カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2007年10月21日 (日)

田村裕著「ホームレス中学生」を読んで

 麒麟の田村裕の中学・高校時代を描いた作品。 

 ほとんど「タレント本」というのは読んだことがないし、興味もおきませんでしたが、今回この本を買って読んでみようと思ったのは、中学校の教員としてタイトルの「中学生」という言葉に関心を持ったのと、田村少年が通っていた中学校は、自分が勤める中学校と同じ市内にあり、親近感を感じたからでした。

 父親の「(家族)解散!」宣言により、中学生が「家」を失い、ひとり公園のウンコのような形をしたスベリ台の下で生活するなど、全く想像できないことです。大人ならたとえ「ホームレス」になったとしても、何らかの知恵で生き延びる手段は考えついたであろうに、お金もない少年にとってはひょっとすればそれは「死」をも意味していたと思います。しかし、作者は強がりを見せたかったのか、その生活に耐えようとします。ちびっ子達の襲撃、ハトとのエサの取り合い、すさまじい話が続きますが、お笑いタレントらしくこのあたりは、おもしろおかしく書かれています。しかし、その書きぶりが一変するのは、母親の死を語るあたりからです。自分の生に意味を見いだせなくなくなった田村少年は、母にほめられるような「死」を模索しようとします。このあたり、その心象風景に涙せずにはおれませんでした。そこへ、自分の心を開いて接してくれた高校教師との出会い。道徳の本に書かれたような「励まし」では、きっと作者は立ち直れなかったことでしょう。けっして教師くさくない工藤先生の人間的な言葉が彼を変えていったのだと思います。

 今、中学3年生を相手に進路指導をしていますが、ここまで自分と向き合って「漫才師」の道を選んだ田村君に、学ぶべきことは多いように思いました。

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2007年10月 9日 (火)

宮部みゆき著「楽園」を読んで

 長い残暑の終わりを告げる場面でこの物語がエンディングを迎えたように、猛暑の8月から読み始めて、ようやく今日読み終えました。特に上巻は気をもませるほどスローな展開だし、筋とは一見関係ない内容にどんどんはまりこんでいったりするので、なかなか「読欲」がすすまなかったのですが、下巻に入り伏線がつながりはじめて、今までの10倍ぐらいのスピードで読み終えることができました。しかし、宮部みゆきさんという作家は、ストーリーの奇抜さもそうですが、会話文にかけても絶妙ですね。というか、この長い物語ほとんどが登場人物たちの会話で成り立っていると言っても過言ではないと思います。その会話の中に主人公の前畑滋子さんの心の中でのツッコミや、会話の裏にひそむ心情描写が巧みに盛り込まれていきます。それゆえに、女性らしい感性のきめ細やかな作品になっているのだと思います。
 
 主たるテーマは「どうしようもない身内を持った場合、家族はどうすればいいのか」という重い課題です。誰しも切り捨てなければ得ることのできない「楽園」があると。神のような全能な幸せなどあるはずがない。すべて何かの犠牲を支払った代償としての「楽園」なんだと。リアルで実際に存在するかのように感じさせる書きぶりの中で、ミステリー小説を越えた深い人間の業のようなものを考えさせられる小説となっています。

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2007年8月17日 (金)

天童荒太著「包帯クラブ」を読んで

9月に公開される映画の原作。ちくまプリマー新書。

 両親の離婚というつらい現実をかかえた高校2年生の「ワラ」と呼ばれる高2の少女を中心に、メンバーが心の傷を受けた場所に包帯を次々に巻いていくというストーリー。考えてみれば他愛の無い、子どもの遊びなのかもしれませんが、天童荒太というセンシティブな作者によって、一人の人間が受けた心の傷を周りの者がどのようにかかわっていけるのかを、深く考えさせられていきます。物語の中で人のつらい想いをダイナミックに感じようとするのが、「ディノ」という少年です。彼は戦争、難民、飢餓などで苦しんでいる人の気持ちを1万分の1でも追体験したいと願い、傍らからみれば奇行にしか思えない行動を繰り返します。作者はこう書いています。「世界の片隅のだれかが、知ってくれている、私の痛み、私の傷を知ってくれている・・・だったら、私は少なくとも明日生きていけるだけの力は、もらえるんじゃないかと」
「自分以外の人の、どうして傷ついたかという話は、私たちの世界を広げてくれる。自分が一番傷つきやすく、一番繊細だって、知らないうちに自己チュー、高ピーになっていた内面のこだわりを人の傷や痛みがいつのまにかほぐしてくれる」

 人は互いの心の傷を共有することで、つながっていけるのだということを作者は言っておられると思うのですが、これはもう青春小説を超えて実存主義哲学の世界ですね。でも、大事なものを感じる力を一枚、一枚脱ぎ落として自分を守るためだけに生きてしまっている我々大人にとっては、この話は胸にこたえるものがありました。

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2007年7月28日 (土)

瀬尾まいこ著「卵の緒」

 瀬尾まいこさん、なかなか新作が発表されないのは、きっと教師としてのお仕事が忙しいからだと思っております。そんなおり、デビュー作の「卵の緒」が文庫本になったというので、さっそく読んでみました。瀬尾さんらしい優しい文体に散りばめられた、みずみずしい感性、これがデビュー作と思えないほどの完成度の高い作品です。本のタイトルになっている「へその緒」ならぬ「卵の緒」からして、発想の妙を感じさせてくれます。親子のつながりを、「へその緒」のような目に見える確かなものに求めるのではなく、それがほんやりとして見えないものであったとしても本当に相手を心から好きで愛しているかにかかっていると。この作品は映画化もされた「幸福の食卓」につながるようにも思えます。突然「お父さんをやめる」と宣言した「幸福の食卓」に出てくるお父さんのように、この作品のお母さんの君子さんもなかなか魅力的な存在です。普通のおかあさんなら決して口には出さないようなことを、軽妙でありながらズバリと息子に語りかけています。それは、形やスタイルにこだわり息苦しくなってしまっている今の社会において、本当に大事な人と人とのかかわりは何かを示唆してくれているようにも思えました。

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2007年7月22日 (日)

東野圭吾著「夜明けの街で」

Book1  この本の帯には「新境地にして最高傑作」とあります。最高傑作かどうかはよくわかりませんが、新境地であることは確かなようです。この小説には頭脳明晰な刑事は登場しませんし、策略に長ける犯罪者も登場しません。この小説のほとんどを割いているのが、世間では「男」と見なされなくなった妻子ある中年のサラリーマンが、ついに一線を越えて「不倫」という甘美の世界に落ち行く様です。妻への偽装工作などがつぶさに描かれ、同じ男性としてかなり「ハラハラ・ドキドキ」させられるものがあります。また、倦怠期を迎えた夫婦の結婚生活についても、『自分の長所をアピールしあうのが恋愛なら、短所をさらけ出し合うのが結婚だ』とか、『結婚している殆どの男は、もう昔のような気持になることがないとわかっていながらも、一生そのままでいこうと決心しているのだ」とか言い得て妙な言葉をも多く散りばめられていて、男性読者の共感を呼び起こすかのような作品になっています。あえてミステリーと言える部分は不倫相手の女性自身でしょうか。彼女の不可思議な言動が結末の伏線となっていくのですが、その心象風景にはあまり感情移入できませんでした。ただ、どこにでもいるようなサラリーマンの恋が、深い淵を持つ女性の心にはまりこんでしまう情景描写は、さすがに東野圭吾らしく迫力がありました。

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2007年3月17日 (土)

青山七恵著「ひとり日和」

430901808401_aa240_sclzzzzzzz_v45042698_  今年度芥川賞受賞作品。一人住まいの老女の家に下宿した、21歳の女性の1年間の生活を四季を追って描いた作品。このような若い女性によって書かれた文学作品は、瀬尾まいこさんを除いて読むのは初めてのことで、どうしても共感できない心理描写や文体に、正直いって読み始めてしばらくして断念してしまいました。その後、きっと作者は共感してもらおうと思って書いているのではない、自分の思いや感じをありのままに表現しているだけなのだと気づき、作品に入り込むのではなくその表現や描写を客観的に眺めていくような読むスタイルに変えると、それなりに楽しめるようになりました。まず、チャットか独り言のようにも聞こえる短いフレーズの会話文、織り込まれる想定外の描写(『三人で手を振り合っていると、体の毒が抜ける感じがして、いい』や、主人公が風船をもって駆け回る時、老女に優しくしようという気持ちがわくというような心理描写など)、極端に省略される時間経過とロングショットで描かれる場面の混在など。すべて作者の意識の流れがなす結果なんだと思いました。これが現代文学なんでしょうね。お約束の感動物ではなくて、作者のきりとった世界を見るという意味では、おもしろい作品だと思います。家の窓から見える駅のプラットフォームが出会いと別れの舞台になっていたり、「いっぱしの人生を生きていきたい。何があっても耐えていける人間になりたい」と初めて都会にでて肩肘はっていた女性が、あろうことか失恋の痛手に落ち込むというドライとウエットの混在なとが受賞作たるゆえんなんでしょう。いろいろな感性に触れるという意味で読んでよかったと思います。

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2007年2月18日 (日)

藤原伊織著「ダナエ」

 初見の作家ですが、東野圭吾のエッセイ「これが最後の御挨拶」に酔っぱらい作家として登場し、この作品も朝日新聞、夕刊フジの書評欄で紹介されていたので興味から読んでみました。読後感からいうと梶井基次郎の「檸檬」といったところでしょうか。書店の棚に爆弾に擬した檸檬を置いていくといった独特な感性が、この作品にも感じられました。 著名な画家の宇佐美は個展に出品していた作品を、何者かによって切り刻まれてしまう。しかし、彼はこの事件をなぜか大仰に扱うことなく、こともなげに振る舞う。その背景には大成した画家としての仕事とは裏腹に、すべてを失ってしまった家族との絆が隠されていた。
 
 宇佐美の心象風景を表すのに、萩原朔太郎の「我らは何物をも喪失せず。また一切を失ひ尽くせり」という詩がつかわれているのが深いですね。また、犯行をギリシア神話のダナエの息子ペルセウスの寓話から取っていることも詩的ですらあります。結局宇佐美の醒めた目が事実を解明していく中で、最後の絆だけを残しすべてを消し去ろうとする。その意味するところはミステリーの範疇を超えて、人間の悲しみを表しているようでもありました。

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2007年2月11日 (日)

東野圭吾著「たぶん最後の御挨拶」

Mmi_1 東野圭吾、5冊目のエッセイ。本の題名はこれが最後のエッセイ集とすることからきている。
 
 これまで東野ファンとしてたくさんの著書を読ませてもらいました。しかし東野氏の人となりについては大阪出身ということだけでほとんど知るよしもなかったのですが、このエッセイは年譜や、自作解説、原作の映画化、趣味、作家仲間達との交友など私的公的に多岐にわたっており、この1冊を読めば東野圭吾とは何かがわかるというすぐれた作品になっています。結果として東野圭吾への見方が変わりました。今まで理系出身で風貌から見ても、ナイーブでダンディな感じの人と受け止めていましたが、それは大きな間違いでした。「あの頃僕らはアホでした」という著書があることを初めて知ったのですが、題名のようにけっこうハチォャメチャで、人をおもしろがらせることに楽しみを感じておられたようで、それが今の作品づくりの底流にあると思いました。事実、「白夜行」には実体験の部分もあるそうなのですが、どこなのでしょうか。「手紙」などの映画にもちょい出されていたそうですが全然わかりませんでした。また、本嫌いだったのに「アルキメデスは手をよごさない」を読まれてから、松本清張を読破しついには自分も書いてみようとするところがすごいですね。人間ってどこで自分の才能に気付くかはわからないので、やっぱりいろいろ好奇心を持つことが大事なんですね。スポーツ、映画、バレー、怪獣と様々に興味をもたれているからこそ、いろいろな発想がでてくるのでしょう。 すべての作品が初めから評判が高かったのではなく、結構酷評もされ、文学賞の連続15連敗という記録ももたれています。にもかかわらず、結果を聞くまえから次の作品作りを始めているという精神は学びたいところです。本の読み方や、本の売り方なども述べられ本当に「本」を愛されていこともよくわかりました。ずいぶんと東野圭吾を身近に感じることができるようになりました。

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2007年1月24日 (水)

重松清著「送り火」

416766904801_sclzzzzzzz_v47537801_1 「哀愁的東京」に次いで、重松清の短編集を読みました。「哀愁的東京」が大都会から消え去る人々の哀愁を描いたの対して、この作品は武蔵電鉄富士見線という私鉄沿線に住む人々の生活の息づかいを描いています。僕も私鉄を使い通勤していますが、車窓から見えるマンションや住宅街の中で、どんな暮らしをされている人たちがいるのかと考えてみたことがあります。それをこの作品群では、ホラーなどエンターテイーメント的ないろいろな手法で切り取ってみせてくれています。中でもいちばん応えたのは本の表題となっている「送り火」です。遊園地の目の前にあるマンションを購入した父は、結局ローンの支払いのために身を粉にして働き、子どもと遊園地に遊びに出かけることもなく過労死してしまう。やがて遊園地は廃園となり、主人公の女性は廃墟になった遊園地で、亡くなった父親と一緒に乗り物に乗り初めて父の笑顔を見る。自分を犠牲にしてでも家族が喜ぶ笑顔だけが見たくて、必死に働いた父親。「家族の幸せを思うとき、自分は勘定にはいってなかった」父親。その姿がほんとうにやるせなく思えました。最初は理解できなかった父親の気持ちを、今ならわかるという娘が「お父さん」と手を伸ばす場面が、本当に胸が熱くなりました。重松清という作家は、社会や政治には関係なく、様々な家族があって様々な思いや様々な悲しみを抱えて生きている姿を本当によくみつめていると感心してしまいます。

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2007年1月17日 (水)

井上靖著「風林火山」

316237391 NHK大河ドラマ「風林火山」の原作。山本勘助、武田信玄の軍師として名高い部将ですが、実在の人物であったかどうかは定かではないようです。また、実在していたとしてもそれは伝令将校的な者であって、合戦を左右するような采配をふるったとは考えにくいといわれています。それではなぜ、大河ドラマになるくらいに魅力ある人物と考えられるのかは、井上靖のこの本を読めばわかるような気がします。一つは隻眼や不自由な足、傷だらけの体などのハンディをかかえながらも、それらをはねのけて自分の夢を追い続けるパワーですね。しかも、物語の上では実際に山本勘助が武田家にとりたてられ、活躍を始めるのは、五十を過ぎてからとなっています。隠居してもおかしくはない年齢でありながら、戦場を東奔西走する姿にその気骨を充分感じとることができます。二つめは禁欲的といえるほど己自身の利害得失を全く考えていないことです。勘助は武田家と晴信(信玄)のために全身全霊をつくそうとします。それは敵将の娘であった由布姫とその子勝頼にかける思いにも通じていきます。彼のそのひたむきな純真さが読む者の心を打ちます。三つ目は言うまでもなく、ヤマカンという言葉に残るような、戦略の読みのすばらしさですね。これは戦国時代ファンにとってはこたえられないところです。このような人物は戦国時代、ほかには絶対に見られなかったとして描かれるところに、山本勘助の人気があるようにこの作品を読んで思いました。特に最後の川中島の合戦のこの場面がいいですね。小説から引用させていただきます。『「山本勘助と見受けるが、名を名乗れ!」まだ若々しい声が聞こえた。若い武士に討たれることが、勘助は何か満足だった。「いかにも、武田の軍師、山本勘助」』

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2007年1月 3日 (水)

重松清著「哀愁的東京」

404364604601_sclzzzzzzz_v50266012_1 重松清の9章からなる連作小説。題名の通り悲哀に満ちた物語が綴られていく。絵本が書けなくなった絵本作家・進藤宏は、かつての輝きを失い、東京という舞台から退場し去っていくさまざまな人たちと出会う。彼らとつながるものが進藤が最後に書いた絵本「パパといっしょに」である。その絵本に自分と同じ悲しみがあることを読み取った人たちは、彼らの生き様を進藤に切り取ってもらうかのようにして、消えていく。

 現実の人生に敗れ、時の流れの中に忘れさられていく人間の悲しみを乾いた文章で描いた作品ということができます。特に第7章の「ボウ」は、自分という存在がとけて無くなる苦しみを感じたエリートサラリーマンの話が登場しますが、これなんかは現代人の陥りやすい都会の落とし穴のような話だとおもいました。もがけば、もがくほど落ち込む蟻地獄のようでもあります。ただ、物語の内容とはそぐわないような題名である絵本と、主人公に絵本を書かせようと誠実に迫っていく編集者のシマちゃんの姿に救われます。そして最後に主人公自らが、他の登場人物と同じ悲哀を味わっていく中で、消え去った人たちのスケッチがひとつの絵本の物語になっていくといのうのが、この物語の計算された主題であり、重松清ならではのものを感じました。大都会・東京のなかでは、自分や自分の居場所を求めて、人々は漂流しているのであり、その寂しさを心の中に描いた絵本の物語に置き換えていくことで、明日を生きていくことができるのだと。

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2006年12月27日 (水)

瀬尾まいこ著「見えない誰かと」

4396681194_01__ss500_sclzzzzzzz_v3425514 瀬尾まいこさんの初エッセイ。これまでに瀬尾さんにかかわった人を34編の短文にして紹介されています。これらを読むとまず瀬尾さんの性格が、浮かびあがってきます。大雑把で人付き合いが苦手、お菓子が好きで、動物が嫌い。大雑把といいながらも、日常生活で出会った人たちのことを、これほどまでに心にとどめておくことができるなんて、すごいことだと感心してしまいます。瀬尾さんの心のアンテナはいつも感度良好なのでしょう。しかも、その一人一人との見えないつながりを瀬尾さんは大事にされている。また自分ならいらついたり、切れたりするだろうと思えるできごとに、瀬尾さんは「笑ってしまった」と書かれてるところが印象的でした。いつも身の回りの生活を楽しもうとされていることが、これらのことからもよくわかりました。

 エッセイから読み取れる瀬尾さんの好きなタイプの人間は、不器用だけれども自分の心を素直に表すことのできる人たちのようです。そういえば、小説の中に出てくる「幸福な食卓」の大浦君とか、「天国はまだ遠く」の田村さんもそのタイプの人物だと思いました。また小説の登場人物のモデルと思われる人たちも、このエッセイには数多く登場してきます。田村さんは「海の男」に出てくるS先生のようだし、「天国はまだ遠く」の村の人たちは、瀬尾さんのクラスの8人の生徒の保護者のようだし。

 瀬尾さんの職業柄、先生や生徒の話が多く書かれてますが、どの話も魅力的な先生や生徒ばかりです。特に卒業生の歌をアンコールした校長先生なんか飾らないほんとうにすばらしい先生ですね。僕がもし瀬尾まいこさんと同じ学校に勤めていたなら、どんな風に書かれるんだろうかと考えてしまいました。書かれるほどの魅力ある教師でもないので、たぶんその他大勢の中でしか登場しないと思いますが。それでも、このエッセイに習って、ちょっとまねごとを書いてみました。良かったら読んでみてください。http://homepage3.nifty.com/hishiya/usensei.html

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2006年12月23日 (土)

梯久美子著「散るぞ悲しき」

410477401401_sclzzzzzzz_v1122863333_1 今までは原作を読んでから映画を観ることがほとんどでしたが、映画「硫黄島からの手紙」を観て、硫黄島のことや総指揮官栗林忠道中将のことがもっと知りたくなってこの本を読んでみました。著者はていねいにに文献を読み込み、関係者に取材し硫黄島で戦った兵士の姿、そして特に「散るぞ悲しき」という辞世の歌を残して戦闘に倒れた栗林中将の思いをみごとに簡潔な文章をもって光をあてていました。読み終わり、映画ではわからなかった多くのことを知ることができました。たとえば米軍は上陸前に「ノルマンディ」を上回る砲弾を「硫黄島」に投下したこと、にもかかわらず日本軍陣地は砲撃前よりも、増加していたという驚くべき事実。それだけに栗林の合理的な作戦計画、常に兵とともにあり士気を鼓舞した人格が当時の将としては破格なものであるということをあらためて思いました。しかるに大本営はその破格さを許さず、最後の栗林の電文にあった「徒手空拳をもって」という兵士が武器も補給もない中で戦わねばならなかった苦しみを書いた文章を意図的に削除しているのです。また辞世の歌にあった「散るぞ悲しき」は」「散るぞ口惜し」という言葉に改変されていました。ここでも死んでいった兵士への鎮魂の気持ちは踏みにじられたのです。そしてさらに無惨に死んでいった兵士を思い、大本営の無謀な作戦を批判する電文を打電しているということも、その無念さを少しでもはらしたいという栗林の思いを強く感じることができました。

 「大局ばかりを語り現実をみなかった当時の戦争指導者たちの目論見はことごとく外れた。現実の状況の細部を無視して決められた方針は戦場の将兵を苦しめ、ついには敗北を招いたのである」という著者の文章は、理想論にこだわり物理的、経済的な手だてや保障もないまま教育改革を行い、現場の教師を疲弊させている文科省の教育政策と酷似しているように僕には思えました。

 

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2006年12月16日 (土)

東野圭吾著「使命と魂のリミット」

4103031719_01__sclzzzzzzz_v34103837__1 東野圭吾の新刊書。漢字2文字や短いフレーズが多い作品名の中で、珍しく内容にかかわる具体的な書名が印象的です。「変身」「分身」などでみられる医学や電子工学的なテーマと、「天使の耳」「通りゃんせ」などでみられる交通事故をテーマにした内容をあわせ持つ東野圭吾お得意のジャンルと言っていいと思います。ただし、「医療ミス」「欠陥製品の企業責任」というような現代社会の問題をおりまぜて、「手紙」に続く社会派サスペンスとなっています。

 複雑な人間関係や伏線といったものはあまりなく、全体的にわかりやすいストーリーで、ほとんどが会話や過去の回想といった場面に費やされています。しかし、それらはすべて最後のクライマックスのためであり、一気に緊張感を高めていく手法は東野圭吾ならではのものを感じました。特に手術の場面は圧巻でした。電源が奪われた手術室の中で医師や看護師たちはどのように行動したかが、リアルに伝わってきました。この作品のテーマは「使命」です。いかなる状況、それが逆境であろうとも、その中で最善の方法をぎりぎりまであきらめずに追求していく。それがプロの職業者の「使命」であると。私情をはさまず自分のポストにベストをつくす。その姿が多くの人々(犯罪者も含めて)の魂をゆさぶるのだと思いました。なんか、道徳の教科書にも使えそうな作品のよう気もします。ただその意味ですべてが綺麗すぎて、余韻にかけるところが唯一欠点でしょうか。

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2006年12月10日 (日)

重松 清著「卒業」

4101349193_01__aa240_sclzzzzzzz_v3525083_1 通勤途中の車内で読んで、思わず涙ぐんでしまった作品。肉親の死に際して過去を思いめぐらす中で、今の自分の生き方を問う「まゆみのマーチ」「あおげば尊し」、過去に失った人への切り離せない思いから、なんとか解き放れていく姿を描く「卒業」「追伸」の4編の物語からなっています。

 その中で特にこたえたのは「まゆみのマーチ」と「あおげば尊し」です。前者は歌を歌うことをやめさせられ、学校にも行けなくなった主人公の妹に、母親は「まゆみが好き、まゆみが好き」と「まゆみのマーチ」をどんな時も歌い続け励ます。その包みこむような優しさに気づかされた主人公は、母の死を前にして、登校拒否を続ける自分の息子を本当に無条件に愛していたのかを問うていくのです。読み終わってからふと僕の母親のことを思いました。きっといつも心の中でそんなマーチを歌い続けてくれていたんだなぁと。

 後者は厳しい教師だったために、生徒に慕われることのなかった父親の死にぎわで、同じ教師になった息子がクラスの生徒に人の「死」を教えるため父親につきそわさせる。学校では決して教えることのない「人間の死」について教師としての父親が教える最後の授業。告別式で歌われる「あおげば尊し」がいいですね。昨年のドラマ「女王の教室」で歌われて以来、小学校の卒業式で歌われたところもあるそうですが、理屈抜きに胸があつくなってしまいます。

 重松清は自分が40歳を迎え、新たなる旅立ちのためにこれらの作品を書いたと言われていましたが、僕はもう50を過ぎているのにかかわらず、まだ亡き両親の思い出にひたり、心のなかで甘え続け、親としてきちんと子どもに向き合っていない自分を感じています。僕の「卒業」はいつになることやら。

 

 

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2006年12月 1日 (金)

瀬尾まいこ著「幸福な食卓」

4062126737_09__sclzzzzzzz_v1103626847_ 来年1月公開の映画「幸福な食卓」(出演 北乃きい 平岡祐太)の原作。瀬尾まいこさんの本を読むのは、「温室デイズ」「天国はまだ遠く」に続いて3作目となります。中年の僕が読むのはどこか場違いな感がなきにしもあらずですが、同じ中学校教師としての親近感と、瀬尾まいこさんのみずみずしい感性にひきつけられています。

 さてこの作品は、いつも決まって同じ食卓を囲むことを幸せとしていた家族が、いつしか自分らしい生き方を求めることに目覚め、それぞれの道を選択することを宣言していくものの、要領よく器用には生きることはできず、結局それぞれがお互いを守りあっていくといようなお話です。お父さんが職業である社会科の教師を、そしてさらにお父さんであることも辞めて、大学を受験するというくだりは実は僕も以前考えていたことと同じなのでびっくりしてしまいました。もっとも僕の場合は、これを話したときには奥さんから「何を考えているの」と一喝されて終わりましたが。瀬尾まいこさんの小説は、これといったストーリー性で読ませる作品ではないと思います。(この作品の最後は意外な展開でちょっとびっくりしましたが) 登場人物の会話(時にしてボケとつっこみの軽妙なものもあり)や、何気ない仕草の中にある人への優しさや、暖かい気持ちを感じさせてくれる所が、彼女の作品の神髄であるようです。恋愛音痴な兄を気遣って、なんとか兄の恋を成就させようとする妹、また落ち込んだ妹に、独特なやり方で励まそうとする兄の姿などが微笑ましく描かれていきます。特に妹・佐和子とその恋人大浦君とのストーリーは、そのぎこちなさや純粋な思いに涙するほどでした。(好きな大浦君が配達する朝刊を、すみからすみまで読もうとする佐知子の姿が特にいいですね)これからも忘れかけていた何かを思い出させてくれるような、瀬尾まいこさんの言葉にまたひたってみたいと思います。

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2006年11月23日 (木)

藤沢周平著「盲目剣谺返し」

Mmi_24 文春文庫「隠し剣 秋風抄」収録の短編時代小説。来月公開される山田洋次監督、木村拓哉主演の映画「武士の一分」の原作。藩主の毒味役を勤めた三村新之丞は貝の毒にあたり、失明してしまう。その後、妻の不倫を知った新之丞は、不倫相手の武士に盲目の身で剣の勝負を挑むが・・・・・。

 短編ですが、読んだ後はなんとも言えない清涼感が味わえました。それは時代小説ならではの「勧善懲悪」のスタイルと、現代では感じることのできなくなった人情、それと大きなことを成し遂げた後のつつましやかな幸せのせいだと思われます。藤沢周平はほんとうに人物の描き方が巧みですね。夫への深い思いがあるゆえに裏切ってしまう妻の姿は、そのせつなさがこみあげてきましたし、新之丞の妻を離縁せねばならなかったそのやるせなさも、よく胸に伝わってきました。それが故に、真相を知り「武士の一分」を果たそうとした主人公は、本当にカッコよく思えました。果たし合いの場面も小説なのに息を飲むほどでした。映画ではキムタクがなるようですが、きっとピッタリの配役なんだろうと思います。それにしても「武士の一分」とはいい言葉ですね。利害損得にかかわらず、ただ潔くおのれの筋を通すために命をかける。ところで今「政治家の一分」とか、「企業者の一分」とかはどうなのでしょうか。ひるがえって自分自身の一分は・・・・・。

 

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2006年11月11日 (土)

薬丸岳著「闇の底」

Mmi_2311月5日、朝日新聞の書評欄に珍しく紹介された推理小説。前作の「天使のナイフ」では少年犯罪に切り込んだ作者の、今回は幼児殺害事件を題材にした作品。いたいけな幼女が殺害される事件が発生するたびに、かつての性犯罪前歴者が猟奇的に殺されていく。捜査が難航する中、死刑執行人・サムソンと名乗る犯人から警察やマスコミに、子どもが殺される事件が起きるたびに「生けにえ」として虐殺を続けていくことを宣言した犯行声明が届く。その捜査にあたるのが、自分自身も幼い妹の命を奪われている過去を持つ長瀬刑事。その長瀬刑事あてにサムソンからの手紙が送られてきて・・・・・。

 「男」と称する犯人を含めた主な3人の登場人物が交互に描かれていき、それぞれ点だったものが線となり、ようやく一番最後に面なって全貌があきらかにされていきます。読者の思いこみなどを計算して展開されるストーリーは、作者のうまい技巧を感じさせてくれます。ただ、前作ではたくさんの参考文献から読み込んで、少年犯罪の問題性を深めることに成功していましたが、今回の作品では幼児を殺害した犯人への憎悪と、私刑を決して許すことのできない警察官のジレンマというような情緒・感情的なものが中心で、推理小説としてのおもしろさはあるものの社会的な性犯罪者問題へのアプローチが希薄だったのが残念です。

 
 

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2006年11月 5日 (日)

瀬尾まいこ著「天国はまだ遠く」

Bpbookcoverimage1 人に良く思ってもらいたいと仕事にがんばるのだけれど、うまくいかなくて逆に、人から傷つけられることが何倍も心にのしかかってくる千鶴。自分を追い詰めてしまった彼女は、山陰の寂しい村で自殺する道を選択するが、その自殺も失敗し、偶然宿泊した民宿の田村さんとのスローライフに生きる元気をとりもどしていく。

 瀬尾さんの文体はレトリックにこることなく、どこまでも平易で優しく、主人公の若い女性の等身大の目線で書かれています。しかし、ときどき新鮮な言葉遣いに「いいなぁ」と思ってしまいます。田村さんは年のわりには昔風で、デパートにつとめていたわりには垢抜けしたところのない不思議な人物。そして、優しく美しい自然と、おおらかな田村さんに丸ごと受け止められて、千鶴は見失っていた本当の自分の姿が見えてきたのだと思います。しかし結局、体を動かし何かをしないと生きていけないという本来の性格から、この村のゆるやかな時間の流れには耐えられず出て行くことになったのでしょう。でも、世の中にはこんな世界があることを知った彼女は、これからは自分らしく生きる道をみつけようとするのだと思います。そして、今度は死ぬためではなく生きるためにこの村に帰ってくることを最後は示唆していました。

 映画化されるそうですが、千鶴は上野樹里、田村さんは江口洋介あたりでどうですか。

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2006年11月 3日 (金)

横山秀夫著「真相」

457551100501_sclzzzzzzz_v39670130_1 横山秀夫の短編集。警察小説の書き手ですが、この作品群にはほとんど警察も刑事も登場しません。息子を殺された父親であったり、過去に殺人を犯した役人あったり、リストラされた営業マンだったりでそれぞれが屈折した心情を抱いて生きる市井の人たちです。しかしそれらは平凡なストーリーで終わるのでは無く、はっとさせる結末が用意されている所はさすがです。それだけのものを短編の中に埋めこむために、会話や展開に緊張感を持たせ、読者を引き込むように描かれています。特に「真相」では被害者であったはずの良き息子が、しだいに加害者の相も帯びてくる中で、父親と事件にかかわる人たちの会話が、まさに目の前でくり広げられているかのような迫力を感じました。そけだけ人間の心理にこだわった作者の創意にあふれた作品です。

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2006年10月29日 (日)

浅田次郎著「月下の恋人」

Mmi_20 「小説宝石」の01年9月号~06年6月号に掲載された、浅田次郎の短編を集めた単行本。僕はどちらかというと短編小説の方が好きです。長編でも司馬遼太郎の作品のような歴史小説ならば、苦にはならないのですが、物語が難解だったり、単調だったりすると残りのページ数にため息が出ることがあります。その点短編はそんなプレッシャー無く気楽に読めるところが良いですね。ただ、その反面短いだけに読み手が想像力をたくましくして、前後の脈絡を補う必要はあります。この作品群は短編といえども、浅田次郎ワールドはしかっり構築されており、どの作品も劇的であり、ミステリアスな展開になっています。共通しているのは、描かれる舞台が海辺であったり、高層マンションやオフィスであったり、ひなびた京の宿であったり、果て又安下宿ありのでそれぞれの持つシチュエーションが、短いストーリーをカバーしていること、また登場する小道具に「表札」「雪」「痼り」「回転扉」などを用いて、読者の意識を集中させていることなどがあります。特に良かった作品は「告白」と「風蕭蕭」です。前者は女子高生が大雪の日に、嫌っていた血のつながらぬ父の背に負われながら、初めて「おとうさん」と呼べるまでを描いた心暖まるストーリー。後者は下宿の隣に住む、さえないが憎めないヤクザが「史記」に登場する壮士にだぶらせて描かれるユーモアとせつなさが重なる作品です。男女の心の機微をテーマにした作品は、短編では物足りなく思えました。
 次回は横山秀夫の短編集「真相」を読もうと思います。

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2006年10月22日 (日)

薬丸岳著「天使のナイフ」

Mmi_19 昨年度の江戸川乱歩賞受賞作品。評判は知っていましたが、著者の最新作が出たのを契機に読んでみることにしました。東野圭吾の「手紙」が犯罪加害者の家族の苦悩を描いていたのに対し、この作品は少年犯罪による被害者の苦しみが主たるテーマになっています。

 最愛の妻を3人の中学生に殺害された主人公は、少年法により保護された加害者に憎しみを抱きながら、彼らがその後いかなる更正をなしえたのかを知りたいという気持ちから、独自の調査を始める。しかし、その中で次々と驚愕の新たな事件や事実が・・・・。

 14歳未満の犯罪は刑事責任を問われないで、保護手続きを受けるということは知っていましたが、少年の更生を妨げることを理由に、被害者や被害者の家族には少年達の名前はおろか、少年審判の経過や結果さえも知らされないといことを、この小説から初めて知りました。最近やっと改正された少年法では、近親者に限り審判の記録を閲覧できるようになったそうです。加害者の人権や矯正教育だけに重点がおかれ、本人どころかその家族からも何の謝罪の言葉もないまま、社会復帰していく加害者の姿に強い憤りを覚えていく主人公の気持ちがよくわかりました。それは著者の感情表現における描写が秀逸だった証拠でもあります。都合よく雑誌記者といろいろな場所で出会うというのはご愛敬でしたが、いくつもの少年犯罪の被害者・加害者のストーリーを重ねながら、謎を解き明かす手法はただならぬ才能を感じました。また巧みな構成もさることながら、この作品で著者は、保護か厳罰かという議論ではなく、加害者の少年がどのような思いを抱き、どのような贖罪の行動を取ることが、被害者やその家族の救いになるのかを提議しているようにも思えました。

 今日の新聞広告に出ていた奥野修司著「心にナイフをしのばせて」というノンフィクションが、この作品のストーリーと何か関係がありそうだなと思って参考文献を見たら、やっぱり
「28年前の『酒鬼薔薇』は今」奥野修司(文藝春秋1997年12月)がありました。こちらも読んでみたいと思います。

 

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2006年10月15日 (日)

浅田次郎著「椿山課長の七日間」

402264352809_sclzzzzzzz_v1125057543_1 今秋、浅田次郎原作の映画が二本あいついで公開されます。奇抜な発想とドラマチックな展開、涙をさそう情感あふれる作風が映像表現にもマッチするのだと思います。「椿山課長の七日間」。死後の世界を描いたおもしろさの中に、家族愛を織り込んだ作品です。

百貨店の婦人服売り場担当課長であった「椿山和昭」は、バーゲンセール中に急死してしまう。「あの世」で死者の裁可を行うスピッツ・アライバル・センターで、身に覚えのない「邪淫の罪」に問われ、再審査を願い出た椿山課長は、7日間の期限付きで現世に逆送される。が、その姿は似ても似つかぬ美女に変わっていた。

 最初の「あの世」のシーンは落語の「地獄八景」の現代版をほうふつさせてくれます。最近の「あの世」には極楽行きの「エスカレーター」や「携帯電話」もあるようです。こうしたユーモアにあふれ、軽妙洒脱なテンポで話は進められていきます。ただ、中年男の美女への変身はイメージしづらく、映画での西田敏行から伊東美咲への変身が見物です。「地下鉄に乗って」もそうでしたが、この作品のキーパーソンも「父親」であること強く感じました。主人公の父親はシベリアに抑留され、そのときに多くの友を死なせたことが、「たぎる怒りをことごとくやさしさに変えた」生き方になり、自分よりも人の幸せを願うような人間に設定されていました。一緒に逆送されたやくざの親分が、子分を思う気持ちにも同じようなものがありました。その父親とやくざの親分が小説のクライマックスで、感涙をさそうほどの行動をとります。そのほかデパート業界や「やくざ」業界のもりだくさんな話、かつての恋人の一人芝居のような語り、など興味のつきない自由奔放な書きっぷりは浅田次郎ならではと思いました。

 

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2006年10月 9日 (月)

東野圭吾著「手紙」

462010667409_sclzzzzzzz_v1056612367_1 11月3日公開の映画「手紙」の原作。この小説はミステリーという東野作品の本流からは外れるものの、犯罪者の家族への「偏見と差別」に正面から向き合った本格的な社会派小説となっています。

 弟の進学資金を工面しようと強盗殺人の罪を犯した兄、武島剛司。弟の直貴は両親も無く、自らの力で職を求め、大学の通信課程から通学課程へ進学していこうとする。そのように必死で生きる直貴に、犯罪者の弟というレッテルが容赦なく貼り付けられ、仕事も、音楽も、恋人さえも奪われていってしまう。兄の存在が明らかになり、社会から疎外されるきっかけとなるのが、いつも刑務所から届く兄からの手紙なのである。そんな兄からの呪縛を断ち切りたいと願う直貴に、「手紙」はどこまでも送り届けられる。

 殺人という重罪を犯した者の家族は、その後どのように生きているのかなど、ほとんど考えたこともありませんでしたが、この作品に描かれているように、社会の「偏見と差別」の中でひっそりと息をつめて暮らしておられることは想像に難くありません。しかし、東野氏はこの作品で、その「偏見と差別」の解消を高らかに求められているのではないようです。人々が社会の中で自分を守っていくためには、現実的には起こりえることであると。ただ、そのような「社会的な死」から生還できる方法は、他の人間とのつながりの糸を1本ずつ増やしていくことしかないとも書かれています。直貴はそれを同じような境遇の白石由実子に求めていきました。 結局、物語の中で歌われるジョン・レノンの「イマジン」の歌詞のように、そんな世界がいつか来ることを願いながら、生きるしかないのかとも思いました。

 弟のために好きな甘栗を持って帰ろうとし、逃げ遅れた兄、そんな兄と縁を絶とうとするも、最後は兄の前でイマジンを歌おうとする弟、そのせつなさにやはり涙しました。このあたりは東野作品独特の「情」がただよっています。

 

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2006年10月 1日 (日)

 リリー・フランキー著「東京タワー」

  2006年本屋大賞受賞作品。「オカンとボクと、時々、オトン」と懐かしさあふれる庶民的な副題がつけられていますが、副題そのままに時々現れる正体不明の父親と、あまりにも深い母親の愛情を描いた自伝小説になっています。炭鉱都市の筑豊から、東京の大学に行くという主人公の物語は、年代は違うものの五木寛之の「青春の門」に似通ったものを感じましたが、この小説が大衆小説風になっていないのは、家族、自由、貧しさなどをテーマにした散文風の哲学的な文章が、章の最初に織り込まれているからのように思えました。(内容が難しくて読み流したところもありましたが、笑)

 なんといってもこの作品の神髄は、最後の母親の死を迎える場面でしょう。かつての映画に「母もの」という観る人を泣かせるジャンルがありましたが、まさにこの小説も泣かせます。また、それは作り話では無く、実際に著者が体験したこととして、説得力のあるリアリティにあふれるものになっています。貧しい中にあっても自分のすべてを息子に与えつくし、そして自分が死んでからの息子のことを思い、考えられる数々のものを残して死んでいったオカン。。自分の母親が亡くなった時のことを思い出して、涙が止まりませんでした。自分の母親も亡くなる直前に、思い出を綴った文を残そうと書きためていたそうなのですが、死んだ後僕らが読むと悲しさが増すことを思いやって、書くことを止めたと聞きました。そんな母親に50を越えた今でも時々、心の中で「おかぁちゃん」と呼びかけていることがあります。しかしそれにしても、戒名の値段ばかりにこだわるオトンのあのクールさはいったい何なのでしょうか。

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2006年9月18日 (月)

伊藤たかみ著「八月の路上に捨てる」

163254001  めったに「芥川賞」作品など読まないのですが、本の題名が今の季節柄にマッチしていたのと、本が薄くて読みやすそうだったのと、著者の奥さん(角田光代)が直木賞作家ということの話題性で買ってみました。アルバイトで自販機に飲料を配達している主人公の離婚話と、配達のトラックを運転している水城さんとのたわいもない話がつづられています。最初は、言葉が頭の中に入ってきませんでした。このような作品は自分の実体験との照合と、文章との歯車のかみ合わせがうまくいかないとストンと落ちません。ようやく興に乗ってきたのは後半の、離婚話を切り出そうとする主人公に、妻がかみつくというあたりのバトルからです。最後のデートの日に二人で思い出の街を歩き、妻が券売機に足りない10円をいれて主人公と別れるシーンには切なさを感じました。二人の結婚がうまくいかなかったのは、(なぜ結婚したかもよくわかりませんが)、ゲームの続きで結婚したような、単に心の未熟さだけのように思うのですが。だから、主人公が八月の路上に捨てたのは、自分の幼さではなかったのでしょうか。文章的には、男女の関係を表す比喩が巧みであったこと、感情の表現が上手だと思いました。

 職場の飲み会で結婚生活を継続するのに大事なことは、「我慢」か「相手を尊敬する気持ち」かで議論がふっとうしましたが、そんな話が小説になって受賞するのは「直木賞」の方でしょうか。

  

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2006年9月16日 (土)

浅田次郎「地下鉄に乗って」

406264597109_scmzzzzzzz_1 10月に映画公開される原作本。作者は「鉄道員」「壬生義士伝」で知られる浅田次郎。この作品で吉川英治文学新人賞を受賞しています。SFともミステリーともいえる不思議な物語です。

小沼真次は大会社の経営者である父に、兄の地下鉄飛び込み自殺以来反目し、今は衣料品のセールスをして生活している。ある日主人公の乗る地下鉄が、時空を超えて兄の自殺した日に結びついたことをきっかけに、知らなかった戦中、戦後の父親の姿を観ていくことになる。

 主人公の愛人や高校時代の教師などを、そのタイムスリップに次々と登場させ、からめさせていく様は、うまく計算された伏線の技巧を感じました。地下鉄という道具立てもおもしろい。暗闇の中を疾走し、地上へ出れば違う世界になるというのは、どこにつながるかわからないという現代人の不安の象徴でもあるようにも思えました。大阪の地下鉄梅田駅には、幻のホームがあるらしいのですが、このホームに来る電車に乗ればどこへ行くのでしょうか。

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2006年9月10日 (日)

宮部みゆき「名もなき毒」

Mmi_12_1  読みかけの本をキッチンの机の上に置いておいたところ、奥さんが 「名もなき妻」っておもしろいの? と聞いてきたので唖然としてしまいました。でもそう言われると、見ようによっては「妻」と「毒」似ているかもしれません。「名もなき毒」宮部みゆきの最新作。といっても自分にとっては初めて読む宮部ミステリーです。

 今多コンツェルンのグループ広報室の社員、杉村三郎と登場人物との会話がこの作品のほとんどを占めています。しかし、その会話の中に相手の心の機微や、杉村氏の心理状況に触れる見事なまでの「ツッコミ」が付加されており、このあたりが宮部みゆきの真骨頂なのでしょうか。冒頭、いきなり無差別連続青酸カリ殺人事件から始まったので、これが「名もなき毒」かと思い、その犯人に迫るミステリーを期待していたのですが、青酸カリには「青酸カリ」という名前がつけられているわけで、そのほか登場するシックハウスにしろ、土壌汚染にしろこれらはあくまで小道具の一つに過ぎませんでした。名もなき毒というのは「生きにくく、他を生かしにくい」ようにしている人間が持つ得体の知れない毒のことでした。人間そのものが毒だと。特に原田いづみの”毒”舌はある意味スゴイ。もし小説の登場人物にアカデミー賞があるなら、彼女に助演女優賞が間違いなく贈られることでしょう。とにかく、長い長い前ふりがあり、最後に登場人物総出演の感のあるクライマックスに突入する。

 結論からいえば、この作品はミステリーというよりも、人間の存在、幸福とは何か、ということを問いかける文学作品のように僕には思えました。

 

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2006年9月 2日 (土)

横山秀夫「出口のない海」

406275462201_sclzzzzzzz_1  まもなく公開される映画「出口のない海」の原作。映画もぜひ観に行きたいと思っていますが、その前に小説の方を読んでみました。横山秀夫の作品を読むのは初めてですが、映画化された「半落ち」を観て、主人公の心情には涙せざるをえませんでした。今回の作品も警察小説とはジャンルは異なるものの、死にのぞむ若者の心情を巧みに描いている点において、作者の秀逸さを感じました。太平洋戦争末期、魚雷を改造した特殊兵器「回天」(通称人間魚雷)に搭乗し、特攻作戦にのぞむ若者の姿を通して、国家、命、青春、戦争を考えさせられる物語です。好きな野球、愛する恋人と断ち切られ、死に向き合わさせられた若者の心情など、戦争を知らない自分や作者も含めて、はかり知れないものがあると思いますが、作者が「青春」という言葉をキーワードにして、なんとか共感できるよう迫っていこうとしている姿を感じることができました。特に若者たちが国のために潔く死んでいったというきれい事では無く、「自分は特攻という美名と功名心の虜になってはいなかったか。国家とか軍隊とかの見えざる巨大な意思に同調し、引きずられ、流されてきた。・・・・他の誰よりも勇敢たらんと虚勢を張ってきた」という言葉でわかるように、当時言葉に出して言うことが恥であるとして、心に押し隠していた若者の心情を、この作品で作者が代弁しているかのように僕には思えました。だから作品の最後のエピソードは、「己の戦争」だけでとどめておきたかった作者の意思の表れだと考えます。

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2006年8月27日 (日)

瀬尾まいこ「温室デイズ」

404873583701_sclzzzzzzz_1  瀬尾まいこさん、以前に朝日新聞のエッセイを見て、現役の中学校の教師で作家と知ったとき、同業者として畏敬の念を持ちました。それで、今回初めて瀬尾さんの小説を手にとってみました。「温室デイズ」、疎外された二人の女子中学生が、交互にモノローグで話を綴っていくというスタイルの作品です。(スタイルは東野圭吾の「分身」とよく似ています)「学力低下問題」の陰に隠れて、「いじめ問題」というのは以前に比べて、大きくあつかわれなくなったような気がします。しかし、現実には昨日の新聞記事にもあったように、いじめられていた中1の男子が遺書を残し自殺するという痛ましい事件も起こっているのです。この作品の主人公が受けるいじめも壮絶なものです。荒れた学校を良くしようと訴えた「みちる」に、様々な攻撃がしかけられていきます。しかし、教師の言う「温室」という学校の中では、できるだけ波風の立たないように結局みんな守られて卒業していく。そのあたり、痛切な学校批判、教師批判を感じることができます。実際担任の先生はSOSに気づかず、事をすませていこうという態度で描かれています。(決っして、こんな教師ばかりではないのですが)この作品のすごいところは、劇的な展開で終わらせるというストーリーではなく、二人の心情をていねいにたどると同時に、様々な弱さを持った人物を多く登場させ、それぞれの居場所、存在感を探させているところにあるということです。今、ほんとうに不登校やいじめ、あるいは自らの「不良行為」で苦しんでいる子が読んだら、少しだけ心の重荷が軽くなるような気がするのですが、どうでしょうか。

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2006年8月18日 (金)

「東京ダモイ」鏑木蓮

 第52回江戸川乱歩賞受賞作。ダモイというのは帰郷という意味のロシア語。敗戦後60万人の日本兵がシベリアに抑留され、極寒と重労働、栄養失調などで6万人が亡くなった。作品はそのシベリア抑留を背景に描かれている。自分の父もシベリアに抑留されていたので話はよく聞いた。旧満州で武装解除後、ダモイというソ連兵の言葉に日本へ帰れると信じた父は、貨車に載せられ着いた所が日本海だと思ったという。しかし、そこは日本海などではなく、シベリア、バイカル湖であった。そこからの話は、登場人物の高津の手記に重なる。舞台になった第53捕虜収容所で起きた鴻山中尉殺人事件が、この物語の起点となり、その60年後に再びおきた殺人事件の謎解きを、手記に書かれた俳句を手かがりに出版社の営業マンと刑事たちがのぞんでいく。そのミステリー性もさることながら、抑留という非人間的な極限状態の中で、いかに人間の誇りを保てたかという話に戦慄を覚えた。また作者はさりげなく「勝ち組、負け組」「英霊」という言葉について登場人物に語らせ、それがひとつの社会批評ともなっていて、結果松本清張の作品のような雰囲気も感じさせられるのである

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2006年8月12日 (土)

「小さき者へ」重松清

 ひさしぶりに重松氏の本を読みました。文庫本新刊の「小さき者へ」。父親と子の関係がテーマの6編からなるアンソロジーです。性格の正反対の兄弟に対し、老母の対応をめぐる父親の葛藤を描いた「海まで」、ひきこもる息子に自分の少年時代の思いを重ねようとする父親の愛情を描いた「小さき者へ」、自分の手から離れていこうとする娘に、手を焼きながらも応援団としてエールをきり続ける父親を描いた「団旗はためくもとに」などです。いずれも同じ世代(少し古いか)の父親として身につまされるものばかりです。今は父親をやっていくことが難しい時代だと思います。社会的、伝統的に認められていた父親の価値観が軽薄となり、「自分は父親だ」というだけでは誰もふりかえってはくれません。その中で、いかに家庭・家族の中で父親としての存在を保ちうるのか。僕は古い考えかもしれないけれど、母親のように事細かくかまってやれなくても、家族への愛情に裏付けられた「父親の背中」を見せることが大事なのではないかと思っています。

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2006年7月29日 (土)

「赤い指」

 東野圭吾氏の最新作。(正確にはリメイク作品か)まず、装丁の浮き出た指に驚かされました。おどろおどろしさを読む前に感じさせてくれるのに十分なものになっています。

 読み初めて、登場人物、特に前原家の人たちすべてに、どうしようもない嫌悪感や苛立ちをおぼえていきます。作品には現在の社会や家庭がかかえる問題が凝縮されていて、自分ならどうするかと、誰にでも起こりうることとして、読む者に東野氏は投げかけられているようにも思えました。それだけに途中は非常に重くて、暗い気分で読み進めないといけません。最後の「赤い指」のトリックもこれだけのことかと思いましたが、読者もだまされる巧妙なしかけがそこにはありました。このあたりはさすがですね。暗い悲しい気分も最後は晴らされるような構成になっているので、読後感も悪くはありません。従来の東野作品に、重松清氏のような視点が加えられたと感じましたが、どうでしょうか。

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2006年4月23日 (日)

東野圭吾著「容疑者Xの献身」

 東野圭吾氏の小説を読んだのは、これでまだ「放課後」についで2作品だけですが、その読者を引き込む文章力と構成力のすごさは十分堪能させていただきました。「容疑者Xの献身」はアリバイトリックと思わせておいて、実は偽装工作にしかけがあったという推理小説の醍醐味はさることながら、これが数学者の純愛小説になっているところに「直木賞」をとられたゆえんがあると思われます。何の見返りも求めないで、自分の知力の限りを女性につくすという姿に胸があつくなりました。特に「誰かに認められる必要はないのだ。と彼は改めて思った。論文を発表し、評価されたいという欲望はある。だがそれは数学の本質ではない。誰が最初にその山に登ったかは重要だが、それは本人だけがわかっていればいいことだ。」という言葉には考えさせられるものがありました。東野圭吾、引き続き作品を読み進めたい作家のひとりになりました。

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2006年4月 9日 (日)

恩田陸「ねじの回転」

 歴史とSFの両方のジャンルに興味のある僕にとっては、魅力のある作品でした。国連が、歴史に介入したために、発生したHIDSという伝染病から人類を救うために、正しい歴史に修復しようと始めたプロジェクトに、「2.26事件」が選ばれる。軍部のクーデターという緊迫した事件を読み進むだけでも、歴史小説としてのおもしろさがあるのに、加えて安藤大尉や石原莞爾大佐といった実在の人物が、歴史を修復する側に立って行動し、しかも悲劇に終わった自分たちの歴史をつくり直そうとする姿が、不思議な世界を造りだしています。しかし、恩田陸さんの読ませる文章のうまさと、伏線をはりめぐらせた構成のうまさにはいつも感服します。また、それだけでは無く歴史観や世界観にも話は及び、僕ももう一度「2・26事件」を勉強したくなりました。

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2006年1月13日 (金)

「功名が辻」読み終わりました

 大河ドラマが始まるまでに読み終わろうと思っていたのですが、ようやく今読み終えたところです。司馬遼太郎の「功名が辻」文春文庫全4巻。司馬作品にしては、珍しく歴史的な好奇心をそそるような蘊蓄を傾ける話はあまり述べられず、一豊と千代の会話劇のような仕上がりです。その会話もコミカルで思わず笑ってしまう場面も多くありました。一豊のボケに千代のつっこみという感じです。「国盗り物語」や「竜馬がゆく」といった作品にはあった思わずのめり込みそうになるような場面もあまりなく、唯一、一豊が豊臣の家臣から、家康側になびくときに、千代が智略を働かせ、三成派の弾圧からのがれていく所だけが圧巻でした。真正面から実直に立ち向かうしか能がない夫に対し、シニカルでウィツトの効いた対応で戦国を切り抜け、さりげなく夫に華を持たせる千代の姿が印象的でした。これを二人芝居にして三谷幸喜が脚本を書いたら、おもしろいのができるかもしれません。

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