永小百合さん。映画「母べぇ」の時とは違って若々しく、伸び伸びした女性の姿を美しく演じられていました。森重久弥の名前がたびたび登場していましたが、学生時代の康平氏の演劇仲間だったんですね。演劇といえば、和子さんも放送劇団の一員で、きっと二人を結びつける何かがあったのでしょう。

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2008年10月26日 (日)

映画「ICHI」を観て

 「座頭市」のごぜ(盲目の女旅芸人)バージョンというところでしょうか。音楽や映像からして芸術的な香りもしましたが、ストーリー的には従来のオーソドックスな時代劇の作りからは脱していなかっようです。それよりもこの映画は、負い目を持つ人間の心の深みを、人との関わりから逃避する女芸人・市(綾瀬はるか)、自分に向き合えない修行中の浪人・藤平十馬(大沢たかお)、劣等感の固まりとなった万鬼燈のボス(中村獅童)の三者三様のシチュエーションで描くことに主題があったのかもしれません。その意味では、市よりも、人間の弱さとあふれる葛藤を繰り返しながら、なおも生きることを求めていった十馬が本当の映画の中心だったような気がします。ごぜの悲劇性も描き込まれてはいましたが、市のセリフの少なさゆえか、あまり感情移入できませんでした。アクション的には居合い切りのするどさなどは十分楽しませてもらえました。
 
 ゆるキャラの役まわりが多かった綾瀬はるかですが、格好いい殺陣と、表情を変えないクールな演技が美しかったです。ただやはり、座頭市は勝新太郎のセリフまわしや白目をむく演技を誰も超えることはできないと思います。 また、重くなりそうな雰囲気の映画を大沢たかおのぬくもりを感じる演技で、救われたように思います。

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2008年10月13日 (月)

映画「石内尋常高等小学校 花は散れども」を観て

 映画界のピカソと言われる、95歳新藤兼人監督の最新映画。 
 
 監督ご自身をモデルとする売れない脚本家が、かつて小学校の担任だった市川先生の晩年に寄り添う中で、もう一度前を向いていこうとする物語。
 
 ユーモアに満ちた芝居かがったセリフ回しの中に、リアルな表現やエロスを織り込んでいくという実験的で意欲的な作風に新鮮なものを感じました。映画そのものに、またまだ求めてやまない自分の命そのものを吹き込まれようとされていたに違いありません。最初はコミカルでわかりやすい映画だと思って観ておりましたが、30年後の同窓会が開かれて再会するあたりから、戦争・原爆・死が語られていき、大正、昭和と生き抜いた人々の苦しみが浮き彫りにされていきます。しかし、この市川先生の豪放磊落(らいらく)、すべてをさらけ出すような人情あふれるキャラクターはすごいですね。退職してからも、学校を思い、教え子を思い続ける姿は、同じ教員として胸に迫るものがありました。それだけいつまでも慕われ続けられるのは当然だと思います。学校や教師の存在が、生徒や親にとってとてつもなく大きかった時代だったと言ってしまえばそれまでですが、身をもって生き方を示し、人を思う姿は、悩める主人公にとって十分な励ましになったのだと思います。見終わって、僕も40年前の小学校時代の先生や友達に会いたくなりました。
 
 市川先生役の柄本明、ユーモラスな前半とは違って、晩年の姿は鬼気迫るものがありました。大竹しのぶ、明るく伸びやかな声が印象的でした。 豊川 悦司、少年時代をいつまでも引きずっている演技が良かったです。

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2008年10月 6日 (月)

映画「容疑者Xの献身」を観て

 東野圭吾原作、直木賞受賞「容疑者Xの献身」の映画化作品。

 原作は前に読んでしまっていたので、(原作の感想は
http://hishiya.cocolog-nifty.com/mokumoku/2006/04/post_6ae4.htmlを見てください)、犯人が先に明かされる倒叙パターンの推理小説を、どのように映像化するのかを興味をもって観ることにしました。まず驚いたことに、女性刑事の内海 薫(柴咲コウ)を登場させている以外はほとんど原作に忠実に描かれていたことです。2時間という限られた時間で納めるためと、映像的に引きつける作品にするために多少なりとも脚色されるのが普通ですが、ここではその必要もないほど、東野原作が完成度の高いインパクトのあるものだったからなのでしょうか。ただテレビドラマの「ガリレオ」シリーズの延長(事実、この映画は先週放映された「ガリレオ」特別版の続きになっています)と考えると少し違和感を覚えます。それはテレビドラマのストーリーは、「有り得ない」と思われる難事件を主人公、天才物理学者・湯川 学(福山雅治)が物理学の知識を駆使して解決する共に、その犯罪の人間的な動機には一切興味を示さないというクールなスタイルがありました。しかし、この映画の中心となるストーリーには、物理学的な知識はほとんど出てこないし、逆に友人である天才数学者・石神哲哉(堤真一)の心情に触れようとするウエットな湯川 学の姿があったからです。テレビドラマの方が、エンターテーメントの色彩が濃いのに対して、映画の方は人間ドラマとしての重厚性を強く持たせているように思えました。その意味で残念ながらテレビで作られた福山雅治のキャラは、この作品には合っていなかったかもしれません。それでもこの映画には他人や自分を犠牲にしてでも、愛した人の幸せを守ることが許されるのかという問いかけにもなっているとは感じました。
 
 原作では「ずんぐりした体型で、・・・・頭髪は短くて薄く、そのため50歳近くにみえるが」という石神の描写がありましたが、それを堤真一ではイメージが違わないかと危惧していたところ、頭脳は優秀だけれど不器用な生き方しかできない男の姿を好演していたと思います。特に最後の叫びを上げる場面は、胸が熱くなってしまいました。

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2008年9月28日 (日)

映画「イキガミ」を観て

 間瀬元朗原作の漫画「イキガミ」を映画化した作品。

 命の尊さを国民に認識させることで、犯罪の防止や国の豊かさを求める法律、「国家繁栄維持法」に基づき、小学校入学時にカプセルを埋め込まれた18歳から24歳の若者に、24時間後に死亡する死亡予告書(逝紙、イキガミ)を、厚生保健省の公務員・藤本 賢吾(松田翔太)は、課長に命じられるがままに配達するのだったが・・・・。
 
 ジャンルはSFに入るのだろうけれども、舞台は現実の社会のようであって不思議な感覚に陥ってしまう映画でした。そこには「20世紀少年」のように空想と割り切って観ることのできない怖さがあります。確かに本当の生きることの価値は、死を目前にして初めてわかるのでしょうが、それを国家が強制的に一部の若者の命を奪うことで、体感させようというとんでもないあり得ない法律です。しかし考えようによっては戦争中に「お国にため」と1枚の赤紙で、名誉の戦死を強制した事実と酷似していると感じました。思想犯として国家に反逆するものを弾圧するのもまたそっくり。「ひきこもり」「経済格差」「自殺者の増加」「監視社会」といった現代の問題の描写もあり、空想の社会を観ながらも、現実社会の危うさをも訴えているようでした。さらに、死を前にして最期に人はどう生きるかということも考えさせてくれました。(やっぱり、ささやかでも最期の瞬間まで自分らしく生きたいですね)イキガミを受け取った兄が配達員と協力して、盲目の妹をなんとか救おうとしたエピソードなどは、胸があつくなるものがあり、壮絶で重苦しい中にも、人間愛を感じさせてくれる作品になっています。

 星新一の「生活維持省」との関係がとりざたされています。確かに発想は似ていますが、星作品は「国民の豊かさのため」の犠牲の強要、映画の方は「国家のため」の犠牲の強要という、重きがおかれている所が違うのではないかと感じました。
 
 松田翔太は銀行員のようなヘアースタイルで、クールでストイックだけど、心の奥には暖かさを秘めている若者の雰囲気をよく出していました。山田孝之は「手紙」以来久しぶりに観ましたが、死を妹に悟られまいとする演技がすばらしかったです。妹役の成海璃子はテレビドラマ「なでしこ隊」と同様に、ひたむきで清楚な感じがとても良かったです。

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2008年9月20日 (土)

映画「おくりびと」を観て

 第32回モントリオール世界映画祭グランプリ受賞作品。
 
 チェロリストの小林大悟(本木雅弘)は所属していた楽団が解散になったため、妻の美香(広末涼子)と共に、故郷の山形にもどり仕事を探すことになる。「高給保障、実質労働時間わずか、旅のお手伝い」の広告にひかれやってきた会社は、なんと遺体を棺に納める納棺業だった。社長(山崎努)の助手となり納棺師の仕事を始める大悟だったが・・・ 

 だれもが迎える「死」。しかしその死者(遺体)を扱う仕事というのは、やはり抵抗感が強いように思われてしまいます。映画の中でも大悟に対して美香が、「本当に一生の仕事としてやっていけるの?」「(仕事のせいで)生まれてくる子どもがいじめられたらどうするの?」となじったり、あからさまに差別する言葉も多く登場します。そんな言動や厳しい仕事の現場にあっても、大悟が仕事を続けようとしたのは、新たな旅立ちへ向けて精一杯美しい姿にしてあげることが、生きている者としてのつとめや愛であると感じたからなのでしょう。映画で初めて納棺師の仕事を見ましたが、あれほど厳かにそして美しい手際で進められれば、変な言い方ですが魅せられてしまいました。遺体へのちょっとした気遣い(気にいっていたスカーフを巻いてあげるなど)も、涙をいっそうさそいますが遺族が得心して見送れることになるのだろうと思います。
 
 最初、深刻で暗くなってしまうような映画かと危惧していましたが、大悟が遺体のモデルになってDVDの撮影をするところなどは場内大爆笑だったように、映画のいたるところにユーモアがちりばめられており、シリアスな内容だけれどもコミカルで本当に最後まで楽しく見ることができました。見終わって、人に対する優しさがにじみ出てくるような実にいい映画だったと思います。また、山形の美しい自然やチェロの音色がいっそうこの映画を格調あるものにしていました。
 
 山崎努などベテラン俳優陣がいい味を出している中で、本木雅弘が悩み抜きながらも次第に納棺師になりきっていく演技が秀逸でした。

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2008年9月13日 (土)

映画「パコと魔法の絵本」を観て

 後藤ひろひと作の舞台「MIDSUMMER CAROL ガマ王子VSザリガニ魔人」を、中島哲也監督によって映画化した作品。
 
 変わった患者におかしな医者(上川隆也)と看護師(土屋アンナ、小池栄子)のいる病院で、クソジジイと呼ばれみんなの嫌われ者だった大貫(役所広司)は、一日の記憶しか残らないパコ(アヤカ・ウィルソン)という少女と出会う。彼女にも意地悪な態度だった大貫は、大貫の手が自分の頬っぺたに「触れた」ことだけを覚えていたパコのために、パコが毎日読む絵本をみんなで劇にしようとするのだが・・・・。
 
 この映画は最初、子ども向けのファンタシーとばかり思って観る気は全く無かったのですが、かつて観た舞台「ガマ王子VSザリガニ魔人」が原作だと知って驚き、さっそく映画館にかけつけました。それほど、舞台が面白くそして感動的だったからです。しかし、中島哲也監督はその演劇のイメージの片鱗も残さず、出てくる役者は誰なのかわからないほどのメークをほどこし、いたるところにアニメーションとCGを駆使し、これはお笑い系のディズニーかと見まがうほどの、ダイナミックでファンタジー作品に仕上げていました。その意味で独特のキャラのガマ王子が飛び跳ねるこの映画は、演劇とは違い子どもが十分楽しめる作品になっています。それでもやっぱり演劇と同様に、純粋な子どもの心が、人間の心にひそむ優しさという善意や、前を向く勇気をめざめさせてくれること感じさせてくれるとてもいい映画でした。 
 
 上川隆也の
ピーターパンやシンデレラのコスチュームがおかしかったし、山内圭哉(舞台と同じ役をされていました)と阿部サダヲがからむところは最高にけっさくで、大いに笑わせてもらえました。子役のアヤカ・ウィルソン、怪演の大人たちの中にあって、疑うことを知らない可愛らしい無垢な少女の演技に心から癒されました。

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2008年8月31日 (日)

映画「20世紀少年」を観て

 浦沢直樹の漫画「20世紀少年」の映画化作品。

 1970年代、小学生たちが秘密基地をつくり、その中で20世紀末に悪の組織が地球征服をたくらみ次々と都市を破壊していくが、正義のヒーローが現れ地球を救うという子どもらしい他愛もない「よげんの書」なる話をつくりあげる。しかし30年後の西暦2000年、「ともだち」と名乗る新興宗教が現れ、よげん書通りのできごとが次々とおきていく。よげん書を書いたケンジ(唐沢寿明)たちはかつての秘密基地の仲間と「ともだち」に立ち向かっていくのだが・・・・。 

 知らなかったのですが、「20世紀少年」といのは、8年間も連載された(単行本では全22巻)壮大なSF歴史ドラマなのですね。そのため映画も今回の作品を含め、3部作で完結することになっています。登場人物も非常に多く、時間を行き来しながらスピーディに展開されるので、ストーリーについていくのに苦労しましたが。ただケンジの少年時代と自分の少年時代がほぼかぶっていて、懐かしいものがたくさん登場しました。「平凡パンチ」にピンキーとキラーズの「恋の季節」などなど。特にランニングシャツと半パンの出で立ちで、秘密基地にこもる姿はかつての自分をほうふつさせてくれました。観客に年配層も多かったのもそのせいでしょうか。本格科学冒険映画というふれこみでしたが、科学というよりもどちらかというとギャグとパロディをちりばめられたエンターテーメント作品という方がいいかもしれません。諸星弾(ウルトラセブンですよね)ならぬ諸星壇が登場したり、忍者ハットリくんのお面が出てきたり、指パツチンの教祖が殺されたり、鉄人28号と思わしきリモコンロボットが現れたり、い
ろいろ笑わせてもらえました。どちらかというと、時代かがったタイトルとストーリーなので、若い人たちには新鮮に映るのかもしれません。年配には中年ヒーローが活躍するのに共感がもてるのではないでしょうか。来年1月公開の第2章も是非観たいと思います。
 
 自分のことなのに、少年時代をあまり覚えていなさそうな演技の唐沢寿明がおもしろかったし、後半登場する豊川悦司や常盤貴子はやっぱりカッコ良かったです。生瀬勝久の少年時代の子役が生瀬さんにそっくりでした。

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2008年8月24日 (日)

映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」を観て

 神山征二郎監督作品。昭和18年、太平洋戦争の戦局も困難になりつつある頃、敵性スポーツとして中止をよぎなくされていた野球を、早稲田大学野球部では顧問の飛田穂州(柄本明)の考えで、練習を続行させていた。しかし、学生への徴兵猶予が廃止され、学徒出陣が目前に迫ったため、慶應義塾総長(石坂浩二)の申し入れで早慶戦を行おうとするのだが、早大総長(藤田まこと)の反対に会い・・・・・。
 
 戦争は若者たちの命もさることながら、「非常時」という名のもとに青春をかけたスポーツさえも奪い取っていったのです。その死地へおもむく彼らのために、生きた証として早慶戦をさせてやりたいと奔走する飛田穂州の姿に心うたれました。「教育者として」という言葉が何度も出てきましたが、軍部に対抗し彼は野球を通して、ぎりぎりのところまで人間としての教育をしようとしていたのだと思います。そこまでさせる「野球」というものがもつ計り知れない力にも、驚かされてしまいました。たかが野球、されど野球、そして「野球、生きて、ホーム(我が家)に還るスポーツ」。それは本当は戦争とは対極にあるものだったんですね。試合後、慶応、早稲田がたがいに応援歌を交換する最後の場面は涙があふれて止まりませんでした。「また、戦場て会おう」と別れていった選手たち。平和な時代なら思い存分野球に打ち込めたはずなのに、早稲田ではメンバーのうち5人が戦死されたそうです。
 
 北京オリンピックも今日で終わりましたが、このスポーツの祭典は「平和の祭典」でもあることをいつまでも忘れずにいてほしいと思いました。

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2008年7月 5日 (土)

映画「クライマーズ・ハイ」を観て

 横山秀夫著「クライマーズ・ハイ」の映画化作品。1985年8月12日、群馬県の地方紙である北関東新聞社に、日航機がレーダーから消えたという情報が入る。直ちに遊軍記者である悠木和雅(堤 真一)を全権として、地元でおきた大事件として総力を挙げて取材にかかるのだが。
 
 記者達が「おおくぼれんせき」と何度も言うのですが、最初は何のことかよくわかりませんでした。しかし後から漢字に直してようやくわかりました。連続殺人の大久保清事件と、連合赤軍のあさま山荘事件のことだったんですね。いずれも群馬県でおきた大事件でした。地元の事件だけあって、地元新聞社の使命として記者魂はおおいに揺さぶられていきます。巧みなカメラワークで緊縛した新聞社内の熱気と、通信手段を持たないままの命がけの突撃取材の様子がスクリーンからよく伝わってきました。しかし、ワンマン社長の圧力と上司との人間関係の軋轢で、悠木の熱い思いはつぶされそうになります。それを支えたのは、心から新聞作りを愛する多くの記者仲間と、熱心に愛読してもらえる地元の読者の姿でした。資力も人力もすべて全国紙には劣るけれども、地方紙記者としての誰にも負けないその誇りに感動しました。ただ、かつてNHKで放映されたドラマの方が、エビソードがうまくできていたし、個々の人間像も浮き彫りになっていたので内容的にも良かったように思いました。セリフも聞き取りづらく登場人物にあまり感情移入できないままに終わってしまった感があります。
 
 少年がかぶっていた阪神タイガースの野球帽や、車にさりげなく置いてあったタイガースの応援グッズは、タイガース優勝の年でもあったけれども、熱演されていた堤 真一が阪神ファンだからだったのでしょうか。

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2008年6月 7日 (土)

映画「ザ・マジックアワー」を観て

 シカゴならぬ守加護の街で、現代ならぬ1920年代のファッションで繰り広げられるまさに三谷ワールドのアクション・コメディ。

 映画撮影と思い込み、殺し屋の演技をする売れない俳優・村田大樹(佐藤浩市)が、本物とは知らずギャングのボス(西田敏行)と対峙する場面が最高にけっさくでした。たがいの勘違いが笑いを増幅させていくという、三谷幸喜お得意のストーリーです。特に映画用語を、ギャングの世界にうまくヒットさせて笑わせていくあたりはさすがですね。映画撮影の手法にからんだ伏線を、最後までとっておいて一気に爆発させるところも痛快でした。しかし、この映画は単なるシチュエーション・コメディではなく、三谷さんの映画賛歌そのものであるような気がしました。舞台や服装そのものが現実にはあり得ない、映画セットそのものであったし、古き良き映画の時代のノスタルジーはモノクロ映画のシーンに込められていたし、何より映画人としてひたむきにいい演技をしようとする村田大樹を通して、役者魂を描ききろうとしていたと思います。助っ人に映画スタッフを登場させたり、お亡くなりになる直前の巨匠市川崑監督が出演されていたのも、そのひとつでしょうか。映画というのは、つくる方も観る方も引きつけられる、何ともいえぬ魅力があるのだと思いました。
 
 映画俳優として誇りを持ち続けようと演技しようとするほど、笑いをまきおこした佐藤浩市、マーロン・ブランドなみの風貌からおかしさがにじみ出た西田敏行、印象的な髪型でコメディタッチの妻夫木聡、「鹿男あをによし」を思い起こさせる綾瀬はるかの演技など、その他たくさんの豪華演技陣も素晴らしかったです。

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2008年5月29日 (木)

映画「アフタースクール」を観て

 木村一樹(堺雅人)の捜索依頼を受けた北沢雅之(佐々木蔵之介)は、中学校の同窓生になりすまし、中学校教師の神野良太郎(大泉洋)を利用して、木村を捜し出そうとするが・・・。
 
 裏社会の闇にからめとられる人間の悲哀を描いたサスペンスドラマかと思いきや、いきなり暗幕が開かれ、まぶしい光が人の目を眩ませてしまうヒューマンドラマに一変してしまいます。観ている者も一瞬何がおこったのかわかりませんでした。観客には北沢の動きを中心に追わせるようにして、その裏ではとんでもないことを展開させておくというトリックが巧妙でした。映像を使えばこんなこともできるのかと、後から感心させられる映画です。北沢に対して神野が「お前のようなやつは、クラスにかならず一人はいる。学校がかったるいからとしけこんでしまう。でもよ、学校なんてどうでもいい。悪いのはお前なんだよ」と言った言葉が妙に心に残りました。

  麻薬、ポルノ、ヤクザとアウトローに生きる怪しい人間を佐々木蔵之介が好演し、観客の目を引きつけたことがこの映画が成功した一つの理由になっていました。大泉洋はテレビドラマ「東京タワー」で見せたように、気弱ではあるがやるべきことはやるという優しい姿が良かったです。堺雅人にはやっぱりミステリアスな魅力が感じられました。

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2008年5月11日 (日)

映画「隠し砦の三悪人」観て

 黒澤明監督作品「隠し砦の三悪人」のリメイク映画。時は戦国時代、隣接する山名に攻められた秋月はあえなく落城。生き残った秋月の雪姫(長澤まさみ)は、武将・真壁六郎太(阿部寛)とともに、お家再興を期し、莫大な軍資金とともに同盟国である早川に脱出を試みる。金につられて、彼らの試みに協力するのが百姓の武蔵(松本潤)と新八(宮川大輔)の二人であったが、山名の追っ手に迫られて・・・・。
 
 なかなか見応えのあるおもしろい時代活劇でした。武蔵・新八という新たな配役を加え、黒澤作品のオリジナルとは異なる脚本ということでしたが、各所にエッセンスは残されており、後の「スター・ウォーズ」に影響を与えた作品の片鱗を感じることができました。野望だけに生きる山名の武士団に対し、しいたげられながらも生きるためのエネルギーをほとばしらせる民衆の姿が特にいいですね。場面転換も斬新で、スピード感にあふれ、時代劇版「インディージョーンズ」とも呼べるような迫力がありました。思わせぶりにしておきながらの最後の終わり方は、賛否別れるところかもしれませんが、僕はさわやかで良かったと思っています。
 
 雪姫役の長澤まさみ、前半の笑顔を見せない気丈な演技と、後半の姫を全面に出しての優美な演技が対照的で良かったです。松本潤は表面はシニカルだけど、内に情熱を秘めた若者の姿を好演していました。阿部寛も三船敏郎まではいかずとも、武勇あふれる雰囲気を出していました。中でも一番目を引いたのは、宮川大輔です。そのわかりやすいギラギラした百姓の演技は、この映画のスパイスとなっていたと思います。

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2008年5月10日 (土)

映画「光州5・18」を観て

 1980年におきた「光州事件」を描いた韓国映画。僕自身もかつて、歴史の授業で「3.1独立運動」を取り上げた実践報告の中に、その時燃え上がっていた光州の改憲運動を『民主化を求めてやまない朝鮮人民のエネルギーに感服した」と書いたことがあります。ただそのときは同じ光州で以前おきた「光州事件」の実態はほとんど知りませんでした。しかし、今日この映画を観て、実際は民主化運動の鎮圧というよりむしろそれは、戒厳軍と、市民軍の市街戦そのものだったという事実を知り驚いてしまいました。
 
 映画は最初、コメディタッチで登場人物たちの平和な暮らしを見せていきます。それが、映画館に催涙弾が打ち込まれ、戒厳軍が乱入してくる場面から、一変します。「暴徒(軍が言うところの)と無実な市民」の区別なく、容赦なく振るわれる戒厳軍の暴力と殺戮。それは信じられないほど凄惨なものでした。その中で無残に弟を殺害された兄は、他の市民と共に武器を持って、軍に立ち向かっていきます。軍政下にあっては軍隊は市民を守るために存在するのではない、ということがここでもよくわかりました。その中で市民軍の隊長が「決して我々は暴徒であってはならない。冷静に判断しなければならない」という言葉が印象的でした。
 
 ただ残念なことは、、映画が光州市を踏みにじろうとする軍隊と、光州市を愛してやまない市民たちの抵抗というきれいな構図が中心で、学生や市民がほんとうに求めていたものは何だったのか、立て籠もる市民たちの葛藤はどうだったのかなど、もっと政治的な意味合いも描いてほしかったと思いました。

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2008年5月 6日 (火)

映画「大いなる陰謀」を観て

 イラク戦争とは何のための戦争だったのかを問いかける映画。ロバート・レッドフォードやトム・クルーズなどアメリカを代表するような映画人により、このような映画を制作できたのは、「父親たちの星条旗」と同様に、アメリカの良心を感じることができます。

 戦争当初、熱狂的に政府の行動を支持した新聞記者、戦争の犠牲など国を守るためには当然のこととし、自らの権力欲のために新たな戦争を起こそうとする政治家、純粋な正義感から兵士に志願し戦場に赴く若者、問題から逃避する若者に目を開かせようとする大学教授など、戦争にかかわる現在のアメリカの様々な人の思いをあきらかにしていきます。また、エリートの指導者層とそれにあやつられ戦争に利用される貧困層の対比もはっきりと描かれていました。格差社会というのは結局、戦争とおおきな関係があるようにも思えました。

 アメリカは9.11以来、対テロ戦争で5千人近い若者が犠牲となっています。しかし、まだイラクには平和は訪れていません。この映画のように、何が正しく、何が誤りだったのかをいろいろな人の声からつぶさにしていき、パワーゲームのための戦争(陰謀からおきる戦争)や、手持ちのライオンを無策に放した結果おきる戦争をなんとしてでも防いでいかないといけないと思いました。

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2008年5月 4日 (日)

映画「NEXT」を観て

 ラスベガスのマジシャンであるクリス・ジョンソン(ニコラス・ケイジ)は、2分後を予知できる能力を持っている。その能力に気づいたFBIの捜査官・カリー(ジュリアン・ムーア)は、テロリストによりロシアから盗み出された核爆弾の行方を知るために、クリスを利用しようとするが・・・・。
 
 そんな予知能力があるならギャンブルで大もうけできそうですが、しかしクリスはその能力に気づかれぬように、最小限の賭しかしません。それは、幼いときにその能力ゆえに精神的な病とみなされ、執拗に遊戯療法などを受けさせられた過去があったからです。しかし、自分の前に現れた運命の女性・リズ(ジェシカ・ビール)のためならば、惜しみなく活用するというのが、魅力的ですね。そして場面はそんな日常的なことから離れて、テロ組織との対決というアクション映画に発展していきます。
 遠い未来の予知ではなく、2分後の予知という設定が斬新で、またこれでもかと観る者をぐんぐん引き込んでおきながら、最後は「えっ、そうなの」という結末にも驚かされました。ただ、2分後の予知能力というのが具体的にどんなものなのか、ということが説明不足の感があってわかりづらい気がしました。その原因のひとつが映画の上映時間にもあると思います。1時間32分という長さでは、これだけの内容を描ききるのは無理があるようです。そういえば、最近のハリウッド映画は2時間を超えるものが少ないですね。なぜなのでしょうか?

  「2分後の未来は、予知した時点での未来であって、それはどんどん変わる」というセリフが印象的でした。交通事故など突発的なアクシデントから身を守るにはいい能力ですが、普段の生活では2分後のことぐらい十分予測できるし、逆にその能力のために「NEXT、次は、次は」ということになり、その場でどうしていいかわからなくなり、気がおかしくなってしまいそうな気もしますが・・

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2008年4月 6日 (日)

映画「死神の精度」を観て

 伊坂幸太郎原作「死神の精度」映画化作品。不慮の死をとげることになっている人間に7日間とりつき、その人間が死に値するかどうかを判定する役割を持つ死神(金城 武)。その死神の担当した若い女性(小西真奈美)が、死の直前に生きる目的を見いだしたことから死神は・・・・・。
 
 全体的な雰囲気はテレビの「世にも不思議な物語」のような感じでしたが、死神のかかわる三つの物語が、最後には一つにつながるという映画ならではの巧みな構成でした。また死神のキャラがおもしろい。数々の言葉の勘違いによるギャグの応酬、可愛らしく体を揺さぶりながら音楽を聴くしぐさなどなど、こんな死神ならいてもいいかなと思えるほどでした。人をむやみに死に至らせないで、いろいろ世話をやいたり、「人はいつかは死ぬのだから死に急ぐことはない」と説教したりで、これが全然死神らしくない。この映画は結局「人間は死ぬために今を生きているのだ」ということを、死神を使って言わしめているようにも思えました。生きるということが「特別なものではないけれども、とても大切なもの」と。
 
 映画のエンディングロールでNHKドラマ「海峡」に出ていた眞嶋秀和の名前があったのですが、どこに登場したのかわかりませんでした。気がついた人があれば教えてください。

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2008年3月22日 (土)

映画「ポストマン」を観て

 長嶋一茂が制作総指揮した映画。千葉県の漁村にある郵便局が舞台。郵便局員の海江田龍兵(長嶋一茂)はアナログバカといわれながらも、来る日も来る日もバタンコと呼ばれる昔ながらの自転車で、郵便配達をしている。しかし、母親を病気で亡くした娘・あゆみ(北乃きい)が家を出て、寮のある私立高校を受験したいと言い出したことから、家族と一緒に暮らすことを願う父・龍兵と対立することになるのだが・・・・。
 
 現在、電子メールでのやりとり、ネット販売の発達、輸送のスピード化などにより、ほとんど人の顔を見ないままに、手紙や物が往来しているように思います。その中で、この映画は、私たちが忘れていた大事なことを思い起こさせてくれました。それは手紙は人が運び、人と人との思いをつなぐ物であるということ。主人公の龍平はかたくなまでも、自分の手と足で郵便物を運び(時には千葉から静岡まで!)、人の顔を見ながら一通、一通大事に手渡していました。それは彼が「ポストマン」という、人の思いを届けるという仕事に誇りを持っているからに他ならないからと思えました。映画に出てくる数々のエピソードも、すべて手紙がかかわるという見事な脚本で、特に龍兵の息子の鉄兵が亡くなった母親に出した手紙を、父の龍兵が届ける場面には胸が熱くなりました。見終わって、いつも郵便物を確実に届けてくれる「郵便屋さん」に、心からありがとうと言いたくなるような映画でした。菜の花が美しい房総の春の景色が、人の優しさやぬくもりとまみえて、とても心なごみました。
 
 長嶋一茂は野球で鍛えた脚力をいかんなく発揮し、誠実で心優しい郵便局員の役を熱演していました。北乃きいは難しい思春期の娘の内面をうまく表現し、見ている方がハラハラさせられるほどの素晴らしい演技でした。

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2008年3月 8日 (土)

映画「クロサギ」を観て

 テレビドラマ「クロサギ」の映画化作品。
 
 詐欺師には3種類あるそうで、人をだまして金を巻き上げるシロサギ、異性の心をもてあそんで、金品を巻き上げるアカサギ、そしてシロサギとアカサギだけを食う最強の詐欺師が、山下智久演じるところのクロサギ。テレビのストーリーはドラマを見ていなかったのでよくわかりませんが、今回は映画版ということで、日本経済を揺るがす詐欺師に対決という、けっこうスケールの大きなテーマになっていました。しかも、詐欺師のドンであり、シェークスピアを愛読する桂木敏夫(山崎努)の登場で、映画は、人を信じて裏切られる人間の悲劇性にまで迫ろうとしていたように思えます。 また、小道具にはオセロが使われて、気付かれぬように相手をだまし、「相手が気付いたときは手遅れ」という詐欺のセオリーをあらわしていたところが、おもしろかったです。しかし、ちょっとテーマにこだわりすぎて、エンターテーメントの作品としては、難解すぎて、ハラハラ、ドキドキ感の乏しい映画だったように感じました。観客には、たくさんの中高生もきていましたが、偽装倒産や手形などという経済用語にはたぶんついてこれなかったのではないでしょうか。山下智久主演で、格調はありましたが、楽しむことを助ける工夫が無かったのが残念です。
 
 山下智久はテレビドラマ「白虎隊」で、純粋でひたむきな若者を好演していましたが、今回の映画では、いろいろな人物になりすましたり、大阪弁をつかう等、演技に幅の広さが見られて良かったです。

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2008年3月 2日 (日)

映画「明日への遺言」を観て

 大岡昇平原作「長い旅」映画化作品。元東海軍司令官岡田資中将(藤田まこと)は太平洋戦争後、米軍機搭乗員処刑の罪で、B級戦犯として軍事法廷で裁かれることになる。しかし、この法廷で岡田中将は、米軍の残虐な無差別爆撃を批判し、処刑がその正当な処罰であったと主張する。
 
 この映画の大部分は軍事裁判の場面です。傍聴席の岡田資中将の家族も遠景になるほど、検察側と弁護側により、不当な捕虜の処刑か、無差別爆撃の罪による戦犯としての処刑であったかが激しく争われます。地域爆撃が戦争終結を早めたとする検察側に対して、弁護側は軍事目標ではない女、子どもまでが殺戮された事実を明らかにしていきます。考えて見れば、勝者による軍事裁判で勝者の責任をも追及されたというのは(検察官が何度も「米軍全体を裁こうとするのか」と絶叫していた)、これは奇跡にも等しいことのようにも思われます。それを可能ならしめたのは岡田中将の、すべての責任は自分にあるという高潔な態度と、弁護人がアメリカ人としてではなく、弁護人としての任務を全うしようとしたことにあると思えます。特に岡田中将は感情的にアメリカ軍を批難するのではなく、自分のとった行動があくまでも軍律に則ったことであるということを毅然と主張することに感動しました。ただ、米軍機搭乗員も命令に従ったのみで、責任を追わされる立場にはないことは明らかで、たぶん岡田中将も承知のことだったろうと思えます。(その場面で映画ではトルーマン大統領の写真をアップにしていました)それでは何故処刑を命令したか、その答えはそれが戦争だからとしか言いようがありません。アメリカ軍の規律では、「不当な行為に対する報復」を認めているらしいのですが、報復のスパイラルが新たなる戦争を生むことを思えば、この規律をそのまま承認することはとうていできません。最後の判決の後、岡田中将は「このような結果になった指導者の愚かさを嘆き、今後日米が兄弟として平和な世界の建設に取り組むことを願う」と言い残したのが印象的でした。

 藤田まこと最後の映画作品と言われていますが、岡田資という人の生き様、信念を充分にえがききっていたと思えます。

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2008年2月11日 (月)

映画「チーム・バチスタの栄光」を観て

 海堂尊原作、第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作の映画化作品。
 
 成功率6割といわれる心臓手術のひとつであるバチスタ手術に、東城大学医学部附属病院では桐生恭一助教授(吉川晃司)をリーダとして、7人によるチームバチスタを結成、26ケース連続成功という驚異的な成果を上げていた。しかし、連続して術中死が発生。その原因の内部調査を任されたのが、愚痴外来こと不定愁訴外来を受け持つ万年講師の田口公子(竹内結子)。田口の調査は行き詰まるが、厚生省から派遣された白鳥圭輔(阿部寛)の登場で、事態は思わぬ方向へ・・・。
 
 ちょうど昨日、原作を読み終わった所だったので、犯人捜しというミステリー最大の楽しみは、100%最初から消失してしまっていたわけですが、原作とは違ういくつかの設定に映画としてのおもしろさは感じることができました。まず、小説では田口は男性なのですが、映画では女性となっています。しかも外科にはほとんど素人というセッティングが観客と同じ視点で、バチスタ手術を理解できるように工夫されていました。また、原作では手術ケース32で犯人がつきとめられますが、映画ではもうひとつケースを増やして、謎解きが視覚的・段階的になるように脚色されていました。リアルな心臓の手術場面や、再鼓動を待つ緊迫感などは映像ならではですが、この小説の持ち味である人間描写が希薄であったことは否めません。大学病院でのドロドロした人間関係や、登場人物ひとり、ひとりの犯人臭さはやはり、小説を越えることはできませんでした。
 
 心肺を心配と書くなど、竹内結子のおっとり医者ぶりがこの映画の雰囲気をよく和らげていたし、ロジカルモンスターという変人役人ぶりを、阿部寛の持ち味で演技できていたと思います。

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2008年2月 3日 (日)

映画「歓喜の歌」を観て

 落語が原作のシチュエーションコメデイ。
 
 大晦日を前にした12月30日、みたま町文化会館では、似たような名前のコーラスグループの明日の公演をダブルブッキンしていたことが発覚する。この処理に追われるのが文化会館の主任である飯塚正(小林 薫)。家庭でも仕事でいいかげんなこの役人が、なんとか事を納めようとするが、その優柔不断な態度がさらに事態を悪化させていく。
 
 松岡錠司という監督は、ストーリーの盛り上げ方が上手だと思いました。前半はたくさんのエピソードを織り込みながら、どうしようもない人たちのぶつかり合いを、いやになるくらい見せつけてくれます。それが、コーラスに向き合う女性たちの思いがあきらかにされていく中で、最後の怒濤のような「歓喜の歌」の場面へ感動的に引き込んでいきます。その転換に使われたのが「ギョーザ」。今問題になっている毒入りではなく、こちらの方はまごころ入りのギョーザですけどね。自分のことばかり主張し、人と協調しにくい今の社会にあって、見終わって優しい気持ちにさせてくれるような作品です。コーラスには人の心を一つにしてくれる、そんな力がありますね。ただ最後、プレゼントの曲が聴けなかったのが残念でした。
 
 公私にわたり後始末にはいずり回る役人の姿を、おもしろおかしく小林薫が好演していました。コーラスグループのリーダー役を安田成美が演じて、作品にさわやかさを吹き込んでくれていました。 

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2008年1月26日 (土)

映画「母べえ」を観て

 昭和15年から16年への時間の流れをゆったりとたどりながら、戦争の悲しみと家族の愛情を丹念に描き込んだ作品です。

 お互いに「べえ」をつけて呼び合う野上家は、明るく慎ましやかに暮らしていたが、ドイツ文学者である父・滋(板東三津五郎)が、日中戦争に反対した論文を書いたために、治安維持法違反で逮捕される。残された家族を父の教え子である山崎徹(浅野忠信)や、滋の妹の久子(壇れい)らが支えていくのだが。
 
  吉永小百合の気高さと平和への思いが、この映画の中に結実しているように思えました。母べえは周囲になんと言われようとも、毅然として夫の正しさを信じ家族を守っていこうとします。登場人物の思いは、様々に交錯していきますが、彼女のまなざしはいつも同じであったことが、強く美しくそして切なく感じられました。山田洋次監督だけあって、いたるところにほろりとさせられる人情や、思わず笑いがこぼれるユーモアがたくさん散りばめられていました。宮城遙拝の向きをめぐり、隣組の人々がまじめに議論するところなどは秀逸でしたし、破格のキャラクターとして登場する奈良のおじさん(笑福亭鶴瓶)も、みんなが保身のためうそばかりついているこの時代にあって、本音を言うことができた人物として、痛快でした。世の中が戦争に向けて足並みをそろえていこうとしている中で、それにへりくだらず家族の絆を守り続けられたのは、母べえや父べえの深い信頼と愛情のなせるわざであったと思います。今年も良い日本映画に出会えることができました。

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2007年12月 2日 (日)

映画「椿三十郎」を観て

 1962年に監督・黒澤明、主演・三船敏郎で映画化された「椿三十郎」のリメイク版。かつてこの映画を観た者にとっては、昭和30年代への郷愁を誘うという意味で、今はやりの昭和ブームの一端を担っているのかもしれません。ただ、僕のように黒沢・三船版を知っている者にとっては、どこか違和感を覚え、初めて森田・織田版を観た若い人にとっては、どこかわかりずらさを感じたのではないかと思います。それだけ、三船敏郎という俳優の存在が大きかったことと、全くセリフを変えずに45年前そのままの脚本を使ったことに原因があるような気がします。それでも、現代版としてかなりコミカルな場面を多く描き込むことで、エンターテーメント性を強調した映画にはなっていました。金魚の糞のようにつながる若侍達のずっこけさ、赤椿か白椿かで言い合う母娘にじれったがる三十郎、お女中を前にした三十郎の食事場面、などです。特に秀逸だったのは、前作では小林桂樹さんがされた捕らわれ者の演技で、今回は佐々木蔵之介さんがされていましたが、オチはわかっていてもその見事なおとぼけぶりには爆笑してしまいました。その意味では、現代の三谷演劇にも通じるような、喜劇性がそもそもの脚本にはこめられていたんですね。

 それと前作との違いは若侍の個性の出し方です。前作では加山雄三を筆頭に、全員が強い目力で一糸乱れずという感じでしたが、今回、前作で田中邦衛さんがされた若侍などは、結構表情を全面に強く出すなど、集団重視から個性重視という社会の変化が、45年を経て映画の中でも違ってきているのかとも思われました。また「よく切れる刀はさやに納まっているものだ」という有名なセリフには、昨今の優秀な官僚の汚職が頭をよぎりました。
 
 織田裕二は世界の三船と比較されては、かわいそうな気がします。彼なりに一生懸命カッコ良くてチャーミングな三十郎を演じていたと僕には思われます。ただあえていうと、役所広司ぐらいが適役だったのかもしれません。また、前作の仲代達也演じた室戸半兵衛役の豊川悦司は、これはなかなかのシニカルではまり役でした。

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2007年11月17日 (土)

映画「やじきた道中 てれすこ」を観て

0561_2  江戸時代版ロードムービーである「東海道中膝栗毛」をモチーフに、古典落語のエッセンスを織り込んだコメディタッチの時代劇。江戸の職人弥次さん(中村勘三郎)が、花魁・お喜乃(小泉今日子)の頼みで、病に臥せる父親に会うために沼津まで同行することになり、歌舞伎役者・喜多さん(柄本明)も加わわる珍道中が始まったが・・・。
 
 このような時代劇を観るとなぜか「ほっと」するものがあります。飾りようのなかった生身の庶民が出てくるからでしょうか。この作品も偉いお侍さんや金持ちの商人など登場せず、落語でおなじみの長屋の連中や、貧しい百姓が猥雑だけど底抜けに明るいエネルギーを発揮してくれます。特に子狸も加わって、だましだまされながら生きる姿が、どこか楽しげでもあり、庶民のたくましさすら感じてしまいます。今日はびこる食品偽造で世間を欺く人間のあざとさとは、どこか違うような気がするのは僕だけでしょうか。ただ、せっかく落語を題材にしているのだから、やっぱり「落ち」をきちんと描き込まないと、おもしろさが半減しているように思えました。
 
 中村勘三郎はさすが歌舞伎役者だけあって、立ち居振る舞いに見所があったし、柄本明のキャラクターもうまく生かされていました。小泉今日子はもうベテランの女優として、セリフまわしや演技に魅力ある佇まいを見せてくれていました。その他の脇役も演技派をそろえ、豪華な映画に仕上がっていました。

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2007年11月11日 (日)

映画「オリオン座からの招待状」を観て

0441  浅田次郎原作「オリオン座からの招待状」の映画化作品。昭和30年代、京都で映画館「オリオン座」を開業していた豊田松蔵(宇崎竜童)・トヨ(宮沢りえ)夫妻のもとに、17歳の仙波留吉(加瀬亮)が転がり込み、住み込みの見習いとして働き始める。しかしその後松蔵は肺ガンで亡くなり、残された留吉とトヨの二人がオリオン座を守ろうとするが・・・・。 

 どちらかというと地味な映画ではありますが、浅田次郎原作だけに、しっとりとした情感あふれる映画になっていました。特にひとつ、ひとつのセリフに人物の心情を感じさせようとする監督の意図があったように思います。ゆったりとした京都弁が、まさにその役目を果たすのに効果的に使われていて、観ている方も、「そうやな」とやさしい気持ちになれる雰囲気がありました。また、劇中映画「無法松の一生」や過去との場面のオーバーラップなどがおもしろくて、特に留吉がトヨに尽くす姿はあたかも、きまじめで純真な「無法松」というような印象を受けることができました。観た映画と共に映画館というのは、思い出深い存在です。「オリオン座」のような良心的な映画館がいつまでもあることを願うばかりです。
 
 トヨ役の宮沢りえが、可愛らしくそして優しい大人の女性を魅力的に好演していました。留吉役の加瀬亮は、「それでもボクはやっていない」に引き続き、クールで押さえた演技の中に共感をさそうものがあって良かったです。

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2007年11月 4日 (日)

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観て

 05年に上映された作品の続編。前作の評判が高かったために、30分前に映画館に着いたのにかかわらず、いつもなら余裕で席を確保できたところ、なんともう最前列しか席はなく、ひさしぶりのかぶりつきの映画鑑賞となりました。

 この映画のすごさは、ほんとに隅々まで手を抜くことなく、昭和の風物を描きこんでいるところです。服装、頭髪のみならず、手回しの絞り器付き洗濯機、アスファルトの舗装の無い道、ナショナル坊やのマスコット、裕次郎の映画を観て出てくる男性のなりきりポーズなどなど、まさにタイムスリップ映画といっても間違いは無いでしょう。それ故に同じ時代を生きた中高年にとってはたまらない作品になっていると思います。又下町のひざを付き合わせながら、つつましいけれど、互いに支え合い生きる姿にほんとうに胸があつくなるものがありました。贅沢三昧の生活をしていたわがままな女の子が、鈴木家に預けられたところ、心優しい子に変容していく様などがその象徴のように思われました。しかし、昔は良かったとノスタルジックになり、今の世界から目を背けてはならないのであって、最後の夕陽を家族が一緒に眺める場面のように、前向きに生きていかないといけないと、改めて思いました。
 
 堤真一が、不器用だけれど義侠心あふれた下町のお父さん役を引き続き好演し、吉岡秀隆が、冴えないけれど人への思いを貫こうとする作家役がはまってきたし、堀北真希が、目立たないけれどひたすら純朴に生きようとする女性をうまく表現していました。また、子役の小清水一揮が、ほんとうの昭和の子どものように感じさせてくれる演技で驚いてしまいました。

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2007年10月28日 (日)

映画「象の背中」を観て

07121  自分自身がかつて癌患者であったことから、この手の映画はできるだけ避けて見ないようにしていました。それが今回見ようと思ったのは、新聞の映画評で役所広司と岸辺一徳の演技を激賞していたからで、特にこの映画の役作りのために、10kgも体重を落としたという役所さんの演技をこの目で確かめたいという思いがあったからです。
 
 部長職として建設会社の大型プロジェクト進行中に、余命半年の宣言を受け延命治療を拒否しそのまま働き、そのまま生活し「死ぬまで生きる」ことを決意した主人公の藤山幸広(役所広司)。なぜ一縷の希望をかけてでも治療しようとはしなかったのか、あまりにも潔すぎる主人公の姿に最初違和感を禁じ得ませんでした。「余命半年」という姿を、最後のお別れとして親友に、初恋の人に見せることで、何か悲劇のヒーローになることに自ら感じいってしまったのではないかと。しかし、後半に兄・藤山幸一(岸辺一徳)との会話の中で、初めて死ぬことのこわさを打ち明け、今まで強がっていた自分から解放された時、ようやくおだやかな表情になれたのではないかと思います。
 
 全体的には、妻の美和子(今井美樹)を中心にちょっときれい過ぎるストーリーで、愛人の存在にも突っ込みをいれたくなったり、末期癌という不幸に見舞われながらも、最期は愛する家族に見守られながら旅立つことの幸せが結局のテーマだけでは、あまり新鮮さを感じることができませんでした。それより同じホスピスの患者が「明日死ぬかもわからないから、ここではお互いを知ろうとはしていないけど、ほんとは誰が生きられる時間が長いかを気にしている」というセリフの方が、妙に胸にこたえました。
 
 演技ではやはり役所広司がすばらしかったです。特に憔悴しながらも、妻の読む手紙を顔をじっとみつめ聞き入るところが感動的でした。そして、先に死にゆく弟へのつらく悲しい思いを、淡々と語る岸辺一徳も秀逸でした。

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2007年9月30日 (日)

映画「クローズド・ノート」を観て

 雫井脩介原作「クローズド・ノート」の映画化作品。

 教育大生の堀井香恵(沢尻エリカ)が、転居先に残された1冊の日記を見つけ、その日記に綴られた小学校教諭の真野伊吹(竹内結子)の生き様から勇気づけられ、偶然出会った画家の石飛リュウ(伊勢谷友介)に愛を告白するのだが・・・・・。
 
 時代は現代ではあるのですが、日記帳に万年筆、そして京都の古い佇まいから受けるイメージは、大正か昭和初期のようなレトロというかアンチークな雰囲気のする映画でした。ストーリーは二つの恋愛ドラマが並行し、そして交錯するというおもしろい設定になっています。また日記の世界と現在の世界をからめたシーンも、情感あふれた描写になっていました。もちろん恋愛映画なんでしょうが、教師である僕としては「先生物」という視点で見てしまいました。灰谷健次郎さんの「太陽の子」を登場させたり、「心の力」で子どもたちに頑張らせ、一人一人の良さをいつもみつけようとした真野伊吹先生の情熱と愛情に心打たれました。若い先生や、これから教師をめざす人がみればきっと何かを感じ取れる映画になると思います。
 
 沢尻エリカが前向きに生きようと決意した女子大生役を、魅力的にこなしていました。先生役の竹内結子は笑顔で話しかけるところが素敵でした。子どもたちがみんな良い子すぎるような気もしましたが。高校時代に万年筆で日記を書いていましたが、この映画を観てもう一度万年筆で日記を書きたくなりました。白い紙にインクを滑らせる感触を味わいたくなる映画でした。

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2007年9月17日 (月)

映画「包帯クラブ」を観て

0341  天童荒太「包帯クラブ」を映画化した作品。原作も読みましたが(感想はhttp://hishiya.cocolog-nifty.com/mokumoku/2007/08/post_9994.html)、原作にはないコミカルなタッチと、ロケ地の高崎市の観音像や市庁舎ヘリポートに翻る白い包帯の映像が印象的でした。心の傷を受けた場所に包帯を巻くことで、いろんな人が痛みを抱えて生きていることに気付く主人公ワラ(石原さとみ)、「バカみたい」とつきはなす友達テンポ(関めぐみ)に、「でもやってみないと世界は何もかわらない」と包帯を巻き続ける包帯クラブの仲間たち。本当にたわいない事でも、ほんの小さな事でもそこに人を救いたい、救われたいという強い思いがあれば理解しあえるということを感じることができました。この映画では最後に小さな花に包帯を巻いて、求めれば与えられる愛のようなものと表現していました。ただ、原作ではグローバルな人間の痛みや悲しみまで考えていこうとしていたのに対し、映画では友達や家族への愛が中心となっていましたが。 
 
 ディノを演じる柳楽優弥は、大阪弁が力みすぎて竹内 力のようになってしまっていましたが、露悪家だけどセンシティブな雰囲気はよくでていました。また、タンシオを演じた貫地谷 しほりの演技に目をひきました。映画「夜のピクニック」でもそう感じましたが、これからはなくてはならない助演女優になる気がします。

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2007年9月 9日 (日)

木村拓哉主演映画「HERO」を観て

 テレビドラマの方は観ていなかったので、 久利生公平検事(木村拓哉)とは初めての出会いとなります。これまでのストーリーを全然知らないので、 滝田明彦を演じる中井貴一の役回りや、キムタクがバーテンダー演じる田中要次に「山口県に双子の兄弟がいる?」と突っ込むセリフなどの意味はほとんど理解できませんでしたが、初めて観ても 型破りな「検事ドラマ」として楽しむことができました。いつもラフなスタイルで、通販好きな久利生検事が、法廷でいったん秋霜烈日の検察バッジを革ジャンにつければ、舌鋒するどく弁護人(松本幸四郎)と対峙していくところが、カッコいいですね。このあたり「華麗なる一族」で万俵鉄平と大介の対決を彷彿させてくれました。また、今回は韓国ロケがあり、イビョンホの出演という日韓イケメンの共演というお楽しみもありました。
 
 とにかく国家権力の執行者としての権限を持ち、上意下達の厳しい検察官社会にあって、自らの足で捜査を行い、特捜からの介入もはねのけてひたすら、被害者と残された婚約者の悔しい思いをはらすために地をはうように行動するというキムタク検事らの姿は魅力的でありました。正義のためならば大物代議士であろうが、カリスマ弁護士であろうが、ひるむことなく闘志をもって立ち向かっていく検事の理想像を描いていたように思います。映画の中で何度も登場する「正義の女神像」がそれを象徴していました。
 
 キャストは大変豪華で、僕の好きな小日向さん、八嶋さんなど三谷ファミリーのコメディタッチと、古田新太さんの結局キーパーソンとなる印象的な放火犯役などが特におもしろかったです。親子出演となった松たかこさんは、キムタクへの思いを秘めた実直な事務官を好演していました。

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2007年8月18日 (土)

 映画「ベクシル」を観て

0711_3  映画が始まるまで、この映画がCGアニメであることを全然知りませんでした。ストーリーだけにひかれて観てみようと思っただけで、映画館のポスターにも普通に「黒木メイサ」「谷原章介」「松雪泰子」(声とは書いてなかった!)とあったし、オープニングでも出演者のように名前がロールアップされていたので、てっきり実写とばかり思いこんでいました。それがいきなりアニメでびっくり仰天。こんなはずではなかったと、帰りかけようとしたぐらいです。しかし、正直いって魅入ってしまいました。バーチャルリアリティと呼ぶのがふさわしいように、アニメと思わせないようなすばらしい技術が駆使されていました。さすが日本が世界に誇るアニメーション。人間の皮膚感や表情、動きを始めそれはリアルなものでした。特にロボットたちの戦闘シーンや、最後の人工島への突入シーンなどはスピード感あふれ、手に汗握るような迫力を感じさせてくれました。できたら装着していたボディスーツの機能や威力をもっと紹介してほしかったです。技術力におぼれた巨大企業の世界支配という欲望のために、世界から孤立した日本はどうなってしまうのか、技術大国日本の将来を警告するような内容にもなっていました。映画の時代にはそぐわないなつかしいぬくもりを感じさせてくれる場面がたくさん出てきますが、いくら高度に技術が進歩しても、それだけでは決して生きていくことができない人間という存在も考えさせてくれました。

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2007年6月24日 (日)

映画「憑神」を観て

0621  浅田次郎原作「憑神」の映画化作品。舞台は幕末、才能がありながら訳あって部屋住み身分の別所彦四郎(妻夫木 聡)は、立身出世を願って「三巡稲荷」に手を合わせてしまう。しかし、それは神は神でも「貧乏神」「疫病神」「死神」という三不幸の神々だった。そんなとんでも神様に取り憑かれてしまった彦四郎は・・・。

 よく「ついていない」と言いますが、この映画のようなとんでも神様たちに「つかれてしまう」のも考え物です。しかも、下級武士にとっては生きにくい時代であったから、なおさらのこと。しかし、憑かれた主人公はそれを深く嘆くことなく、そんな神々ともなんとか「つきあい」ながら生きていこうとします。そして最後に死神(森迫 永依)にとりつかれることにより、いかに死ぬかという「生き甲斐」さえも見いだしてしまうのです。浅田次郎独特の奇想天外な物語ですが、けっして人の欲望を満足させるサクセスストーリーではなく、あえて不幸な中にあってこそ、得も名誉も出世も求めない純粋な志をとげようとする自分を見いだせるのだというメッセージだと受け止めました。その一瞬のきらめきがすばらしいのだと。

 貧乏神というわりには、福々しい様相の西田敏行でしたが、そのユーモラスな演技はぴかいちでした。主人公の妻夫木聡、気張らない自然体の演技が良かったです。まだ原作は買ったまま読んでなかったので、いつもの逆パターンですが映画を見終わってから読むとどんな感想になるのかも楽しみです。

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2007年6月16日 (土)

映画「舞妓Haaaan!!!」を観て

0461  宮藤官九郎脚本による、阿部サダヲ映画初主演作品。
 修学旅行で京都に行ったときの舞妓さんとの出会いが忘れられず、インスタントラーメン会社のサラリーマンとなっても、舞妓さんのホームーページを立ち上げるぐらいの舞妓オタクの鬼塚公彦(阿部サダヲ)は、京都工場に転勤になって念願の舞妓遊びに出かけようとするが・・・・。
 
 宮藤官九郎作品を見るのはこれが初めてで、ハチャメチャなだけのコメデイだとちょっと引いてしまうかなと思っていましたが、よく計算された現代的な笑いがちりばめてあって、若い人を中心に観客にはよく受けていました。つかみに電子的なインターネットと伝統的なお茶屋の世界とをからませたり、内藤貴一郎( 堤真一)といろいろな世界ではりあうという発想もおもしろかったし、そしてミュージカル風なエンターティメントもあってとても楽しかったです。しかし、阿部サダヲとは何者?というのが正直な感想です。緩急自在のシュールな笑いを醸し出す器用なコメディアンというところでしょうか。しかし、あて書きの三谷幸喜の作品なんかには難しいのだろうなと思ってしまいます。演出家や脚本から離れて、これでもかこれでもかと自由に演技することで持ち味が出るタイプなんでしょう、きっと。またオチはそこに持ってくるかという感じで、最後まで観る者を飽きさせない喜劇になっていました。難を言えば柴咲コウの描き方かな。ちょっと中途半端で浮き出てこなかったように思います。でも舞妓さんの姿はやっぱり可愛らしく、そして艶やかでもありました。先日亡くなった植木等さんが特別出演されていましたが、カメラが植木さんの立ち去る後ろ姿をじっととらえていたのが、暗示的でした。 

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2007年6月 9日 (土)

映画「眉山」を観て

0141   何というほどのことも無いストーリーですが、美しい風景や心ふるわせる祭り囃子に彩られながら、しっとりと情感をこめて母娘の絆を描いていきます。原作が「さだまさし」だけあって、日本人の心の機微に触れられる佳作になっています。

 犬童監督のすごいところは、母の思い、娘の思いをセリフによって表現しようとしているのではなく、過去の映像、手紙の言葉、着物などのたたずまいなどに込めているところです。それらによって観ている者は自然とその思いを受け止め、出演者に共感できるようになっていきます。母親の献体という行為さえも、自分の思いを娘に伝える母親の手段だったことが最後にわかります。
 
  映画の題名となった「眉山」といのうのは、徳島市にある山の名前であることが映画を観て初めてわかりました。東京から徳島に住み着き、女手ひとつで娘を育て上げようと決意した母の気持ちを、どっしりと構える眉山が象徴的に表しているようにも思いました。
 
   最後の阿波踊りのシーンがいいですね。そのエネルギッシュさが再会の場面を盛り上げるとともに、言葉なく別れても、それで良かったのだと明るく納得させてくれるところが感動的でした。

 母親役の宮本信子が秀逸でした。粋な風情をうまくだしながら、過去を振り払おうと「仕事は女の舞台」と必死で生きてきた女性の強さを巧みに演じていました。娘役の松嶋菜々子。34才という設定でしたが、それ相当の役を演じることができるようになったのだと感心してしまいました。特に父親を訪ねていく場面が、感情をこらえた表情を要求されたと思うのですが、そのもどかしさや、どうしていいかわからない、何を話していいかわからないという演技が光っていました。

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2007年5月20日 (日)

映画「パッチギ! LOVE & PEACE」井筒監督作品

0061  前作「パッチギ!」の続編となる映画。前作同様、型破りでパワフルな映像の中に「差別」「戦争」「生きる」「家族愛」といったテーマを、「イムジン河」の音楽で哀愁を漂わせながら描いていきます。

 筋ジストロフィーの兄・アンソン(井坂俊哉)の子供を救おうとして、キョンジャ(中村ゆり)は芸能界に入ることを決意し、アンソンも危ない仕事を引き受けてしまいます。特に必死で芸能界で浮かび上がろうとするキョンジャは、プロデューサー・(ラサール石井)や恋人(西島秀俊)から、容赦のない差別を受け、「なぜ朝鮮人に生まれてきたの」と泣き崩れる場面では、自分も心を痛めずにはおられませんでした。かつて、勤めていた中学校にも在日の生徒がたくさんいて、差別をなくすために朝鮮の歴史を学んでいくことを話したら、「私らにみんなの目が向けられるからいやや」と泣いて抗議してきたA子のことや、日本で生まれ日本で育ったのに、両親が密入国だったために韓国に強制送還されたB夫のことが思い出されました。そんな厳しい差別社会の中にあっても、井筒監督はこだわりなく関わっていこうとする日本人の存在(キョンジャの事務所の社長など)を描くことで、少しでも希望を表現しているように思いました。特に元国鉄職員・佐藤政之(藤井隆)の存在は、この映画にとってなくてはならないものになりました。自分自身も親に捨てられ生きてきた彼は、それ故に在日の仲間のやさしさにひかれ共に生きていこうとするのです。
 
 劇中映画として紹介される「太平洋のサムライ」は、現在上映中の「俺は、君のためにこそ死ににいく」を意識しているのではないかと思いました。愛するもののために死ぬのではなく、たとえ見苦しくとも、どんなことがあっても愛する者のために生き抜いていくことが大事だとこの映画では訴えていると感じました。

  70年代の懐かしい社会描写もさることながら、包み隠すことのない本音のリアルさがこの映画の魅力になっていたと思いました。
 
 中村ゆりは、可憐な出で立ちとは違い、差別に立ち向かっていこうとするその気丈さ、勇気をうまく醸し出していたと思います。特に最後の舞台あいさつでの告白のシーンはすばらしかったです。

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2007年4月29日 (日)

映画「バベル」を観て

0081  GW第二弾は映画「バベル」の鑑賞。菊地凛子のアカデミー賞受賞なるかどうかで話題になりましたが、内容的にも以前から興味を持っていました。少年が撃ちはなった1発の銃弾によって引き起こされた、モロッコ、アメリカ・メキシコ、日本の三つの地域におきる物語。それぞれの物語を空間と時間をずらせながら描いていく手法は、斬新なものを感じました。

 「バベル」とは神によって言葉をばらばらにさせられた、人間の世界を象徴しているのだと思いますが、映画では言葉以上に人間を隔てている様々なものをみせられました。貧富の壁、政治の壁、偏見の壁などなどです。そしてさらに心の壁があります。子を失った父親の立場から、コミュニケーションがうまくできない聾唖者の立場から、理解されない心の苦しみ、苛立ちをリアルな表現で描いていました。しかしその壁をバベルの塔のように自ら崩していくことで、人間は救われていくことも示唆していたと思います。ただ国家という壁や、モロッコの少年のような悲劇は救われないままに終わってしまったのは重いものを引きずった感じがあります。
 
 ブラッド・ビッド、人生を演じられる熟練したベテラン俳優の域に入ってきた感じがします。菊地凛子、どこにでもいるような感じの女子高生から、身体ごと自分を伝えようとする姿に変わっていく姿を体当たりで演技していました。エル・ファニング、最初ダコタ・ファニングかと思っていたら妹さんなんですね。しかし、結婚式ではしゃぐ姿など姉とそっくりでした。

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2007年4月15日 (日)

デカプリオ主演「ブラッド・ダイヤモンド」を観て

0291  「ルワンダの涙」に次いで観る、今年度2本目のアフリカを舞台にした映画。「アフリカの赤い土の色は、アフリカ人の血の色だ」「神はアフリカを見捨てた」という映画のセリフであらわされるように、この映画は単なるアクション映画などではなく、現実のアフリカの姿と悲劇を描いています。

 西アフリカにある小国、「シオラレオネ」。この国でダイアモンドが発掘されたことから、その利権をめぐり内戦が発生します。その内戦の背景にはやはり白人の姿が。主人公のデカプリオ演じるアーチャーは、反乱軍に武器を売る見返りにダイアモンドを手に入れ、密かにダイアモンド会社に売却することを仕事にしています。黒人のソロモンが見つけた巨大なダイヤモンドを手に入れるために、難民となった家族を見つけることを条件にアーチャーはソロモンを利用しようと接近するのですが。

 この映画の特徴は、アフリカの現実の姿をリアルに描いていることです。特に反乱軍により拉致され、少年兵に仕立てられて人を平気で殺害していくようになる様は悲惨そのものです。また富裕な国の人々がその魅力に目を奪われて買い求めている「ダイヤモンド」の中には、題名通りに血塗られた「ダイヤモンド」が混入されているということなのです。先進国の利害や思惑が、アフリカ人同士の戦いに追い込んでいる様子もよくわかりました。ソロモンが息子を医者にして、この国をパラダイスにするという夢はかなえられるのでしょうか。
 
 ワイルドな汚れ役をデカプリオが好演していましたが、マーティというキャラクターが何をどうしたいのかちょっと中途半端でわかりにくかったです。また誠実な黒人の父親役のジャイモン・フンスーが素晴らしかったです。特に息子へかける思いには涙しました。

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2007年3月24日 (土)

映画「アルゼンチンババア」を観て

Babaa54x40  よしもとばなな原作の小説を映画化した作品。妻を病気で亡くしたその日に涌井 悟(役所広司)は失踪してしまう。父・悟の行方を捜していた娘・みつこ(堀北真希)は、父がアルゼンチンババア(鈴木京香)と呼ばれている女と、遺跡と呼ばれている屋敷で同居していることがわかり、連れもどしに屋敷にでかけていくが・・・・。
 
 ありそうもないファンタジックな映画なんですが、描き方は細部にわたりリアルなんですね。思わず臭いがただよってきそうな屋敷の庭や、ひとつ、ひとつの会話にも実感がこめられています。だから、タイトル以上には現実と飛び離れたストーリーのように感じられませんでした。アルゼンチンババアという得体の知れない女性が話の中心ですが、実は至る所にメッセージがこめられています。それはイルカであったり、整骨院だったり、アルゼンチンタンゴであったり、蜂蜜であったり。いずれも人の心を癒したり、生きるエネルギーや愛情を施す象徴のように思われました。でも一番はやっぱり言葉ですね。「お母さんの誕生日か。それは君の誕生日でもあるんだ」とか「自分のためにだけ生きているのではない」「人はその瞬間が永遠に続くことを願って人を愛するんだよ」とかさりげない数々の言葉です。決して派手な映画でもなく、心を大きく揺さぶるような映画でもないけど、何かが静かに心の中に落ちていく映画だと思いました。
 
 鈴木京香さん、「華麗なる一族」の妖艶な感じから、妖怪!な雰囲気に変貌されていましたが、すべてを包みこむような深い愛をよく表現されていました。特にタンゴのステップが魅力的でした。堀北真希さん、「三丁目の夕日」以上に深い表情が出せる女優になりました。役所広司さん、妻の死を受け入れられない気弱な夫の役を、セリフではなく雰囲気で演技されていたのはさすがです。

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2007年3月10日 (土)

映画「バッテリー」を観て

Btr_ma11  ベストセラーとなったあさのあつこ原作の「バッテリー」を映画化した作品。

 岡山県の地方都市を舞台に、ゆったりとした時間の流れの中で、純朴な少年たちの野球にかける思いや心の葛藤をていねいに描いた映画となっていました。いわゆるスポーツドラマですが、ひところ流行った「根性もの」ではなく、心の伝え会いということがテーマになっています。
 
 主人公の原田 巧(林 遣都)は天才的なピッチャーとして頭角を表すが、病弱の弟ばかりに母親の愛情がそそがれる生育の中にあっては、野球は「孤独の証し」でしかなく、周囲に対しては一人よがりの冷たさしか見せなかった。その彼を変えたのは、おおらかで心優しいキャッチャーの永倉 豪(山田 健太)との出会いであった。しかし、技術的な差から二人の間に亀裂が入り・・・・。
 
 野球というスポーツがいかに、心に左右されるかということがよくわかります。映画にもあったように敵は心理作戦で、その弱さをついてきます。その中にあってピッチャーとキャッチャーは単にボールのやりとりだけしていれば良いのではなく、心のキャッチボールができなければならないのです。相手への信頼や励ます心、これが無ければ本当の強さは生まれない。特に心の動揺の大きい中学生ぐらいにとっては、このことは大変大きな課題であることは容易に想像できるし、現代の子どもが抱えている問題でもあります。この映画では原田 巧が元野球部監督の祖父(菅原 文太)や、兄の姿に希望をつないでいこうとする弟、そしてバッテリーを組む永倉 豪によって心が開かれていく様を感動的に描いていきます。「また、野球を一緒にやろうや!」で心がつながる少年たちの姿が、本当にうらやましくなりました。また「誰のための野球か」ということを、校長や3年生の言動から警鐘を鳴らすことも忘れてはいませんでした。
 
 新人の少年たちを ベテランの大人たちで固めていい演技を引き出していたと思います。林 遣都、思春期のナイーブな心の動きを好演していました。またキャッチャー役の山田 健太、「直球、勝負じゃ」といい表情を見せてくれました。

 今時、こんな人柄の良い子はいないだろうとか、少年たちが中学生にしてはちょっと年が・・・とツッコミもいれたくなりますが。部活をやっている中学生に是非みせてやりたい映画です。

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2007年3月 4日 (日)

映画「蒼き狼」地果て海尽きるまで

Main_j111571  史上最大の帝国を築いた男、チンギス・ハーンを描いたモンゴル建国800年記念として制作された映画。
 これまでチンギス・ハーンについては「草原の王者」とか「モンゴル帝国」建国の英雄としか知識はありませんでしたが、この映画ではチンギスの出生の秘密、家族との確執、盟友との決裂などをあますところなく描かれ、その生涯をよく知ることができました。
 
 構成は3部になっていたように思います。一部のテーマはモンゴルの女性が、チンギスの母そして妻がそうであったように、略奪の対象であったということです。人間としては扱われず、快楽や子をなす道具にしかみられない女性の悲しみを、母ホエルン・若村麻由美、妻ボルテ・菊川怜が好演していました。2部は「蒼き狼」としての男の戦いです。勢力拡大のために他の部族との壮烈な戦いがくり広げられます。前宣伝通りこの場面はすごかった。モンゴルの大草原に実際に何万という騎馬がかけめぐり、空からとった映像はまさに息を飲むものがありました。これだけ見てもこの映画を観た価値があったように思います。そして3部は信じていた友・ジャムカ(平山祐介)や、愛情をかけられなかった息子・ジュチ(松山ケンイチ)との別れです。チンギスハーンの人間としての強さや弱さを表現していたようです。
 
 全体的な感想は、オール現地ロケやいっさいCGを使わないという、本物にこだわった迫力感のある映画だったと思います。ただ主題が歴史ドラマにしては当時の勢力関係がよく見えてこない、人間ドラマとしてはチンギスの描き方、なぜ彼が英雄になれたのかいうあたりが希薄で、ちょっと中途半端な作りになってしまったのが残念です。反町隆史のチンギスはどうも信長のイメージが強くて、感情移入がしにくかった傾向もありました。

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2007年3月 2日 (金)

「ルワンダの涙」

Trailer1  1994年のルワンダ虐殺事件を描いたイギリス映画。
同種の映画に「ホテル・ルワンダ」(感想は
http://hishiya.cocolog-nifty.com/mokumoku/2006/09/post_16a2.html)があります。「ホテル・ルワンダ」がアフリカ人の視点からみつめた悲劇であるのに対し、この映画は白人であるイギリス人からとらえたジュノサイド(集団虐殺)となっています。また前者が、ホテルに避難したツチ族を主人公の支配人が救うというヒューマンなドラマになっていましたが、「ルワンダの涙」では国連軍を頼り、基地になっていた学校に逃げ込んだツチ族をその国連軍が放棄し、その結果2500人以上がフツ族の民兵に虐殺されるという冷徹な事実をつきつけた映画になっていました。白人からの視点で特徴的であったのは、BBCのテレビクルーの女性が「ボスニア内戦の時の取材では、死者に自分の母親の姿がかさなり悲しみの涙を流したが、ここでは死者を見てもは単に血を流したアフリカ人としか感じない」という言葉に如実に表れています。放棄されれば殺されるとわかっているツチ族のリーダーが「それならいっそうあなた方の手でわれわれを殺してほしい」と国連軍の隊長に訴えるシーンは、何とも耐え難いものがありました。唯一の救いはその場にアフリカ人ととともに残り、子どもたちの命を守ろうとしたイギリス人神父の姿です。しかし、それも貴い自己犠牲でしかありません。この映画の真の主人公はアフリカ人たちであると思います。殺すフツ族の白人に向けられる不信の目、殺されるツチ族の絶望的な白人へのまなざし。いずれもこのような惨劇を招いた原因にある植民地支配への批判がこめられていると感じました。原題「SHOOTING DOG」は、死体にまとわりつく犬しか追い払うことができない欧米諸国への皮肉の意味があるのでしょうか。

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2007年2月25日 (日)

蟻の兵隊

Photo  日本軍山西省残留問題を描いたドキュメンタリー映画。最近「あるある」に見られるようなテレビ番組制作のねつ造が横行する中で、この映画のようなドキュメンタリーという手法は、リアルタイムで真実の姿をみせつけてくれます。といっても、編集において意図的に操作できるという点では、変わらないとも言えますが、語られている言葉の重みは「やらせ」ではないものを深く感じさせてくれました。
 
 敗戦後も中国に残留した日本軍の中には、国民党軍に合流し4年間共産党軍と交戦し続け、多くの戦死者を出したということはこの映画を見て初めて知りました。主人公である奥村和一さん、80歳もその一人。戦後、日本に帰国したときは彼らは志願して残留したとみなされ、逃亡兵あつかいになっていました。しかし、真実はそうではなかったと奥村さんたちは訴えるのです。軍司令官の命令で「皇軍」の復興のために残留を強制されたと。その司令官と国民党の将軍との間には「密約」があり、日本軍を使用するかわりに身の保全を約束させたというものです。満州ではソ連参戦時に、関東軍の指揮官達が居留民を置き去りにした事実を考えれば、当時の日本軍の有り様として奥村さん達のことがあっても不思議ではないような気がしてなりません。まさに「蟻の兵隊」として虫のごとくあつかわれたのです。60年という時の流れがこの事件を歴史の闇の中に封じ込めようとするのを、奥村さんは残り時間と競争するかのように、最後まであきらかにしようと食い下がっていきます。それは自分と死んだ戦友の名誉を守ろうとするためだけではなく、戦争中に行った自分たちの残虐な行為にも向き合っていこうとする姿が胸を打ちます。
 
 対照的だったのは、中国人と日本人の姿です。中国へ事実の究明に行った時、中国の人たちは奥村さんを批難することなく、むしろ協力的に文書を公開したりその時の話をしてくれたりします。特に日本軍に乱暴された女性が淡々と話しをし、妻に戦争の話をできないでいる奥村さんにもう話していいのではと諭す場面は何とも言いがったかったです。それに対し、日本人は60年前のこととして忘れ去りたい気持ちが強く、触れられてほしくないという様子でした。
 
 何が真実か僕にはわかりませんが、とにかく歴史を自分たちの都合にあうように勝手に解釈してしまっては絶対にならないということです。再び同じ過ちを繰り返さないためにも。奥村さんたちの努力が報われることを祈ってやみません。

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2007年1月 4日 (木)

映画「大奥」

001  絵島生島事件を素材にした、権力欲・愛欲にまみれる7代将軍家継御代の物語。

 自由恋愛御法度の大奥で、スキャンダルをネタに権勢を奪おうとする天英院(高島礼子)一派に対し、策略にはまりながらも純愛を貫こうとした大奥総取り締まり・絵島(仲間由紀恵)と歌舞伎役者・生島(西島秀俊)が対照的に描かれていきます。仲間由紀恵は大河ドラマで演じた千代の前向きな聡明さとは異なり、今回は同じ聡明さでも内におさえた演技で、落ち着いた存在感を醸し出していました。それにしても悲劇の引き立て役となる高島礼子のおどろおどろしさがすばらしい。天英院のパシリとなる宮地役・杉田かおるが嫉妬心を心に秘めて、狂おしい演技を見せたのも良かったです。生島役の西島秀俊さん、ほとんど表情を出さないクールな演技でしたが、最後に絵島に見せた笑顔が心を打ちました。とにかく豪華絢爛の衣装と、凝ったセットの造りがあいまって、泣かせどころをおさえた娯楽映画となっています。
 ただ、カットの数が多すぎて少しめまぐるしさを感じました。(いろいろ見せたい演出や事情があったのかもしれません)

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2006年12月31日 (日)

DVD「RENT」

Images_7  今年最後の映画となったのは、ミュージカル映画「RENT」です。1年の最後にふさわしく、今、このときを大事に生きようというメッセージにあふれ、心がゆさぶられるような歌声に満ちたいい映画でした。1989年、ニューヨークシティの安アパートに住む若い芸術家たちは、払えない家賃(RENT)を抱え、クリスマスを迎えていた。そんな彼らにビルのオーナーの娘と結婚した旧友が、街の再開発に抗議するライブを中止してくれたらば、生活を保障するともちかけたが・・・・。

 この映画に登場する者は、ニューヨークの底辺で暮らす人々です。売れない芸術家、エイズ患者、ゲイ、同性愛者、麻薬中毒者、ホームレスなど、よくもこれだけそろえたなという感じになっています。しかし、彼らは1年の52万6000分を愛で刻んで生きようと歌い、どうなるかわからない明日より、今日という日を大事に生きようと歌い、あなたがいるから生きていけると歌うのです。どのナンバーも生きるエネルギーと、愛する者への思いにあふれたすばらしい歌でした。特に「千回のKISS」や、パブで歌われた「芸術家に創造あれ」が印象に残りました。また、ところどころにアメリカンジョークを織り込んだり、言葉遊びになっているような歌詞、秋田犬や「愛してる」(確か英語ではないと思ったのですが)という日本語が出てきたりで、けっこうエンターテーメント性のある映画にもなっていました。
 
 明日から新しい年の時が刻み始めます。来年はどんないい映画が観られるか楽しみです。それでは皆様、良いお年をお迎えください。

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2006年12月29日 (金)

DVD「佐賀のがばいばぁちゃん」

Top_title_0 原作は「紅葉まんじゅう」の島田洋七ということで、この映画を観る前まではきっとコミカルなタッチだろうと勝ってに思いこんでいましたが、あに図らんや、叙情にあふれたいい映画でした。
 岩永明広少年(島田洋七がモデル)は 、広島の母親(工藤夕貴)の元を離れて、ひとり、佐賀に住む祖母(吉行和子)と一緒に暮らすことになる。このおばぁちゃんが筋金入りのがばい(すごい?)ばぁちゃんで、貧乏の中にあっても生きていく知恵を少年に教えていく。 

 初めて孫を迎えるおばあちゃんは、笑顔を見せることもなく、まずご飯の炊き方を教えます。明広少年が広島に帰ろうとして連れ戻された時も、裏の川に流れてくる野菜をひらう術を教えます。このあたり、貧しい中必死で女手一人で子どもを七人も育てあげたおばぁちゃんの、凄みを感じることができます。登場するいろいろなおばぁちゃんの名言があるのですが、「つらいことは夜に考えるな、昼間に思ったら何でもなくなる」というのが一番元気になる言葉でしたね。またいくら貧乏をしていても人の世話にならない、つつましやかな生活だけれども買う時は一番いいものを買うというのも、ポリシーとして効いています。たまたま昨日読んだ文章に、やさしくすることだけが愛と勘違いしてはいけないという言葉がありました。貧乏していても胸を張って生きていくための厳しさを教えることで、おばぁちゃんは孫を教育していたんだと思います。しかし、厳しさだけではなく、孫の野球には応援に行き、野球部のキャプテンとなったと聞けば喜び、大事なところではかわいがるのです。だからこそ、洋七さんにとってこのばぁちゃんは本に書いてしまうほど、忘れられない存在になったのでしょう。
 
 それでも昭和30年代の子ども達のなんと純朴なことか。冬は汽車が走ってないから広島には帰られへんと言うおばぁちゃんの言葉を素直に信じてしまう。豊かになったこの時代、がばいばぁちゃんの言葉はもう子どもを動かすことはできないでしょう。しかし、物を与え、子どもの機嫌をとることに躍起になることが愛情だと考えていては、生きる力のない人間を育ててしまうことにはなりはしないかと、この映画を観て思いました。

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2006年12月28日 (木)

DVD「県庁の星」

Images_6 映画公開されてからしばらくたちますが、談合疑惑で県知事が次々と摘発されていく中で、公務員とは何かを問うタイムリーな映画になっています。
 県庁に勤めるエリート公務員の野村聡(織田裕二)は大型プロジェクトの企画に参加することを、昇進の手かがりにしようとしていたが、民間との人事交流のため研修としてスーパーに派遣される。その野村の教育係になったのが、パート歴の長さをかわれた二宮あき(柴咲コウ)である。ところが研修中に県のプロジェクトからははずされ、大手建設会社の社長令嬢との婚約も破棄される。失意の中、野村は二宮とともにスーパーの再建を始めることになるが・・・・。

 企画書もたちどころに作り上げられる能力を持ち、何でも合理的に考え行動しようとする野村も、現場でたたきあげられた二宮の人あしらいのうまさにはかなわない、というところの対比がまずおもしろかったです。いくら頭が良くても買い物に来る女性の心理まではわからないと、「女性は記念日や特売日など形の無いものに金を払う」ということを二宮が教えていましたが、なるほどと思いました。消費者心理を学ぶのにはスーパーやコンビニで働くのが一番なんでしょうね。しかし、放漫経営のスーパーにはスーパー公務員である野村が持つ企画力、発案力、実行力も必要でした。映画はこのようなところに本当の民間の知恵と公務員の能力との結合があるといっているように感じました。しかるに、この映画の知事や現実の知事のように、権力者は何事も許されるがごとく、住民に目を向けず自分たちの利益のために一部の業者と結合し汚職に走ることのなんと多いことか。最後の場面で野村がスーパーで学んだこととして「素直にあやまる。素直に教わる。チームワークを大切にする」ということをあげていましたが、僕たち教員も含めて公務員はおごりたかぶらず、謙虚にならないといけないということを改めて思いました。

 織田裕二はエリート公務員からスーパーの店員へとの変身ぶりを表情を変えて、器用に演じていました。柴咲コウは飾らない味のある演技がよかったです。
ただ、なぜ野村がプロジェクトからはずされ、婚約も破棄されたのかあたりのいきさつをもう少しわかりやすく描いてほしかっです。

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2006年12月24日 (日)

DVD「バルトの楽園」

Daiku1_1 たい映画だったのですが、奥さんと一緒に映画館に行ったとき 「タイヨウのうた」が上映されていて結局そちらを観ることになったために、見逃した映画でした。それがDVDで出ることになって、さっそく借りて観てみました。第1次世界大戦で日本軍の捕虜となったドイツ兵が、徳島県にあった板東捕虜収容所で、所長だった松江中佐(松平 健)の方針により「人間」として尊重され、地域の住民との交流の中で収容所生活をおくる様子が描かれていきます。太平洋戦争時の捕虜への生体実験を描いた映画「海と毒薬」や、シベリアの苛酷な収容所生活を描いた劇団四季の「異国の丘」とは比べものにならぬほど、ヒューマニズムにあふれた話になっています。会津藩出身の松江所長が、新政府軍に降った旧会津藩士の悲惨な思いを知っていたからこそ、他に類をみないような捕虜への遇し方になったのだと思いますが、他にも理由があったように感じました。それは、大正時代の日本はまだ欧米の文化に学ぼうとする姿勢があったからです。ドイツの進んだ印刷、製パン、学問、音楽という文化を捕虜達から吸収しようとする思いがあったからです。それゆえに、ドイツ人との交流が生まれたといえます。昭和に入り、おごり高ぶった日本が鬼畜米英と見下していったことが、おろかな戦争へと突き進んだ理由となったこととは対照的です。

 最後にドイツ人捕虜達による日本初演となったベートーベンの「第9」が演奏されますが、すば゜らしい文化は国家、民族を越えて「人間」の心を揺さぶるのだと思いました。ちょうど年の暮れ、「第9」を聴きたくなってしまいました。

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2006年12月 9日 (土)

映画「硫黄島からの手紙」

Iwojimaw1_1 硫黄島の戦いを描いたクリント・イーストウッド監督の2部作のうち 「父親たちの星条旗」につぐ、日本軍側からの視点でとらえた映画。
 
 まず見終わって、戦争には美談も感動もないということをあらためて思いました。アメリカ側から描いた「父親たちの星条旗」では英雄に祭り上げられた兵士の悲劇をテーマにしていましたが、この映画でも投降した日本兵士を殺害するアメリカ兵、戦場から逃げてきた兵を斬り殺そうとする日本軍の指揮官、手榴弾で自決を強要される兵士などが描かれます。犬を助けようとする優しい心を持つ兵士(加瀬 亮)などは戦争では通用しないのです。そのような絶望的な戦いの中で、守備隊司令官の栗林中将(渡辺 謙)の兵を無駄にせず、精神主義ではなく合理的に最後まで戦おうとする姿が際だちます。「余は常に諸氏の先頭にあり」という言葉も責任ある指揮官として立派だと思いました。その栗林中将に反発し、死に場所を求めてむやみに切り込もうとしながらも、皮肉な結果になる伊藤中尉(中村獅童)とは対照的でした。

 またこの映画のほとんどに渡って登場するのが、西郷一等兵(二宮和也)。アメリカ映画の中でどのように日本兵が描かれるのか興味がありましたが、アメリカ人が思うようなステレオタイプの日本人ではなく、経営していたパン屋のすべてを軍に奪われ、身重の妻を残しついには自分までもが戦場につれて来られてしまった兵士の、軍や戦争を憎む一庶民としての等身大の気持をうまく表現していました。この兵士と栗林中将をつなぐのが「家族への手紙」です。兵士は洞窟の中で決して届くはずのない手紙を書くことで、心をなぐさめられていき、栗林中将も戦闘の中で、家族宛の絵手紙を書くことで自分と家族の絆を残そうとしていました。この二人の会話で「家族のために死のうと決めたのに、その家族がいるために死にきれない」という言葉が大変印象的でした。そして、有名なバロン西こと西中佐、ロサンゼルスオリンピック馬術優勝(伊原剛史)の登場。「君は本当のアメリカ人を見たことがあるのか」と殺されかかる米兵捕虜を救った話は、唯一この映画では救われた場面でした。ここでも米兵が母親からもらった手紙がでてきますが、それは読み聞かされた日本兵にとっても共感できるものであり、個人としてはどちらも同じ家族のひとりである日米両兵士がなぜ戦わねばならないのかと、訴えかけているようでした。
 
 2部作を見終わって、勝者・敗者という視点ではなく、戦争というものの持つ国家的な犯罪性、残虐性、そして命や家族への普遍的な思いなどを描こうとしていることがよく伝わってきました。このような素晴らしい作品を作られたC・イーストウッド監督に敬意を
表します。ただ、台詞が低くて聞こえにくかったところが多かったのと、「三八式歩兵銃」をライフルと呼んでいたのに違和感を覚えました。

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2006年12月 2日 (土)

映画「武士の一分」

324298view0041 藤沢周平原作、山田洋次監督作品。このコラボは3作目ということですが、いずれも最後は剣によって、片を付けるという時代劇ならではの娯楽作となっています。ただ違うのは主人公の武士は目が見えないといことです(ストーリーはいつものように原作を読んだブログhttp://hishiya.cocolog-nifty.com/mokumoku/2006/11/post_8b73.htmlを見てください。)その武士・三村新之丞を演じるのが木村拓哉。最初、原作の謹厳なイメージとは違って、ちょっとひ弱で、子どもをからかったりするのが好きなお茶目な武士として登場します。このあたりは、キムタクのもつキャラそのものを生かした演出なのでしょうが、目が見えなくなってからの演技は、人が変わったように鬼気迫るものになります。とにかく目で演技できないので、その心情を口元や頬の微妙な動きなどで巧みに表現していたのは、絶賛に値します。最後の果たし合いの場面も、やっぱりカッコ良かったです。「必死すなわち生きるなり」と死の覚悟を決めて、武士の一分を果たそうとする迫力、気合いを充分感じることができました。ただ欲を言えば決闘の剣のシーンは、もうちょっと演出にこだわって長回しで撮ってほしかった気がします。妻役を演じたのは、壇れいさん。宝塚出身で映画初出演とのこと。夫を守ろうとする情感あふれた演技はすばらしかったです。笹野高史さん、山田作品には欠くことのできない名脇役ですが、今回もいじられキャラとしてその存在ぶりをよく発揮しておられました。一番最後のシーンでは、すすり上げる声があちらこちらから聞こえてきましたが、原作を読んでいたのでその感動が半減してしまったのが残念でした。

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2006年11月26日 (日)

映画「ありがとう」

Agt_ma21_1 事実に基づいてつくられた、阪神・淡路大震災とその後を生きた人たちのストーリー。神戸の長田区の商店街でカメラ店を営んでいた古市忠夫(赤井英和)は、突然襲った震災のために、これまで築いてきたきたささやかな幸せを、多くの命と共に失ってしまう。震災後街の復興にたちあがる忠夫の前に、奇跡的に残された自分のゴルフバッグがあらわれ、この奇跡に後押しされた忠夫は、妻(田中好子)にあきれられなからもプロゴルファーに挑戦する道を選ぶ。

 前半は震災の惨状が描かれていきます。家から抜け出して、崩れ落ちた街をみたときの田中好子が「これはどうなってるんや」の言葉が印象的でした。妻を救いきれず、炎に包まれる家の前で娘とたちつくす夫(豊川悦司)の姿に、そのはかりしれない無念さを感じました。このような形で家族との幸せを突然に奪ってしまう災害を前にすれば、人間って何のために生きているのだろうという気になってしまいます。しかし、映画は後半になって、コミカルなタッチも交えながら、それでも「がんばって生きやなあかんねん」というメッセージを送り続けていきます。赤井英和の一本気な力強い演技がいいですね。それを支える妻役の田中好子との軽妙な会話も効いてました。不幸から立ち上がれる力をもつのも人間なのだということを強く感じました。「苦しい時は、歯を食いしばって、顔を上げて、笑ってみる」、泣けるシーンもたくさんありましたが、最後は元気をもらえる映画になっています

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2006年11月12日 (日)

映画「手紙」

Letter1_1 原作は東野圭吾の「手紙」。おおよそのストーリーは原作の感想を書いた僕のブログhttp://hishiya.cocolog-nifty.com/mokumoku/2006/10/post_bf0b.htmlを見てもらうことにして、ここでは映画を観た感想を書かせてもらいます。朝、いつもの映画館につくと、チケット売り場の前は若者たちのスゴイ行列で、なんだこれはと思いきや、係員の「デスノートの席はあとわずかです」の声で事情がわかりました。しばらく列に同じように並んで、ようやく「手紙」の上映館に入るとそこはがらーんとしていて、この落差に肩をすかされたような気分になってしまいました。しかし結論から言うと、人の多さでは負けたものの、内容的には決して劣ることのないとてもいい映画でした。

 原作では感動しても、映画化されるとその感動には遠く及ばないものが多いのですが、この映画は原作が持つテーマをしっかりと映像という方法で表現していました。ただ、はじめは原作で主人公がミュージッシャンとなるところが「漫才師」に変わっており、山田孝之と漫才師のイメージはちょっときびしいなぁと思ったり、主人公の相手役になった沢尻エリカのとってつけたような大阪弁や、不自然な変身ぶりに大丈夫かなと思ったりして観てました。しかし、最後の兄のいる刑務所に慰問に行くシーンで、漫才を聞いて周囲が笑い転げている中、一人弟に手をあわせ泣いている兄(玉山鉄二)の姿は、映像的にすばらしいコントラストでほんとうに胸打たれましたし、また沢尻エリカの「逃げないで道の真ん中を堂々と歩いていくんや」と言い切る姿は、母親としての強さを感じさせてくれるいい演技でした。そして、原作でも重要な場面である電気量販店(映画では実在のK’s電気でびっくり)の会長が、主人公に諭すシーン、杉浦直樹の「差別のないところに行こうとするのではなくて、今ここから生き始めるのだ」というセリフの重厚な演技も見応えがありました。罪を犯すというのは自分だけの償いだけで終わるのではなく、家族にも重い十字架を背負わすという現実があることを認識しなければならない、という主題をよく考えさせてくれていました。

 重く暗い題材の映画の最初と最後を桜のシーンにしたことで、少しでも前向きに生きる明るさを表現していたのにも救われたような気分になれたのも良かったし、最後の場面で小田和正の「言葉にできない」が流れるのも感動的でした。

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2006年11月 3日 (金)

映画「トンマッコルへようこそ」

Photo_031 トンマッコルとは子どものように純粋なという意味。山中深く世間と隔絶し、朝鮮戦争がおきていることも知らないで平和に暮らしていたトンマッコル村。その村へ、韓国軍とアメリカ軍と人民軍の兵士が迷い込み、最初は敵対し銃をつきつけあっていた彼らが、村人が持つ人を疑わない純朴な心にほだされて、いつしか共に暮らし始める。しかし、その村に連合軍の攻撃が始まり・・・

 ストーリー的には三谷幸喜のシチュエーション・コメデイのようで、真剣に戦争しあう両者に対し、戦争よりもイノシシに作物を荒らされることを心配する村人のおとぽけリアクションがおもしろく、場内もよくわいていました。しかし、この映画はメルヘンチックな喜劇では終わらない、なぜ戦争が起きるのかを考えさせる映画になっていると思えました。戦いを知らない村人にとっては、なぜ兵士達がそんなに怒っているのかがわからない。そんな村人の態度を不思議がった北の兵士が「なぜこの村は争いが無くうまくいっているのか」と村長に問うと、村長が「みんなに充分食べさせているからだよ」と答えたところにこの映画のテーマがあるように思いました。北と南の兵士が仲良くなったのも、一緒にイノシシを捕まえてその肉を分け合って食べたところからです。みんなが充分食べられることを幸せに感じていれば、戦争は起こらないはずと。もちろん、イデオロギーあり、領土問題あり、民族問題あり、宗教問題ありでそんな単純なことで言い切ってしまえませんが、どこか真実があるような気がしてなりません。おりしも韓国が食糧難の北朝鮮に対し、ヤギをたくさん贈ったというニュースを見ましたが、「ヤギ」というほのぼのしたイメージとこの映画のテーマがどこかでつながればいいのにと感じました。

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2006年10月28日 (土)

映画「父親たちの星条旗」

Img0791 太平洋戦争末期、日米両軍が死闘を演じた「硫黄島の戦い」を日米双方の視点から描こうとする、クリント・イーストウッド監督作品の第一部。
 クリント・イーストウッド監督はこの作品で戦争の真実を描こうとしているように思えました。戦争当事者の両側から戦争を見つめようとする視点もそのためであるようです。硫黄島の山頂に星条旗を立てるアメリカ軍海兵隊の写真はあまりにも有名で、僕もこの写真は、激戦の結果山頂を奪い取った海兵隊員が真っ先に旗を立てた瞬間を撮ったものと、ずっと思っていましたが、実際にはそうではなかったことをこの映画を観て初めて知りました。それどころか、旗を立てた兵隊達は彼らの意思に関係なく「英雄」にまつりあげられ、戦意高揚と国債調達のために利用されたというのです。「英雄など存在しない。英雄は必要によってつくられるのだ」という最後の言葉が、そのことをよく表していました。国家が戦争の英雄を賛美するとはどういうことか、考えさせられました。

 戦闘場面の描写は場内から思わず悲鳴があがったほどの、凄惨さでした。最近の戦争は敵の姿が見えない戦闘になっていますが、人と人が向き合って殺し合うことの本当の戦争の恐ろしさを、やはり特に若い人には知ってもらいたいです。

 ただ、全体的には少し消化不良になっていることは否めません。それは、「英雄」になった兵隊達のとまどいや苦悩といった心情が、今ひとつ伝わって来なかったことと、「祖国のために戦い、戦友のために死んだ」という言葉がでてくるのに、肝心なその戦友達の人間関係の描き方が希薄だったせいのようです。そういう意味では、第2部の「硫黄島からの手紙」の日本兵の姿の方に関心があります。第2部も是非見たいです。 

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2006年10月21日 (土)

映画「地下鉄(メトロ)に乗って」

1000766_011_1  この秋上映される「浅田次郎ワールド」第1弾・「地下鉄(メトロ)に乗って」が今日から始まりました。

 自殺した兄の命日の夜、地下鉄の出口を出ると、そこはオリンピックを目前にした昭和39年の東京の街だった。地下鉄によって過去とつながる道を得た主人公・真次(堤 真一)は、憎んでいた父親(大沢たかお)の若きころの姿、愛人・道子の母親(常盤貴子)の姿を次々に見ていくことになる。その中で本当の父親の思いを知ることができた真次は、父親とのつながりを再構築するという幸福を手にしたが、真次の幸せを守るために道子(岡本 綾)は・・・・・。

 僕は小さいころ、父親が体験したことを血のつながった自分が共有できないことを不思議に思ったことがあります。父親が見たことや経験したことがなぜ自分の意識の中に残っていないのだろうかと。早く死んだ父親の両親の話、戦争中の話、結婚前の恋愛話など聞かされはしましたが、そのときの父親の姿は想像するだけで追体験などできるはずもありません。しかし、この映画ではそれを現実のものにすることができたというストーリーになっています。家族には強がって本当の姿をさらせられなかった父親の過去の姿をかいま見ることで、主人公は父親との絆を改めて感じとれたのです。人間というのは今という時だけを生きているのではなく、過去との結びつき、未来へのつながりという時間軸の中で生きているという思いをこの作品から強く感じ取ることができました。

 映画では「堤真一」と「大沢たかお」が、いまいち親子と思われないところがあったり、(少しでもそれを感じさせようと、原作にはなかった堤真一のセリフを「べらんめぇ調」にするという工夫は見られましたが)、小説では過去にもどるシーンがあっても、一度立ち止まって頭の中で整理できるゆとりがあるのですが、過去へと走る地下鉄があたかもジェットコースターのようで、原作を読んでいない人には少しきつかったのではないかという気がしました。演技では父親の愛人・お時になった常盤貴子が雰囲気でていましたね。このような役をやらしたら最近では彼女が一番はまるのではないかと思います。 

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2006年10月 7日 (土)

映画「ワールド・トレード・センター」

Img_r21_1  2001年9月11日、その時ニューヨークはよく晴れた日の朝を迎え、映画はいつものように仕事に向かう人々の映像から始まります。その後の自分の運命を知ることもなく、マンハッタン島のツインタワーは青空にまだそびえ立っていました。旅客機の突入後、何がおきたのかよくわからないまま救助に向かったNY警察の警官達が、ビルの崩壊に巻き込まれ、地下のがれきの中生き埋めになってしまいます。生き残った二人の警官、ジョン(ニコラス・ゲイジ)とウィルが身動きが取れぬまま、痛みと喉の渇きに耐えながらも声を掛け合い救助を待つ姿と、事実を知らされた彼らの妻達が不安と焦燥の中、夫のかつての残像を求めながら、ひたすら生きていることを願う姿を交互に描いていきます。

 この映画は惨劇より5年も立ち、アメリカの人々も冷静に考えられるようになったせいなのかも知れませんが、全編静かな曲が流され、それはあたかも犠牲者への鎮魂のようでもありました。テロへの憎悪、報復といった描写はほとんどなく、むしろ映画はこのような窮地の中において、人間の愛や人間の善というものが如何に輝いたかを、訴えかけているように思われました。ただ、日本人ならどうなのかな、というところがいくつかありました。ひとつは、生き埋めになった二人の警察官が互いに「愛してる」と語りかけるシーン、それから神の声に従い救助に向かった海兵隊員や、意識のうすれる中イエス様が水を持ってあらわれるなど「神」が登場するシーン。キリスト教徒ではない自分にとっては「神」や「愛」というのは想像以上のものがあると感じましたが、観念したニコラス・ゲイジが妻に対して「僕は君を充分愛しただろうか」とつぶやくと、幻になって現れた妻が「あなたはまだ台所の修理が残っている。生きて還ってやりとげてほしい」と訴えるところは、宗教や文化に関係無く共感し、泣かされました。アメリカ人の良心を描いた良い映画だと思いました。

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2006年9月30日 (土)

映画「涙そうそう」

Nss_ma3_r2_1 夏川りみによって歌われた「涙そうそう」をモチーフにして作られた作品ということで、作為的な感じの強いストーりーのように思われましたが、沖縄が舞台になっていることが、この映画を救っていました。まず思ったことは、沖縄の言葉というのは、なぜこんなにやさしいのだろうかということです。妹・カオル(長澤まさみ)が、血のつながらない兄・洋太郎(妻夫木聡)に対して「にぃーにぃー」と呼びかけるシーンが何度もあるのですが、なんとも言えない暖かさ、親しみを感じるのです。死の間際に母親から、妹カオルのことを託されただけで、自分の命をかけてでも守ろうとする洋太郎の姿は、人・肉親との結びつきを大切にする沖縄の人たちの話なら、ありえるようにも思えました。それだけ美しく優しい自然に、沖縄は包まれているからなんでしょうね。長澤まさみ、兄に恋をする妹という難しい役でしたが、感情をうまく表現していたように思えます。妻夫木聡も人のいい沖縄の青年役を好演していました。沖縄のおばぁ、平良とみさんもやっぱり出ておられましたね。そのおばあの言葉を生かして、最後のシーンはもうひと工夫あっても良かったのではと思うのですが。

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2006年9月23日 (土)

映画「フラガール」

N0009093_l1_2 昔、「常磐ハワイアンセンター」という名前を見て、なんでこんな北国に場違いな施設があるのだろうと訝しく思ったことがありますが、その疑問がこの映画を観て一気にはらされました。また題名からは及びもつきませんでしたが、この映画は昭和という時代のひとつの追憶となっていました。昭和40年の福島県、常磐炭鉱。エネルギー革命で、石炭は斜陽産業となり、ここでも労働者達に解雇の嵐が吹き荒れていました。その中でヤマを守るために起死回生のアイデアが「ハワイアンセンター」だったのです。石炭を掘るときに出る温泉を逆利用しようとしたのです。 今でいうところの「町おこし」なのでしょうが、それは生き抜くための必死の方策でもありました。「ハワイアンセンター」の建設とは、考えてみれば思い切った冒険に見えますが、高度経済成長に向かう中で、「ハワイ」というのはひとつの夢を表すステータスシンボルだったからなんでしょうね。さて、ストーリーはその「ハワイアンセンター」でフラダンスを踊るダンサーの募集シーンから始まります。ダンサーを夢見て応募する友人に誘われるままに参加した紀美子(蒼井優)。全くの素人の彼女たちを指導するのが、東京から流れてきた元SKDのダンサー(松雪泰子)。閉山に追い込んで、「ハワイアンセンター」をつくろうとする会社に反発する労働者達、素人の娘達への指導に辟易する元ダンサーというような構図の中で、しだいに「ハワイアンセンター」開業に向けて人々の心がひとつになっていきます。紀美子の母の「これまで生きるために、暗い炭鉱の中で辛抱して働くことしかないと思っていたけど、これからは笑顔を見せて働くこともあっていいのではないか」という言葉が、時代の変化を表していたように思えました。元ダンサー役の松雪泰子さん、カッコ良かったです。映画初出演?しずちゃんも地を出した演技でおもしろかったです。最後のフラダンスシーンは圧巻でした。炭住や、昭和40年代の風俗もしっかりと描かれ、なつかしく思いました。今年の佳作に入る映画になるでしょう。

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2006年9月17日 (日)

映画「出口のない海」

General_special_021_1  映画「出口のない海」観ました。結論から言うと、小説の中に描かれていた重要な描写がかなり省かれており、(2時間の映画では仕方がないことですが)充分には原作者の思いが伝わってはきませんでした。小説では心を動かされた、死に向かい合わねばならなかった若者の苦しみや、主人公とオリンピック出場の夢を絶たれた北中尉との確執、恋人との別れなどが、映画では潜水艦内の出撃場面が中心であったため、それらはさらりとした感じの描写でしかありませんでした。ただ、最後の恋人への遺書を語るシーンは、胸に迫るものがありました。今回の映画は人間魚雷「回天」の存在を知らなかった人には、意味があったようには思えるし、小説を読んだものにとっても、視覚的に「回天」の内部構造などがよくわかり、あんなに狭い空間で、死を迎えねばならなかった若者の思いをあらためて考えさせる作品としては成功だったのではないでしょうか。

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2006年9月 9日 (土)

映画「紙屋悦子の青春」

Image11_1 「TOMORROW 明日」「父と暮らせば」の黒木和雄監督の遺作となった映画。映画館でもらったチラシには「NO WAR宣言」キャンペーンとして、これから「出口のない海」など6作品を上映していくそうで、「紙屋悦子の青春」はその第1回の映画ということになっていました。太平洋戦争末期の鹿児島県、紙屋家が舞台。映画の場面は、庭に桜の木があるこの家と、現在の病院の屋上だけ。黒木監督は、ゆったりとした会話と時間の流れを、カメラを落ち着けてじっくりと撮っていきます。ユーモアをもまじえた何気ない日常の会話、しかしその中には戦争によって引き離され、打ち壊された人々のうめきがこめられていました。死地に赴く自分に代わり、愛する人を友に託そうとする明石少尉。とまどいながらもその気持ちを受け止めようとする悦子と、長与少尉。落ち着いた悦子と、木訥な長与の見合いの場面は微笑ましくも、友の犠牲の上でのこととしていっそう痛ましさが募りました。ちょうど僕の両親の青春時代がこの映画と同じ頃で、徴兵される前にあわてて結婚した二人は、新婚生活もそこそこに父はやはり戦地へ行かねばならなかったそうです。そのような話は、戦争中には恋人の数だけ、夫婦の数だけあったに違いありません。日本がアメリカと戦争をしたことも知らない女子学生がいると、大学の先生がなげいていましたが、地味だけれども戦争に向き合った人々の思いをしっとりとたどらせてくれる、このような映画は戦後60年もたった今こそ貴重だと思いました。

 

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