カテゴリー「映画」の記事

2009年11月23日 (月)

映画「なくもんか」を観て

 脚本・宮藤官九郎、主演・阿部サダヲのコラボを観るのは「舞妓Haaaan!!!」に次いで2作目となります。宮藤官九郎という人は、常識には無い、ふっとんだキャラを描く事で、観るものをして笑わずにはおらせないようにする一方、人の心の奥底にある大事なものを、キュツとにぎって離さないストーリーを考える天才であると思います。

 最初、商店街を舞台にした面白おかしい人情ドラマかと思っていましたが、展開は意表をつき、商店街から波紋が外に次々と広がる趣向で、少しもたるむことの無い作品になっていました。

 子どもの時、人前では「なくものか」と決めた主人公が、誰彼に無くお人好しで、八方美人よろしく笑顔を振りまくその裏には、なにが隠されていたのか。

 「泣くこと」は簡単です。感情のままになせばいいのですから。しかし、「笑い」続けると言うことは、相当の意思がなければできないことです。親に見捨てられた主人公の生きていく術(すべ)が、そこにしか無かったとすると、これはあわれ以外のなにものでもありません。やっと結婚し、自分の子どもではないにしろ、ひとつの家族をもったことに対して、言いたいことは「腹の一物の中に包み隠して」、それが家族の幸せだと信じる男。そんなピエロをずっと演じ続けなければならない男の悲しみは、自分のことのようで胸につきささりました。それでも弟に「兄さん」と呼んでもらうために、子どもらに「お父さん」と呼んでもらうために、誠心誠意つくす姿は、やっぱりピエロなんかじゃない、家族の絆を求めてやまない人間の優しさを十分感じさせてくれました。

 いつまでも心に残るいい映画だと思います。それから「山ちゃん」のハムカツぜひ食べてみたいです。また、主題歌になっている「いきものかがり」の「なくもんか」もとてもいい歌です。
 
 阿部サダヲ、さすがの一言につきます。その笑いには凄みを感じさえします。瑛太、悩める弟の役が新鮮でした。漫才もいけてましたね。竹内結子、阿部サダヲとは対照的に、本音で生きる強い女の姿が魅力的でした。

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2009年11月15日 (日)

映画「ゼロの焦点」を観て

 松本清張の原作は読んでいなかったので、犯人捜しも新鮮な気持ちになって観ることができました。

 この作品は舞台を現代に移すことなく、原作そのままの時代を描いたことに意味があるように思われます。それは、戦争の暗い陰を色濃くうつしているからに他なりません。自らも機銃掃射で打ち抜かれた肩の傷を持ち、戦争で死んでいった仲間の姿を引きずって生きている男。生きていくために、戦後アメリカ軍相手に娼婦(パンバン)に身を落としたことをひたすら気付かれまいとする女。男の過去を深く知らぬままに、結婚した新妻。男が過去を払拭し、新しい人生を踏み出そうとしたばかりに、悲劇がおこります。暗い北陸の冬の海が舞台となって、いやが上でも凄惨な雰囲気を醸し出します。

 戦争がなければ、幸せに生きられたはずの人たちというのは、何も戦争で死んでいった人ばかりでは無く、生き残った人たちにもあてはまるということを強く感じました。推理小説的には、謎のある人たちが多く登場しそれなりに、ミステリアスでしたが、最初の殺人場面からだいたいの犯人像は浮かびあがりました。それよりも過去を話したがらない、男と女の過去を尋ね歩く新妻により、明らかになる悲しみの方に心が動かされていきます。

 松本清張生誕100周年記念作品ということですが、「砂の器」と並んで社会に翻弄される人間の姿が浮かびあがってくるような映画でした。
 
 新妻役の広末涼子。見知らぬ夫の姿を追い求める姿が、いじらしく思えました。最後に真相がわかったときに彼女が取る行為には、女の戦いというイメージがぴったりでした。社長夫人役の室田佐知子役の中谷美紀。NHKの「白州次郎」ではその妻役の正子を演じていましたが、雰囲気的には似通うものがありました。我を押し通す強さ、冷たさともろさを併せ持つような気性、それがたいへん魅力に感じられます。元娼婦役の木村多江。僕の好きな女優さんの一人ですが、方言の言い回しがとてもせつなく聞こえて、あわれで涙があふれました。

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2009年11月 1日 (日)

映画「風が強く吹いている」を観て

 今日は映画の日。日曜日と重なったので混雑するかなと、朝の早い目に映画館に向かいましたが、思いの外空いていて、結局開場まで朝マックをして時間をつぶしました。

 「駅伝」と聞くと、たすきを繋ぐという言葉からすでに熱いものを感じてしまいます。一人で走るマラソンとは違い、駅伝の走りには仲間への思いが込められているからです。

 この作品は、個性の全く異なる9人の若者の心を繋いで、一つの「走り」にまで高めていったドラマです。陸上競技にはほとんど素人で、箱根駅伝と言えばテレビで観ることぐらいしか思いつけなかった若者たちを、リーダーのハイジこと清瀬灰二がそれぞれの良さを引き出していく様がいいですね。ハイジは「長距離は才能と努力を天秤にかければ、努力の方に傾く競技だ」と言っていましたが、その努力も「根性」という言葉で強制するのでは決してなく、単調にならず無理をさせずに走らせ続け、少しずつ力をつけさせていくのです。

 それはハイジが一人一人の特性を見抜いて、その特性に応じた練習をプランニングしたり、自信をつける言葉で巧みにやる気にさせたり、そして何よりも、夢を実現しようとするリーダーへの絶大な信頼感があったからこそ、気持ちがひとつになって目標に向かっていけたのだと思いました。

 人間というのは高い目標、良きリーダー、そして強い仲間意識があれば、どんな困難にも打ち勝つことができることを、教えられたような気がします。何のために走るのか、それはより早く走るためではなく、より強い人間になるためであると。さわやかで感動的ないい映画でした。正月にある「箱根駅伝」をまた違う思いで観ることができるかもしれません。
 
 ハイジ役の小出恵介。どんなときも笑顔を絶やさない、そのさわやかな魅力が素晴らしい。スピードを追い求めるランナー・カケル役の林 遣都。映画「バッテリー」で観たときよりも、随分とたくましくなっていました。自信にあふれたいい走りを見せてもらいました。

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2009年10月24日 (土)

映画「沈まぬ太陽」を観て

 今日の公開にあわせて、昨日文庫版の原作・全5巻を読み終えました。主人公・恩地元(おんちはじめ)の苦渋に満ちた人間ドラマを、そして魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する政・官・財の絡みつく人間関係を、どんなふうに映像化するのか、楽しみにしながら映画館に足を運びました。

 しかし映画が始まるとともに目に飛び込んできたのは、そのどちらでもなく、それは1985年8月12日、日航123便御巣鷹山墜落事故でした。原作でも第3巻「御巣鷹山編」として全体のストーリーからは独立的に描かれ、作者・山崎豊子が犠牲者への鎮魂の思いをこめ、また心からの「償い」を見せようとしない上層部への怒りをこめて叙述されています。映画でも明日が来ることを信じて疑うことなく、搭乗前に記念撮影する家族の幸せな姿などが描かれ、冒頭から目頭が熱くなってしまいました。

 固辞していた労働組合の委員長を無理に押しつけられたところから、恩地元の悲劇が始まります。それも平穏にこなしていれば、管理職への足かがりにもなっていたはずなのに、性分としての強い正義感と、与えられた仕事はすべて誠意をもってなしとげようとする律儀さが、私利私欲のためだけに会社を食い物にしようとする輩たちの逆鱗に触れて、海外の僻地勤務に追いやられていくのでした。そして「詫び状を書けば復帰させてやる」という言葉にも乗らず、11年間の流罪にも等しい扱いにもひたすら堪え忍んだというのは、本当に驚くべき「頑固」さと言わざるを得ません。自分の人生のためにも、家族のためにも、どこかでおりあいをつける道はなかったのかと凡人は考えてしまうのですが。
それでも、逆境にありながら常に自分のポストにベストをつくそうとした態度は、立派だと思います。特に遺族に対し誠心誠意をこめてつくす姿は、感動的でした。

 主人公のように報復すら考えず、「組合の仲間を決して裏切ることはできない」と思い詰めている人間は、もう今の社会のどこを探しても存在しないような気がします。それだけに、納得いかないことがあっても、妥協を繰り返しながら生き続けている自分にも、人生のどこかでは「恩地」的な筋を通した生き方が大事かなと思ってしまいました。

 原作にも登場するニューヨーク・ブロンクス動物園に書かれた「世界で最も危険な動物」と言われる人間たちの姿は、原作ほどの「えげつなさ」はありませんでした。経営再建中の日本航空に遠慮したのかもしれませんが。後半は恩地元や行天四郎の露出は原作より多くて、複雑でおどろおどろした人間関係は二人に焦点をあてて整理していたようです。そのため、10分休憩後の後半は迫力に欠けるきらいがあります。
 
 最後の夕陽の中を疾走する場面。「何一つ遮るもののないサバンナの地平線へ黄金の矢を放つアフリカの大きな夕陽は、荘厳な光に満ちあふれている。それは不毛の日々にあった人間の心を慈しみ、明日を約束する沈まぬ太陽であった」というモノローグは、どんな人間の行いも、大自然に比べれば些末なものであるという作者の結局の思いがこめられているようでした。
 
 主人公・恩地元を演じた渡辺謙。会社と家族の間で苦悩する良心ある人間の姿を熱演しておられました。行天の愛人役・三井美樹(原作とは異なる)を演じた松雪泰子、スチュワーデス姿が魅力的でした。

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2009年10月10日 (土)

映画「さまよう刃」を観て

 東野圭吾原作「さまよう刃」映画化作品。出演、寺尾聰・竹野内豊、酒井美紀。

 「さまよう刃」は東野作品の中にあっては、「手紙」と同じく社会派のジャンルに入ると思います。最愛の娘を陵辱されたうえ殺された父親が、法の裁きによることなく、自らの手で加害者に裁きを下すというものです。なぜ父親がこのような行為に走らざるを得なかったのか。それは、加害者が少年であり将来の社会復帰のためには、極刑をもって罪を償わせられないことにありました。しかも何の反省も無く自らの快楽のために、同じような犯罪を繰り返している彼らに対し、殺してしまいたいという感情を抱いてしまうことは主人公のみならずだれしもそうだと思いました。

 僕も二人の娘を持つ同じ父親として、娘を殺されることの悲しみと加害者への憤怒は本当によくわかりました。映画ではそのような父親の姿を、犯人に迫る靴音だけが静かに響くように描いていきます。未来を無くし無念をはらしたいだけの存在になってしまった姿が、よく表現されていたように思います。

 この事件を捜査する刑事が、「警察の仕事は正義の味方か。いや違う。警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとしているのは法律だ」というような言葉を言います。決して復讐は認めることはできないが、法律がすべて正義と言えないのではないかと。

 被害者やその家族の無念を思えば、少年であろうと本当に鬼畜のような犯罪を犯した者へは、厳罰を持って処すべきであるという意見と、あくまで少年の矯正教育や保護のために少年法は必要であるという意見がありますが、もしきょうの映画のような復讐をした父親を裁く裁判に、裁判員として臨んだとすれば自分はどのような正義を持つことができるだろうかと考えてしまいました。

復讐を果たそうとする父親役の寺尾聰。映画「半落ち」でみせたような、感情を抑えた演技がより父親の苦悩と執念をあらわにしていたように思います。刑事役の竹野内豊。警察官でありながら、殺人をおかそうとする者を救おうとしてしまうジレンマがよく伝わってきました。

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2009年9月22日 (火)

映画「カムイ外伝」を観て

 今月は時代劇が数多く公開されていますが、僕自身も「BALLAD」「火天の城」に続きこれで3作目の鑑賞となります。

 白土三平原作の漫画を映画化した作品ですが、同じカムイが登場する「カムイ伝」の方は、中学生のころにむさぼるように読みました。それは支配者に立ち向かう民衆の姿が描かれていたからです。そしてまた、江戸時代の巧妙な差別の仕組みをも学ぶことができました。

 一方テレビアニメにもなった「カムイ外伝」は、厳しい忍者の掟から逃れ、「抜忍」となったカムイの自由を求めた孤独な戦いがテーマになっています。しかしこの映画では、民衆をなぶり楽しむ藩主(佐藤浩市)やその奥方(土屋アンナ)、藩主の愛馬の足を切り落とした漁師(小林薫)、「ひにん」の子ゆえに石つぶてを投げつけられたとき「お前らと同じ血が流れとるんじゃ」と叫ぶカムイ、などの場面に、身分制度の理不尽さを訴えるメッセージが「カムイ伝」同様に込められているように思いました。

 それでもやはり、なんと言ってもこの映画の見せ所は、カムイと執拗な追っ手たちとの息をのむ戦いの場面です。「飯綱落し」や「変移抜刀霞斬り」というカムイの必殺技を初めて実写で見ることができました。どちらもスピード感あふれる特撮で圧倒されました。観ている者の意表をつくような武器の登場させ方や、忍者ならではのその防ぎ方も面白かったです。また、宮藤官九郎の脚本らしく、予想をつかせない展開も見事でした。

 この手の映画では、民衆は農民であることがほとんどのように思いますが、ここでは漁師村が描かれます。階級社会の中にあっては、様々な人々がしいたげられながらも、仲間達と生きていこうとしていた姿があったことを視点を変えて、描いてみせてくれたように思います。ただ最後のこの人達の終わらせ方は、奇をてらい過ぎている感も無きにしもあらずでしたね。 
 
 カムイを演じた松山ケンイチ。フィジカルの強さがよく感じられ、カムイの格好良さをひきたてていました。また次から次へとよくもこれだけと狙われる中で、屈することなく戦い続けるメンタルの強さを見せる一方、漁師家族の団らんを垣間見た時の、さびしそうな表情も孤独なカムイの気持ちが出ていました。

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2009年9月13日 (日)

映画「火天の城」を観て

 「大阪城は誰が建てましたか?」と授業で子どもに聞くと、おどけて「大工さん」と答える子が必ずいます。そんな時「そうじゃなくて、もっと有名な人」と言い直しをさせたりしますが、この映画を観て「そう、その通り大工さん」と子どもの答えも素直に受け取とめてやりたくなりました。

 映画「火天の城」は織田信長の命を受け、安土城を3年で築き上げた男達のドラマ。さしずめ現代で言えば、「プロジェクトX」とか「プロフェッショナル 仕事の流儀」でとりあげられそうな、宮大工の総棟梁・岡部又右衛門とその弟子達の活躍を描きます。

 重機の無い時代に五層七階という「天下一」の城作りに取り組んだ土木技術にも驚かされますが、映画では城作りの過程をドキュメンタリー風に追っていくのではなく、むしろ家族や仲間との葛藤、そして連帯といった人間のありのままの姿を綴ります。特に、田舎大工とさげすまれながらも、京都や奈良の宮大工と渡り合い、信長といえどもこびへつらうことなく、自らの信念を貫き通す岡部又右衛門の強い姿が輝いて見えました。決して妥協を許すことなく、求め得る最高のものを自分自身にも課していこうとする厳しい姿があればこそ、集団の信頼を勝ち取ることができたのだと思いました。「城を組むということは、人を組むということ」という言葉が出てきましたが、いくらカリスマ的な大工であっても、かかわる集団をまとめる力がなければ、壮大なプロジェクトは成功しないということを示唆していたようです。

 また、敵味方や異種の職種を越えて、城作りに心通わせることができたのは、利害損得ではなく、木や石が一番生かすことができる方法を考えようとした職人魂のなせるわざなんでしょうね。それから加えて、戦国時代の大名と大工集団の関係もこの映画を観てよく分かりました。
 
 岡部又右衛門役の西田敏行、誠実さと実行力がスクリーンからよく伝わってきました。その妻役の大竹しのぶ、どんなときも明るく夫を支える姿が胸を打ちました。娘役の福田沙紀、次第に父親を理解していく演技が良かったです。信長役の椎名桔平、スマートなマント姿がやっぱりカッコ良かったです。

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2009年9月 6日 (日)

映画「BALLAD- 名もなき恋のうた」を観て

 クレヨンしんちゃんのアニメ・「 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦」をもとにした実写版。監督は「続always 3丁目の夕日」の山崎貴。
 
 姫とその家臣という身分の差ゆえに、思いを果たし得なかった悲恋にからめ、背を向け逃げてばかりいた現代の父と子が、タイムスリップした戦国時代の非情な合戦の中、ついには勇気をもって立ち向かっていった様を描いていきます。

 セリフもストーリーもアニメ版とほぼ同じなのですが、泣くほど感動したアニメ版ほどには、残念ながら心打つまでには至りませんでした。最大の理由はクレヨンしんちゃんが登場しないといことです。真一という子どもは出てきますが、おばかなことをするわけではなく、ごく普通の気弱な小学生という設定です。アニメ版が感動できたのは、そのしんちゃんや父の野原ひろしが、最後は思いもよらない活躍をしたためです。またタイムスリップにしても、アニメならばアニメのお約束の世界のこととして、納得して観ていられるのですが、実写になるとリアルさや現実さにこだわってしまい、違和感を覚えてしまうのは僕だけでしょうか。

 アニメのシーンには無い、カメラで記念撮影する場面は面白かったのに、あの撮った写真の扱いを工夫するなどすれば、実写版独自の路線も行けたように思います。結論から言えば、アニメ版にこだわらないで現代人など登場させずとも、純粋な戦国時代の物語として描く方がまだすっきりしたかもしれません。美術的には戦国時代の風俗や合戦の有様を忠実に表現していて見応えがありました。
 
 ただ国や愛する人のために必死になって戦ったというのに、歴史にはほとんど何も残らなかったということを知らされた、戦国時代の名も無き人々の思いはどうなのだろうという感想は持つことができました。
 
 侍大将・井尻又兵衛役の草彅剛。鬼と恐れらるほどの使い手ながら、女、子どもにはきわめて弱いというシャイな戦国武士を好演していました。廉姫役の新垣結衣。美しいが気丈でかったつな姫の雰囲気がよく出ていました。エンディングロールで初めて気づいたのですが、斉藤由貴さんが出ておられたのですね。どの役かは観てのお楽しみ。

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2009年8月23日 (日)

映画「南極料理人」を観て

 熊本県在住の生瀬ファンの知人が、是非観たいとブログに書かれていたので、それに触発され僕も今日観てきました。

 昭和基地から1000km離れ、富士山より高い3800mに位置する「ドームふじ基地」。ペンギンすら生息しない氷点下60度の氷と雪だけの世界で暮らす、8人の越冬隊員の物語。

 そう書けば、南極観測のために奮闘する男達の感動的な物語、のように思えますが決してそうではありません。観測の仕事らしいと思えたのは、地下3000mから、コアと呼ばれる100万年前の氷を掘り出す場面くらいで、集められた様々なプロ達の中で唯一プロとしての仕事を果たしていたのは、海上保安庁から派遣された調理担当者だけでした。後はビデオで流れるテレビ体操のモデルさん達のコスチュームにときめいたり、夜はサロンに様変わりする医務室でお酒を飲んだり、なんとか長い孤独な南極の生活を楽しもうとするエピソードがたくさん描かれていくだけです。「パチンコがしたい」、「脱走したい」とか次から次に出てくる本音の告白にも、隊員たちが本当にどこにでもいる人たちと同じで、とても共感を覚えました。

 その中で、みんなの楽しみの一つである食事作りに真剣に打ち込んでいるのが、この映画の主人公です。みんながおいしそうに食べている姿を、幸せそうに眺めるところのまなざしがいいですね。また、食べたいものを聞き、何とかその食材を調達しようとする料理人魂が素晴らしい。缶詰や冷凍食品だけで、よくぞあれほどの料理ができるもんだと感動してしまいました。特にみんなのリクエストで、伊勢エビがエビフライになったシーンは爆笑でした。どんな過酷な場所でも、食べていくことに幸せを感じれば人間は何とか生きていけるということでしょうか。ストーリーとは関係ありませんが、舎内のあちこちで張られていた「1分=740円、長電話は身の破滅」などといったたくさんの注意書きがおもしろく、食事、排泄、水の確保など、南極での生活にこだわった人間くさい映画になっていました。
 
 几帳面でいて料理にこだわる「南極料理人」役を堺雅人が、手さばきも堂に入った演技で秀逸でした。特にあの笑顔が印象深いです。また科学者らしくない寂しげでおとぼけな雰囲気を、生瀬勝久が好演していました。そのほか身分の隔てもない裸の男達のキャラを、個性的な役者がそれぞれ演じていて、ユニークな作品に仕上がっていました。沖田監督は、セリフよりも間や表情を大事にして、役者の生の演技力を引き立て、よりおかしみを増す手法が素晴らしく思いました。

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2009年8月 1日 (土)

映画「アマルフィ 女神の報酬」を観て

 先月の末に3日間のプチ夏休みを取り、1本の演劇と2本の映画を観ました。舞台は「異人たちとの夏」、映画は「ノウイング」と「アマルフィ 女神の報酬」です。

 映画の方では、前者が迫力ある映像とニコラス・ケイジの演技が良かったものの、ストーリーが陳腐で期待はずれでした。逆に後者は2時間15分があっという間に過ぎてしまうほどの、面白い作品になっていました。
 
 「アマルフィ 女神の報酬」は「ホワイトアウト」の真保裕一の脚本。内容はサスペンス&ミステリー風でよく練られていたと思います。映画の構成も、伏線を張り巡らせ、謎解きで観ている者の頭を疲れさせてしまうというような展開では無く、新しい事実をスピーディに次から次へ積み上げて真相に迫る手法で、ひとつひとつ納得して映画の流れの中に乗っていくことができました。

 そしてなんと言っても、イタリアのロケ。日本人観光客が減少しているといわれるイタリアの観光PRに作られたのかと思われるほど、存分に見せて頂きました。アマルフィ、初めて聞く町の名前ですが世界遺産にも指定されているようで、海に面した断崖絶壁に張り付くように立ち並ぶ家々が素晴らしい。

 さらに観光地の美しいさだけではなく、スリが横行したり、ちょっと脳天気なイタリア警察が登場するなども、イタリアの雰囲気をよく表していたと思います。ただその分登場人物の関係がじっくり描きこまれず、消化不良の面もありましたが。
 
 主人公の外交官を演じた織田裕二、SPのような職務の外交官が本当にいるのかよくわかりませんが、ゴルゴ13のように孤独で陰のある雰囲気を漂わせ、理知的にそしてアグレッシブに解決していく様はなかなかカッコ良かったです。相手役の天海祐希、ベランダで一人タバコをくゆらすシーンや、子どものために必死になってピストルを振り回すシーンなどは圧倒的な魅力と存在感がありました。

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