カテゴリー「観劇」の記事

2009年12月13日 (日)

「海をゆく者」 大阪公演 13日

 今年の観劇納めの舞台となりました。小日向文世、吉田鋼太郎、平田満、大谷亮介、浅野和之と、男優さんばかりの演劇で、バイプレーヤーとして一流の方たちを、これだけよく集めたと関心してしまいました。

 人生の折り返し点をとうに過ぎた、おじさんたちの物語。舞台一杯にわびしさやさびしさ、そしてもの悲しさが漂っています。清潔感や身なりをも気にすることなくなり、ただ酒やカードにうつつを抜かす日々。それでもクリスマス・イブの夜は仲間と楽しく過ごすことで、幸せを感じる人たち。

 わがままな男がいたり、調子ものの男がいたり、人生の敗者のような男がいたり、それでも、同じ町で生きてきた者同士、「海をゆく者」であるかのように、波に流されまいと見えないロープで結ばれている絆を感じました。

 そこに登場する、魂を奪いに現れた悪魔。彼らには気がつかなかったのかもしれないけれど、その絆が、悪魔のもくろみをくじいたことになったのではないでしょうか。かっこよくもなく、まして品も失った「おじさん」たちですが、そのペーソスは、若者には無いストーレートな暖かみに変わるようにも思えました。年を取るのも決して悪くはないと。

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2009年12月12日 (土)

「フロスト/ニクソン」大阪公演 12日 昼の部を観て

 舞台で演じられた、両手をあげてVサインをつくるポーズに、ニクソン大統領を懐かしく思い出しました。それはちょうど自分が正義感あふれる高校生のころで、ベトナム戦争やこの作品で描かれた「ウォーターゲート事件」から、当時はニクソンに対して(その名前からしても!)、辛辣な評価を下しておりました。

 その大統領を演劇界の大御所、北大路欣也が演じています。どっしりと落ち着いた雰囲気の中で、だれもが気づきにくい思考を展開したり、相手をいなすような発言は、知らないうちに人を圧倒して飲み込んでしまうパワーを感じました。

 その難攻不落のニクソンにインタビューを挑むのが、仲村トオル演じる人気ニュースキャスター、デビッド・フロストです。フロストは私財を投げ打って、このインタビュー番組を企画しましたが、それはあたかも、言葉のボクシングのような壮絶な戦いになりました。セコンドたちのアドバイスを受けながら打ち合うフロストですが、やはり役者が違い、老獪なニクソンの前にはほとんど決定打の無いまま終盤を迎えてしまいます。

 その中で、場外ではニクソンが思わずフロストに自分の境遇について本音をもらす場面があります。それは真剣勝負をするものにしかわからない、心の通わせ方だったのだろうと思います。しかし思わず心の弱さを見せてしまったニクソンにとっては、それが敗因となりました。最後、フロストにつきつけられた証拠に、「大統領であれば不法も不法ではなくなる」と口を滑らせたことで、すべてが終わりました。結局、その一言でニクソンは重い肩の荷をおろすことができ、本当の自分らしい「人間ニクソン」に戻れたのではないかと感じました。

 「政治とショーの境目は無い」というようなセリフがありました。見せ物という言う意味ではどちらも同じで、うまく演じきらないと幕を下ろされてしまう。政治家もつらい仕事だと、ニクソンに少し同情してしまいそうになりました。

 そのほかに、佐藤アツヒロらが出演。シンプルな舞台美術でしたが、演技者の計算された細かい動きが印象的でした。

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2009年11月29日 (日)

「奇跡の人」 大阪公演 28日 昼の部を観て

 これまでずっと「奇跡の人」というのは、ヘレン・ケラーのことだとばかり思っていました。しかし、劇場で買ったパンフレットのタイトルが”THE MIRACLE WORKER”とあり、WORKER、つまり教師、アニー・サリバンのことであったと初めて知りました。
 
 それだけにこの舞台は、言うまでなくサリバンを中心に展開していきます。愛と呼ぶにはあまりにも妥協を許さない厳しさ、教育と呼ぶにはあまりにも壮絶な格闘、あたかもそれはヘレンに対するサリバンの未知との戦いのようでもありました。なぜ、そこまでサリバンはヘレンにこだわろうとしたのか。それは、影絵として登場してくる、貧しさの中で死別した弟の存在が示唆しているように思えました。弟に果たせてやれなかった思いが、彼女をしてこの困難に立ち向かわしめているのではないかと。

 とにかく彼女は小さな金庫のように見える三重苦のヘレンに対して、その魂の扉をあける「かぎ」を探し求めて悪戦苦闘を繰り返します。ひとつは、両親の哀れみのために何一つできなかった身辺自立を、ヘレンの反逆にあいながらも執拗に要求し続けます。そして、もうひとつは「言葉」。ものには名前があることを、指文字を使って何度も、何度も繰り返し教え込んでいきます。

 そして有名な場面。ポンプから流れ落ちる水をヘレンの手のひらで受け止めさせたとき、それがついに”WATER”とわかるのです。 その瞬間にヘレンのかたくなであった魂の扉が解き放たれ、外の世界と結びついたのです。サリバンの手のひらに指文字で”TEACHER”と返した時、感動で涙があふれてきました。人間にとって「言葉」というものが、どれだけ人間たらしめるものであるかを教えられた気がしました。
 
 事実とは異なる脚色された舞台であったかもしれませんが、こどもの心の金庫にしまわれた大事な宝物をどう引き出してやれるのか、それが教師のつとめだと改めて感じました。 

 サリバン役の鈴木杏。観客に聞かせるためのセリフ、見せるための演技ではなくて、まさに生きたサリバンを全身全霊で表現されていました。ヘレン役の高畑充希。しゃべろうとしてしゃべれないもどかしさ、伝えたいのに伝えきれない悲しみ、でも時々見せるこどもらしい無邪気さ、とても難しい役だと思いますが、その必死さが心を打ちました。

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2009年11月22日 (日)

キャラメルボックス 2009 クリスマスツアー"AN ANJEL EARS'S STORY " 21日 神戸公演 昼の部

 今回のクリスマスツアーは、他人の心の声が聞こえるという「天使の耳」を持った男の話。いわゆるテレパスという超能力と似ていますが、違うのは人の心を読もうとするのではなく、自分の意思とは裏腹に自然と聞こえてくるというものです。怪我をして現れた出版社の社長が、社員になぜ自分はこうなったのかを、時間を戻し話始めるというキャラメルらしい展開になっています。

  「人の気持ちがわかるというのは、不幸なことだ」と男は言います。今ままで尊敬されているとばかり思っていたのに、心の声では娘や息子に「くそオヤジ」と言われているのですから。確かにそんな言葉は聞きたくはありません。しかし、作者は心の声が本当のその人の気持ちとは限らないとします。さらに自分をだましてでもその奥には、隠された本心があると。そこまで考えると、自分の本当の心というのは、自分にもわからない無意識の世界にあるような気がして、不可解極まります。
 
 なんか心理学か精神分析のように難しい話になってきましたが、実際の舞台はそんなことを深く考える必要もないように、コミカルに展開していきます。出演者が入れ替わり立ち替わり、心の声の役になって後ろにつくというおもしろい演出になっています。ちょっとせわしない感もなきにしもあらずですが、声役の人が風貌までまねしてしゃべろうとするところはよく受けていました。そしてやっぱり最後は、クリスマスらしい心温まる話になっていました。

 「天使の耳」はエンジェルだけが持つのがいいようです。人間にできることは、人の気持ちに共感できることだけでいいと思いました。
 
 天使の耳を突然持つことになった社長を演じた、西川浩幸さん。絶妙の間やセリフの切り返しがさすがでした。

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2009年11月14日 (土)

劇団☆新感線「蛮幽鬼」大阪公演 13日 夜の部を観て 

 去年、劇団☆新感線の「五右衛門ロック」で、そのスペクタルな冒険活劇に魅了され、是が非でも「蛮幽鬼」は観たいと思いを募らせていました。

 しかしいろいろな先行予約にかけましたが、ことごとく敗退という惨憺たる結果に終わってしまいました。それでも平日の夜のチケットは何とかゲットすることはできたものの、センターではない2階席の一番奥まったところという、きわめて観劇環境の悪いところで観る羽目に。観客席を駆け回る出演者たちの姿はほとんど見えず、1階席から笑い声がおきる舞台袖の場面は何のことかさっぱりわからず。とは言うものの、さすがに「いのうえ歌舞伎」。それが持つ凄まじいばかりの迫力は十二分に体感することができました

  「蛮幽鬼」、この作品は「巌窟王」をモチーフにした復讐劇です。先日の朝日新聞の演劇評に「後味は重く暗い」とあり、卑劣で人間の暗闇ばかり見せられるのかと少し懸念していましたが、そんな評にあがらうかのように、橋本じゅん、山内圭哉、高田聖子、村木よしこらのキャラは爆発して「えっ、なんでこんなところでそんなんすんの」というような大阪のノリをねらったアドリブや、市橋容疑者ネタもさっそく入り、結構楽しませてもらいました。
 
 しかし、主な登場人物が次々と殺されていくという意味では、「蛮幽鬼」というタイトルもどこかホラー的に見えてきます。新聞評にあったように「おもしろかった」という娯楽劇では終わらないところに、作者・中島かずきの人間の描き方へのこだわりが感じられました。

 ただ友を殺され、その罪をかぶせられた主人公が10年もの間監獄島で幽閉されたことへの復讐という割には、ほとんど復讐らしき追い詰め方をしていないことに、物足りなさを感じました。また、復讐をおこさせる発端になった事件にしても、多くの人が重層的に絡み合って、だれが本当の黒幕なのか、復讐すべき相手は本当はだれなのか、なかなか見えてはきませんでした。たぶんサジと呼ばれる悪魔のような暗殺者にその任を与えたかったのでしょうが、それも背筋が凍り付くような情念では無かったような気がします。そこまで人間は悪くはないという中島かずきさんの優しさがあったのかもしれません。
 
 その中でも「舵をだれがとるかばかり張り合って、やつらは船の目的地をみつけようとしない」というセリフにあるように、どの時代でもあるどろどした人間の権力闘争はよく表していると思いました。
 
 主人公の土門を演じた上川隆也。「キャラメルボックス」のダンスで培ったと思うその立ち回りが見事でした。また前半で憎しみをたぎらせていく場面、後半の許嫁であった女性への思いが葛藤する場面などすばらしい演技だと思いました。サジ役の堺雅人。「ボク」という一人称で笑みを浮かべて人を殺す姿に、冷徹で残酷な雰囲気をよく醸し出せていました。初めて観た早乙女太一。その立ち回りの柔らかな華麗さと、最後まで恩義を果たそうとする健気さが心を打ちました。

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2009年10月 4日 (日)

東京セレソンデラックス「流れ星」 大阪公演 4日昼の部を観て

 学校にいつも来られている教材業者のSさんに、たぶん知らないだろうと思いながら、東京セレソンの「流れ星」の観劇の話をすると、『私は初日に観てきました。初日だったんでアドリブは少なかったですけどね』、という思いもよらない返事が返ってきて驚いてしまいました。演劇通の間ではけっこう人気のある劇団だったんですね。

 東京セレソンデラックス。僕が初めてこの名前を知ったのは演劇からではなく、この劇団を主宰されている宅間孝行が、監督・主演をされていた映画「同窓会」を観てからです。おもしろく意外性のある展開と、情感のあるストーリーにひかれてしまいました。それからテレビで放映されていた「夕」と、DVD化された「歌姫」を立て続けてみました。どちらも方言がノスタルジックで、登場人物は見た目によらず善人ばかりで、最後は人知れなかった悲しい思いに涙するというスタイルにぐっとくるものがありました。
 
 BRAVAの客席に着くと、開演前から懐かしのメロディーが流されていました。最後に流れたちあきなおみの「4つのお願い」は、このお芝居のモチーフにもなっていました。

 「流れ星」は1970年の頃が舞台になっている「昭和もの」のジャンルに入るお芝居です。70年から今を見て、忘れてしまっている大事なことを宅間孝行がいろいろな登場人物の言葉を借りて、語っているようにも思えました。豊かなモノが決して人を幸せにしないとか、人間を決してさげすんではいけないということなどです。そして一番言いたかったのは、自分に何をしてくれたかばかりを考えていては、本当の愛は見えてこない、本当の愛とは相手の幸せを人知れずとも願うことであると。

 こんなことばかり書くといたってシリアスなお芝居のように見えますが、それはとんでもないこと。下宿に巣くうそれは、それはユニークなキャラの人たちが、これでもかと言わんばかりに登場し、涙腺ならぬ「笑腺」を刺激しまくります。特に路上詩人の田淵兼子さん(別名 しらゆりあやめ?)はちびまるこちゃんに出てくる野口笑子とだぶって見えましたが、その圧倒的な存在感は夢にも出てきそうでした。伏線もたくさんひかれて、謎解きのおもしろさもあるお芝居にもなっていました。流れ星のかけらを集めて願いをかなえるというのも、ファンタジーでいいですね。また、新作ができたら是非観たいと思います。

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2009年9月19日 (土)

演劇集団キャラメルボックス2009オータムツアー「さよならノーチラス号」19日 大阪公演

 脚本家・成井豊の実体験に基づき、書かなければ死ねないという痛切な思いで描いた作品。
 
 夜逃げした両親と離れて生活していた小学6年のタケシは、夏休みを両親が住む家で過ごすことになるが、そこには言葉をしゃべれる犬がいて・・・・。
 
 ちょっと脳天気な両親に対して、取り残された悲しみを抱くタケシ。そんなタケシの気持ちに寄り添うことができるのが犬のサブリナ。たまたま知ることになったひき逃げ犯を明かそうとするタケシに、本当にやりたいことは何かを考えることの方が大事と、サブリナが語りかけます。そして、あこがれの「ノーチラス号」のネモ船長の姿を、自動車修理工場の社長である勇也に求めるタケシは、自分らしく自由に生きていこうとします。
 
 少年から大人に変わりゆく姿が、切なくもあり、またたくましくもあるように思えました。その言葉を必要とする少年にしか聞こえないサブリナの声は、心の中でうごめき葛藤する自分自身の声だとわかりました。キャラメルにしてはちょっとテイストが違うのは、そのあたりが原因にあるようですね。
 
  タケシ役の多田直人、少年らしいひたむきさと苦しみがよく伝わる演技でした。勇也役の岡田達也、髪型がおかしかったですが、自分を貫く意志の強さを感じられました。サブリナ(犬役)の坂口理恵さん、犬になりきっておられさすがでした。

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2009年8月23日 (日)

演劇集団キャラメルボックス2009サマーツアー「風を継ぐ者」大阪公演 22日 昼の部

 キャラメルの時代劇はDVDでは何度か観ましたが、生の舞台ではこれが初めてです。特に今回の「風を継ぐ者」は僕の好きな幕末を、しかもかの新選組の隊士を描いているので、大変楽しみにしていました。シアターBRAVAに入ると、キャラメルのブタ君の旗に並んで「誠」・新選組隊旗がかかっており、ムードを盛り上げていました。

 新選組と言えば、血塗られた非情の剣というイメージですが、そこはキャラメル。逃げ足はマラソン選手並のスピードだけど、腕はからきし駄目という新入り隊員・立川迅助や、襲撃の前には必ずお腹が痛くなるという三鷹銀太夫たちのダメ隊士の登場に、たっぷり笑わせて頂きました。

 しかし、池田屋事件の立ち回りなどはけっこう迫力があり、これぞ新選組という見所も随所に。そして最後は、沖田総司の悲恋など、幕末の激動に人間の心も絡め取られていく様に心打たれました。

 キャラメルらしい、笑い・アクション・涙という三要素が時代劇という背景にいっそう映えて、すばらしい舞台だったと思います。

 剣でもって武士らしく生きようとした新選組、政略でもって時代を変えようとした倒幕派たち。何かをしなければならないという思いを抱き、幕末を駆け抜けた若者達の風を感じることができました。
 
 勘定役を演じた阿部丈二、コミカルな仕草や演技を楽しませてもらいました。沖田総司の畑中智行、沖田にしては少年すぎるように思いましたが、カッコイイ剣のさばきとは裏腹のシャイな心がよく伝わってきました。桃山鳩斎を演じた西川浩幸、おかしな英語と絶妙のタイミングのセリフに貫禄を感じました。たか子役の岡田さつき、そのサービス精神は健在です。秋吉剣作役の石原善暢、今日が誕生日ということでカーテンコールは「ハッピィバースディ、ディア イッシー」の合唱。36才です、というコメントに場内はどよめいてましたが。他の皆様も熱くて楽しい舞台、ありがとうございました。

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2009年7月30日 (木)

「異人たちとの夏」~大阪公演 29日昼の部~を観て

 今日は僕の誕生日。さすがにこの歳になると、これまでにいろいろな人の死に巡り会いました。両親、親友、同僚、そして教え子。「異人たちとの夏」はこのように、もうこの世にはいない人たちとの、不思議なめぐりあいを描いています。

 山田太一の小説で読み、映画化された作品も観て、そして今度は舞台。亡くなった両親にもう一度会いたいと思う気持ちがあるからか、やっぱり観てしまいました。


 特に最後のすき焼き屋さんの場面。成長した息子を見届け、再び旅立とうとする父と母から、そんな立派な親にも夫にもなれなかった主人公が「よくここまでがんばったね」と声をかけられ、泣きながら「お父さん、お母さんありがとうございました」と頭を下げるシーン。ここは舞台になっても、いや舞台だからこそ今まで以上に、涙無くしては観ていられませんでした。両親が使っていた「わりばし」をそっとしまうところが、また切ないですね。
 
 夏はお盆があったり、終戦記念日があったりで亡くなった人のことをより考えてしまう季節です。これまでは、僕も自分という生きている人間の立場でこの季節を迎えてきたように思います。しかし、今日この作品を観て、亡くなった人からは、今の自分はどのように見えているのだろうかと考えてしまいました。両親からは、友達からは、なんて言われるのだろうかと。最後に主人公が言う「亡くなった人の気持ちを考えることで、自分は生きているということを感じることができる」というセリフも、心を打ちました。このお芝居のように、懐かしい町を歩いていたら亡くなった両親にふと出会えて、「元気にやっているか」なんて声をかけてもらえたら、どんなにうれしいことかと思ってしまいました。
 
 演出の鈴木勝秀と主演の椎名桔平のコラボは、一昨年の「レインマン」以来となります。今回も情感あふれるいい舞台でした。椎名桔平は何もかも失った孤独感が、異人たちとの出会いと別れにより、又生きていく意味を見いだしていく演技が素晴らしかったです。「レインマン」では華麗なリフティングを見せてもらいましたが、今回のキャッチボールも見事でした。初めて舞台で内田有紀を観ましたが、チャーミングな雰囲気から、最後はおどろおどろしくなるあたりの演技は見応えがありました。父役の甲本雅裕。なかなかの適役だったと思います。

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2009年7月19日 (日)

「炎の人 ゴッホ小伝」 19日 大阪公演を観て

 この劇で描かれるゴッホとゴーギャンと言えば、三谷幸喜の「コンフィダント・絆」を思い出します。そこでは創作上の物語として二人が登場していましたが、この「炎の人」では、史実にそってゴッホの生涯を展開させていきます。

 最初の場面は、思いがけず炭鉱のストライキから始まっていました。知らなかったのですが、ゴッホは画家になる前はキリスト教の伝道師をめざしていたのですね。貧しい人々のために献身的につくしていたことが描かれています。この作品を書いた三好十郎は、プロレタリア劇作家からスタートしたということもあり、ゴッホを通して見ようとしたのは、その日の食べ物にも事欠く労働者や、娼婦、売れない画家という社会の奥底で生きる人々の姿でした。そしてゴッホが描きたかったのは、そんな「土にまみれたジャガイモ」のような貧しくても、つつましやかで逞しい人々でもありました。

 しかし彼は結局、貧困や失意の中でパリに向かいます。パリで待ち受けていたのは、ロートレックやゴーギャンなど印象派の画家達。それに日本の浮世絵の影響も受け彼は、様々な技法をこらした絵を完成させていきます。だれかれなく議論をふっかけ、昂揚した気分に変わったことが演技からもよくわかりました。しかしそんな絵だけにしか打ち込めず、自分の考えを曲げないゴッホは「めんどうくさい人」としか観られず、絵の才能も認めれることはありませんでした。純粋な芸術だけではものにならず、社交性や受け狙いの要素を持ち合わせていないと大成しないということでしょうか。このあたりからゴッホの苦悩が始まります。

 第2幕は、ゴッホの絵が舞台いっぱいに映し出され、展覧会のような雰囲気で始まります。混乱したパリからはなれ、南仏のアルルでの生活が始まったとき、ゴッホらしいうねるような独特なタッチの絵が次々と誕生します。しかしここでも、絵を楽しみのために描こうとするゴーギャンと、禁欲的に絵に打ち込もうとするゴッホは対立してしまいます。自分の心の中の悪意とも戦わねばならなくなったゴッホは、ついに精神に変調をきたしてしまうのです。自分の「ひまわり」の絵を切り裂き、ナイフで自分の耳をきりつけるあたりは、鬼気迫るものがありました。
 
 生涯、1枚しか絵が売れず、最後は自殺で果てたゴッホ。何のために絵を描きづけたのか知るよしもありませんが、エピローグで語られた次の詩は胸を打ちました。
     貧しい貧しい心のヴィンセントよ!
     同じ貧しい心の日本人が今、
     小さな花束をあなたにささげて
     人間にして英雄
     炎の人、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに
     拍手をおくる!
  飛んできて、聞け!
    拍手をおくる!
今度、ゴッホの絵を見る機会があったら、彼の無垢の魂を少しでも感じ取れたらと思います。

  ゴッホを演じられた市村正親さん。内省的なブリュッセル時代、どん欲的なパリの時代、そして、充実と苦悩があやなすアルルの時代、それぞれのゴッホをたくみに、しっかりと表現されていたと思います。ゴーギャン役の益岡 徹さん。かもしだす雰囲気がまさにゴーギャンでしたね。三役をこなした荻野目慶子さん。女性の生き様が鮮烈でした。 

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