カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2009年11月 7日 (土)

「正倉院展」から「依水園」へ

 第61回「正倉院展」を観てきました。今年は天皇御即位20年を記念して、会期も例年より3日長くなっています。

 訪れた日が土曜日ということで、開館40分前に奈良国立博物館に着くようにしました。するとまだ列は入り口前の通路にとどまる長さで、約30分待ちで(10分早く開館されました)中に入ることができました。といってもさすがに最初の方は大変な人だかりだったので、いつものようにそこはワープして、お目当ての宝物で比較的すいているケースを目指しました。

 やはり観たかったのは「螺鈿の鏡」と「紫檀の琵琶」。鏡はもう何度も観ているのですが、色とりどりに宝石がちりばめられ、あたかも万華鏡のようなその美しさは立ち去りがたい感動を与えてくれます。次に琵琶のケースでは琵琶の演奏する音色も聞こえてくる中、その響きにあわせ描かれた鳥が花をまき散らし、飛び交うかのような錯覚も覚えてしまいました。

 今回特に、おもしろく思ったのは「ほうき」です。皇后がカイコの部屋を掃き清める儀式に使われたそうですが(今でも皇后様がカイコのお世話をされている写真が飾られていました)、枝にはガラス玉を差し込み、手元には金糸が巻かれて、スーパーホウキとでもいうべき豪華さでした。儀式に用いるものはどんなものであっても、手を抜かないという天平人の魂を見た気がします。
 
 正倉院展を出た後は、お帰りになった阿修羅様を拝みに「興福寺」に向かいました。しかし、その行列のすさまじさに圧倒され今回は断念することに。その代わり、東大寺の裏にある名園の「依水園」を訪れました。ここは人影も少なく、色づく秋の気配を静かに味わうことができます。ファインダーをのぞくと、紅葉した木々にススキの穂が重なり、さらに遠景に東大寺が。思わずシャッターで秋を切り取りました。

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2009年8月29日 (土)

「福澤諭吉展」(大阪市立美術館)を観て

 福澤諭吉については、今まで教科書的な知識しかありませんでしたが、「福澤諭吉展」を訪れて、彼の「思い」に少し触れることができたように思います。

 まず江戸時代には当たり前であったことにことごとく背を向けたことです。形にこだわることを止め、変えて行かなければならないと思ったことを次々と実行してところがすごい。はかまを付けず着流し姿の出で立ち、また当時珍しかった夫人とのツーショットの写真。子どもは全部女の子であってもかまわないと言ってのけ、男女平等を説き、女性の権利を尊重したこともあってか、彼の葬儀には女性が多く参列したとありました。女性からの人気も相当だったのでしょう。

 しかし、なんと言っても「独立自尊」というモットーです。世のしがらみに絡め取られるような自分のない生き方ではなく、自立した品格のある人間をめざしました。そのための「学問のすすめ」なんですね。この本は一冊だけかと思っていたら、さすが日本最初のベストセラーだけあって、続編もたくさん書かれていました。

 そして独立した個人が独立した国をつくると考えています。しかも官が中心ではなく、民の力を重んじていきます。そのため福沢諭吉は決して政治家にはならず、実学を説く教育者として、在野にあって政治批評をするジャーナリストとして活躍した理由がわかりました。

 当時にあっては「異端」とされながらも、彼のまなざしは未来の日本の姿にて向けられていたようです。さて、現在。彼の考えていた日本人、彼の考えていた日本になっているのでしょうか。展示を見終わってから、ちょうど佐高信氏の講演があり拝聴しましたが、小泉純一郎から橋下徹まで、ことごとく舌鋒するどく切り捨てられ、「福澤精神」を鼓舞されておられました。

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2009年8月18日 (火)

岡山・倉敷の旅 その1

 夏休みも残り1週間を切りました。今回はインフルエンザ禍で短くなった上に、高齢教師にはつらい5日間の教員免許更新講習もあり、あわただしく過ぎた感があります。しかし、それだけで終わってしまうわけにはいきません。その間隙をぬって、小旅行にでかけました。

 行き先は岡山・倉敷。「のぞみ」でいけば新大阪から1時間もかからぬところで、十分日帰りも可能なエリアですが、鷲羽山から臨む瀬戸内の島々と瀬戸大橋の姿、おみやげの「きびだんご」をめあてに、「せとうち児島ホテル」で1泊す ることにしました。
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  1日目は岡山市内観光と児島湾のクルージング。桃太郎の銅像がお出迎えの帰省客でにぎわう岡山駅とは裏腹に、お盆もすぎた「後楽園」は人影もまばらで、視線をさえぎるものがほとんどない、広大な緑の園地がゆったりとした気分にさせてくれました。隣接する「竹久夢二郷土美術館」で大正ロマンの叙情にひたったあとは、JR瀬戸大橋線マリンライナーで、児島駅に向かいました。ひなびた港の見える駅かと思いきや以外と大きな駅で、駅前には「コジマ」ならぬ、「ヤマダ」電器もありました。

  ここからは、観光船で瀬戸大橋を周遊します。最終便で乗客も少なく、45分間のぜいたくな「船旅」でした。幾何学的なアーチを描く瀬戸大橋の美しい姿を海から眺められるばかりか、橋の下をくぐるのでふだんは見れない橋の腹を見上げることもできます。
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 駅にもどりここからは、ホテルの送迎車で鷲羽山の山上まで上がります。学生服の町だったのが今では生産も落ち込み、変わってジーンズの町に変わったことや、瀬戸大橋ができてもここは通過するばかりで、平日は人も少なく、廃業してそのままになっているホテルもあるというような、正直な運転手さんのおしゃべりも聞きながら、ホテルに到着。まずその景観に目を奪われます。眼下に広がる多島海と瀬戸大橋の優美なコントラスト。最上階の部屋に案内されると、広い窓からの景色があたかも屏風絵のように見えました。露天風呂から眺めるとまた格別の心地がしました。
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  さて楽しみの夕食。若い人の多くは食べ放題・飲み放題のビアバイキングに流れていましたが。こちらは静かに和食のコース。夜景を楽しみながら(瀬戸大橋のライトアップは昨日まてで残念)、近海でとれた魚介類に舌鼓を打ちました。とにかく料理を持ってくるのが早い。たぶんをお客を待たせてはいけない、できたてを食べていただこういう、ここのオーナーの方針なんでしょうか。新たに注文したものでも1分もたたず、テーブルに置かれました。ただ、ちょっとあわただしかったかも。その後、突然上がりだした花火を観ようとあわてて廊下に飛び出したところ、オートロックのことを忘れていて、あえなく廊下にたたずみ花火の音だけを聞く人になっていました。

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2009年5月24日 (日)

休校中の入院

 おりしも学校が新型インフルエンザで休校になっているこの1週間、自分はH市総合病院に入院しておりました。休校中の生徒はたぶん誰ひとり僕の入院は知らなかったと思います。何しろ入院直前まで一緒に修学旅行を楽しんでいたのですから。

 病名は転移性肝腫瘍。10年前のガン発病以来2度目の肝臓への転移となりました。転移の告知を受けてからの、当初から予定されての入院でした。治療の方法は、肝動脈化学塞栓療法(TACE)というものです。局所麻酔をした右足の付け根にある動脈から細い管(カテーテル)を通し、肝臓にある腫瘍近くまで来たら、抗がん剤をまぜたゼラチンスポンジを詰めて血管をふさぐというものです。簡単に言うとガンを「兵糧攻めに」してつぶすという作戦です。

 意識のある中行われますが、特に痛みや不快感はありませんし、特に緊張もしませんでした。というのも実は検査を含めてこれで3度目となるので、余裕があったのかもしれません。それでも看護師さんは、常に声をかけてくれて気をつかっていただいたし、BGMに女子十二楽坊をかけてくれていました(看護師さんの趣味か?)時間は2時間くらいでした。

 しかし、この療法が苦しいのは、終わってからなのです。動脈に穴を開けているわけですから、その後右足を絶対動かしてはなりません。安静状態を保たねばならないのです。10年前はそれが、翌日の朝までその状態を維持しなければなりませんでした。それがなんと言っても、苦痛だったのです。しかし今回は幸いにも、システムが変わったらしく、なんと安静時間は6時間に短縮されていたのです。よって夕方には解放され自由になれました。といっても、6時間でも腰は痛くなるし、何もできないしで難行には違いはありません。その後2日間は抗生物質などの点滴を受け、傷口からの出血や痛みが無いことを確認して6日間で退院できました。 あとは、なんとか次のCT検査で腫瘍が消えてくれることを願うばかりです。

 この10年で肝動脈化学塞栓療法(TACE)も進歩したようです。モニターも液晶が使われていたし、より正確に位置がわかるような最新のレントゲン機材が使われていました 医師や医療
技術を信じ、ひたすら自分にも免疫力をつけていくことをおこたりなくやっていきたいです。最後に献身的にかかわっていただいた医師や看護師の方々に感謝したいと思います。 

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2009年5月17日 (日)

落石事故と修学旅行

 今年も3年生を引率し、高山・上高地方面へ修学旅行にでかけました。例年のようにNorikufadake 1日目の長良川のラフティング、2日目の高山市内の散策までは順調だったのですが、知らない間に大変なことが起きていました。それは高山から上高地へ抜けるための道路で、落石事故があり、通行止めになってしまったことです。後でこの事故で、作業員の方が一人亡くなったことも知りました。上高地で宿泊予定だった「五千尺ロッジ」からも今夜の宿泊は不可能という連絡も入り、どうなることかと不安が高まりました。しかし、添乗の阪急交通社、五千尺ロッジのご尽力で、その夜は乗鞍高原にある「ビィラ乗鞍」に宿泊できる手配をして頂けました。その間、添乗員やバスの乗務員が冷静に的確な判断をされたのを目の当たりにして、職業人としての意識の高さに感心しました。生徒を落ち着かせるために、何事も無かったように乗鞍高原の案内を始められたガイドさん、懸命に想定外の宿舎を探して走って頂いた運転手、そして携帯で連絡を取り続けられた添乗員さん。また「ビィラ乗鞍」でも受け入れのために、食材をかき集めて食事の用意をして頂きました。その方々のおかげで、生徒の楽しみを壊すことなく修学旅行を終えることができました。関係の皆様に感謝したいと思います。Norikura_iwakagami

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2008年11月15日 (土)

私家版 創作四字熟語 2008年度版

 今年こそ明治生命の創作四字熟語に応募しようと思っていたのに、気がつけば締め切られた後でした。しかたなく、このブログを借りて自分の作品を発表します。

「空即是侵」(空即是色)

航空自衛隊幕僚長が侵略は濡れ衣と発言

「北京厳陣」(北京原人)
厳戒態勢の中、北京オリンピック開催

「棄蓄米落」(鬼畜米英)
アメリカの金融危機に端を発した世界同時不景気

「故米猛騒」(誇大妄想)
事故米、汚染米の流通で不安広がる

「黒色燦然」(古色蒼然)
アメリカ初の黒人大統領誕生

「鳥牛偽鰻」(鳥獣戯画)
  鶏肉、牛肉 ウナギの産地偽装相次ぐ

             
「虎恨無颯」(古今無双)
    阪神タイガース歴史的V逸

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2008年10月25日 (土)

「第60回正倉院展」見学記

 第60回「正倉院展」に行ってきました。昨年は会期の中半の土曜日で、会場を一巻きするくらいの列に並びましたが、今回は初日であったためか思いの外列は短く、ほどなく会場に入ることができました。ただやはり、中はいつものごとく混雑しており、今回もワープ作戦で観たい展示物の中から、比較的空いているところに目をつけて回っていきました。そう言えば今年は会場係の人も「観る順番は決まっていないので、空いたところから観てください」と連呼されていました。

 今回の正倉院展の印象は、正倉院ならではのストレートな宝物の中に、「おやっ?」と思わせる変化球的な宝物があったことです。ならではの宝物の代表は「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」と「白瑠璃碗(はくるりのわん)」です。前者は散りばめらた宝石が鳥や花に姿を変え、その見事さは息をのむほどです。何度みても魅せられてしまいます。後者は遠くペルシャから伝わったカットガラスの碗で、1500年前の輝きを今の我々が観ることができるという貴重な宝物です。思わず両手に包み込みたくなってしまいます。反対にユニークな展示品の代表は「椰子の実」と「貂(てん)のミイラ」です。「椰子の実」は口をあけ、ちょっと情けなさそうな表情の人の顔になっていました。正倉院の宝物を観て、笑ってしまったのはこれが初めてです。いつの時代にも「受けねらい」の人がいるものですね。もうひとつの「貂のミイラ」は、これは今までにない異様でちょっとグロテスクな感もある宝物?です。なぜこれが正倉院の宝物になったかは不明ということらしいので、なんとも不思議なしろものです。

 といことで、いろいろ楽しませて頂いた正倉院展になりました。おみやげに、八角鏡をデザインしたハンカチを買いましたが、壁に貼って飾っておこうと思います。

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2008年8月23日 (土)

「大阪地方裁判所」見学記

 研修で大阪地方裁判所に行ってきました。午前中は公判の傍聴です。覚醒剤の使用で逮捕された若い男性の裁判でした。弁護士はじめ証人で証言した妻も、家で待っている子どもたちのために罪を償い、なんとか更正して帰って来るようにと訴えておられたのが感動的ですらありました。

 午後は来年の5月からはじまる市民参加の「裁判員制度」の説明を聞きました。大阪で裁判員に選ばれる確率は、全国一位だそうでそれだけ犯罪が多いということなんですね。話を聞いていた人から多く出されていた質問は、裁判員に選ばれたら「守秘義務」があるといことについてです。自分が裁判員になっていることを公にしてはいけないし、公判以外で知り得た秘密を他にもらしてはいけないことになっています。もし漏らしたら50万円以下の罰金と聞いてまたびっくり。もし自分だったらと思うと、飲み会の場なんかで思わずしゃべってしまいそうな気がしてなりません。また、ほとんど結論がはっきりしている事件ならまだしも、最高裁が作ったPR DVDのように自分の身重の妻をかばうために暴力をふるっていた者を思わず刺し殺した事件などは正当防衛なのか、どうか迷わずにはいられません。また新しい制度で被害者の家族が意見を述べることができるようになることで、ますます心情がゆらぎそうな気がしてなりません。

 しかしF1000003、そんな中でハード面は着々と準備ができているようで、 研修の最後には、裁判員裁判のために改装された法廷を見学しました。まず裁判官3人と裁判員6人が並ぶ法壇は今までより低くなっており、証言者の目線と裁判官の目線が同じ位置なるように工夫されていました。もうひとつはIT化です。法廷には大きな二つのモニターと、裁判官・裁判員の前にはそれぞれ小さなモニターがおかれて、証拠となる写真や弁護士・検察官の主張のポイントが映し出されるようになっていました。法律の知識がなくても、裁判に参加できるようにたくさんの工夫がされているようなのですが、実際には誰もが経験しなかったこと、果たしてうまくいくのでしょうか。

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2007年12月 1日 (土)

「風林火山」展を観て 大阪歴史博物館

 NHK大河ドラマ「風林火山」も、いよいよ最後の山場、川中島の戦いで竜虎まみえることになりましたが、今日は大阪歴史博物館で開催中の「風林火山」展を訪れました。まず、信玄・謙信ゆかりの歴史資料を、同時にこれほどまで多く集めたということはすごいことだとおもいました。しかも、複製はほとんど無く大体が実物の展示だけあって、説得力がありました。特に両武将直筆の感状には、それを拝受した家臣の身震いが感じられてきそうでした。今回印象に残ったのは、戦国大名の神仏への祈りです。謙信の毘沙門天 信玄の諏訪大明神、いくら武勇や戦略に長けても、神仏の加護を願わずにおれなかった彼らにとって、人間の生身がぶつかり合う合戦とは過酷なものだったのでしょうね。ついついテレビでは、迫力ある合戦のシーンに魅入ってしまうのですが、今日観た「川中島の合戦屏風」に細かく描き込まれた(謙信・信玄の一騎打ちもその中の一部でしかない)武将や足軽たちひとりひとりの生き残り、勝ち残りたいと願う執念のようなものを感じとってみたいと思いました。

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2007年11月10日 (土)

「第59回正倉院展」と秋篠宮様紀子様ご夫妻

Resize0240  今年も秋の定番である「正倉院展」に行ってきました。すでに訪れた知人の教頭先生の話では、入るまでに二重、三重に取り囲み、入ってからも人の頭しか見えなかったので、すぐに退散して「興福寺」の特別展に行くと、今度は阿修羅の手しかみえなかったということだったので、いつもより早めに家を出ましたが、それも効を奏さず、もうすでに長蛇の列で「50分待ち」とありました。ようやく館内に入っても展示物に人が群がる有様で、すべてをゆっくり観ることをあきらめ、観たい工芸品だけにしぼって移動するというピンポイント作戦でいくことにしました。その結果とにかく「観るべきものは観た」という感じで見学を終了することができました。今回の目玉は「紫檀金鈿柄香炉」です。手に持って焼香するための物ということで、文字通りハンディサイズながら、こんな小さなものの隅々にどんだけ飾りやデザインを凝るのかと思うほど豪華なものでした。しかも重しに使われたという獅子像がより品格を高めていました。それから「刻彫梧桐金銀絵花形合子」。小箱のふたらしいのですが、花と葉を立体的にデザインした今でも通用するようなモダンなもので、特に反り返った葉がリアルな風情を漂わせていました。
 
 博物館を後にしてからは、いつものように色づいた奈良公園の散策です。人があまり来なくて静かに秋を楽しめるのは、奈良新公会堂の中庭です。広い芝生と木々が茂れる美しい庭園をゆっくり眺めることができます。しかし今日は少し様相が変わっていて、玄関にはたくさんのSPらしき人が固めており、何か物々しい気配がしました。それでも気にすることなく、庭を散策してから出ようとすると、玄関はいつの間にか報道陣が詰めていて、これは誰か要人が来るなと思いました。しばらくすると3台の黒塗りの車が到着し、誰が降りてくるのかと固唾を飲んでみていると、真ん中の車から現れたのはなんと秋篠宮様紀子様ご夫妻でした。ギャラリーは僕たち夫婦ぐらいしかいなかったので、本当に目の前でお目にかかることができました。そばにいた妻は非常に感激しておりました。

 正倉院展は頭越しにしか観られなかったのが、皇室は目の当たりにすることができたという秋の1日になりました。 

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2007年6月23日 (土)

「田辺聖子文学記念館」を訪ねて

 「田辺聖子文学館」が、ご自身の出身校である樟蔭女子大学にオープンしたのでさっそく訪ねてみました。ちょうどオープン記念ということで、NHKで放映されていた「芋たこなんきん」のスタジオセットも展示されていました。この居間でカモカのおっちゃんと飲みながらよく話されていたなとか、この階段下のくぐもった書斎でよく執筆されていたなとか、徳永医院の看板などもそのままで、なつかしくドラマを思い出すことができました。
 
 文学館の方は、これまでに出版されたたくさんの本が壁一面に飾られており、その合間に田辺聖子さんの言葉が、そえられてありました。「正しくすることを信条としてはいけない。もっと楽しまないと」というお声が、楽しそうな題名の本やその可愛らしい装丁から聞こえてくるようでした。現在の書斎も再現されていました。ぬいぐるみや、ドールハウスなどに囲まれ、女学生の雰囲気を残した田辺聖子ライフを過ごされているものとお見受けしました。でも、婦人問題などと書かれたスクラップブックもたくさん見うけられ、楽しみだけではなく作家として社会へのたゆまない関心も持ち続けられていることにも感心しました。とにかく、歳にこだわらずいろいろな夢を追い続けられている姿に触れることができて、またまだ僕の人生楽しまないとという思いを新たにすることができました。

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2007年5月 5日 (土)

平等院から源氏物語ミュージアムへ

Resize004221Resize004121   GW第3弾は宇治へ「ちょっといい旅」に出かけました。久しぶり訪れた宇治は宇治川の清流と、平等院への参道に広がる新茶の香りに迎えられました。たまらずに蕎麦屋さんに入り込み、茶そばを所望。主人が店頭で手打ちを実演されているだけあって、緑の麺は細くて腰があり、まさに美味。ついでに抹茶ソフトに新茶の試飲と続き、完全に宇治茶一色モードに。
 
 参道を抜けると平等院。さすがにGW中とあって、大勢の人でにぎわっていました。ちょうど、藤が見頃を迎え棚に垂れ下がる風情は、風にそよぐ薄紫の自然のすだれのようにも思えました。藤棚の前に、鳳凰堂の威容が姿を見せてきました。いつ見ても美しく壮観です。残念ながら鳳凰堂の内部は平成の大修理で、入場制限をしながらの拝観だったので、阿弥陀如来様の姿は池ごしに拝むだけにとどめました。しかし、如来様をかざる様々な御物は、ミュージアムに移されており目の前で雲中供養像(天女の姿か)を観ることができ至福のひとときでした。雲の上で様々な楽器を奏でる姿は、まさに天上のオーケストラという感じで、是非その音色を聞いてみたいと思いました。
 
 平等院を後にして、源氏物語「宇治十帖」にまつわる早蕨の小道をたどると、源氏物語ムュージアムがあります。内部は多くの展示品で飾り立てることはしないで、源氏物語の世界を視覚的に体感できるように工夫されていました。特に上映されていた映画「浮船」は巨匠篠田正浩監督で、語りに岩下志麻や葉月里緒奈を用いて宇治市がこのミュージアムに力をいれていることがよくわかりました。
 
 最後にお土産に「茶だんご」もしっかり買って家路につきました

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2007年2月12日 (月)

第11回司馬遼太郎「菜の花忌」浅田次郎氏、田辺聖子氏

 司馬遼太郎が菜の花が好きだったところから名付けられた「菜の花忌」。その菜の花忌にちなんで毎年シンポジウムが開かれています。今年は大阪NHKホールで行われ、初めて抽選に当たったので参加させていただきました。まず、司馬遼太郎賞を受賞された浅田次郎氏のスピーチ。ちょっと思っていたイメージとは違いましたが、文庫本の「椿山課長の7日間」のカバーの椿山課長の絵によく似ておられたような。読者には気づかれていないかもしれないが、自分としては教科書には載らない明治以降の歴史を小説の中に書き込んでいるといわれていました。また、仲の悪かった父親と同世代の司馬さんの本を読むことで、大正生まれの父親の思いがよくわかったともいわれていました。ということを短くまとめられてお話されるあたりさすがだなと感心しました。
 
 後半は「司馬作品の輝く女性たち」というテーマのシンポジウム。ここに田辺聖子さんが出ておられました。NHKドラマ「芋たこなんきん」のモデルなので是非お目にかかりたいと思ってました。こてこての大阪人かと思っていたらさにあらず、それは可愛らしい話し方で大阪弁も上品に聞こえる人でした。話す内容もおもしろく、また熱がこもり会場からはさかんに拍手がおきていました。特に交友のあった司馬さんについて「肌がほてる感じの人」「人たらしの人」という言葉を使われて、人に優しく人に関心を強く持たれた司馬さんを偲んでおられました。
 
 最後に出口で参加者全員に菜の花が配られましたが、まだ読み終えていない、読むことができなかった「龍馬がゆく」最終巻を意を決して読んでみようかと思いました。

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2006年11月 4日 (土)

正倉院展 長蛇の列とお弁当

P1000490_1第58回正倉院展に出かけました。ここ二十数年来、毎年かかさず会期中の土曜日の朝に訪れていましたが、開館時間の9時に奈良国立博物館に着くと、なんともう建物をぐるりと巡る列ができており、係員が入場まで90分待ち(実際には40分で入れましたが)のプラカードを持って立っていました。こんなことは僕の経験では初めてのことです。思うに開催の協力新聞社が昨年度以来朝日新聞から読売新聞に変わったことに原因があるようです。一つは新聞読者が請求すれば招待券を渡していること(自分もその一人ですが)、また読売旅行の団体ツアーが会期にあわせて組まれていることなどです。でもいい変化もあります。入り口では、わかりやすく正倉院展を解説した新聞の特集版や、展示品の紹介のパンフを配布されていること、全員に抽選券を配り、あたれば景品をもらえること(今年は外れましたが、去年は御物をかたどった携帯ストラップがもらえました)などのサービスです。それだけ正倉院展のすそ野を広げられている読売新聞社の努力は認めますが、あまりやりすぎがあると、正倉院展の文化度が薄まってしまうことを危惧します。
 
 さて、今年は光明皇后が宝物を東大寺に献納して、1250年目ということで聖武天皇ゆかりの物が多く展示されていました。初めて見る物に「国家珍宝帳」がありました。これは献納品の目録で、丹念に書かれた文字と隙間無くおされた「天皇御璽」の印が印象的でした。いつも楽しみにしている「琵琶」や「螺鈿の鏡」は今回は無くて、全体的には地味な感じでしたが、細かく細工された数々の工芸品や孔雀の刺繍などには目を奪われました。

 見学を終えて、地下に降りるとたぶんこれも無かったことですが、お弁当を販売しておられました。その中で「万葉弁当」なるものを買ったのですが、これがなかなかの物でした。
まず容器はい草で編まれていて、食べた後もおにぎりなんか入れたらおいしそうです。中味は、蓮の実入り奈良茶飯、大和地鶏の塩焼き、飛鳥の蘇(古代のチーズ)などで見た目は地味ですが、万葉の時代に見立てた奈良の特産がたくさんもりこまれて、たいへんおいしかったです。1600円とちょっと値段は高めですが、レジャーシートと柿ケーキも付いていてたいへん満足しました。メーカーは「RAHOTSU」とありました。

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2006年10月21日 (土)

USJラグーンショー・ ピーターパンのネバーランド

Resize0008ピーターパンとウェンディが空を飛ぶシーンを何枚かデジカメで撮ったのですが、まともに見られるのはこれ1枚だけでした。

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2006年9月17日 (日)

京都・嵐山「時雨殿」見学記

06091613_51_20  京都にある両親の墓に参った後、嵐山まで足をのばしてみました。土曜日の午後というのに、台風接近の曇り空で、観光客もそれほど多くはありませんでした。渡月橋そばの料理店で、嵯峨豆腐の湯豆腐を食べてから今年オープンした「時雨殿」を訪ねてみました。去年、同じく墓参りの後、常寂光時にある藤原定家が「百人一首」を編んだという「時雨亭」跡に行ったのですが、「時雨殿」はそのいわれにちなんで建てられたようです。建物に入ると、靴と持ち物はロッカーにいれるように案内を受けました。持ち物までロッカーとはどういうことかと思いましたが、中に入ってその理由がわかりました。一面に床スクリーンが広がる薄暗い部屋で、なんと任天堂のゲーム機(DS)を渡されて、京都空中散歩や札取り遊びができるようにしてあるのです。それもそのはず、この施設は任天堂の元社長さんの寄付によって建てられたものなんですね。空中写真の規模は買いますが、小さすぎてあまり迫力は感じられませんでした。札取り遊びは、ゲーム機に写る同じ絵札をスクリーンから探しだすという遊びです。僕は3枚しかとれませんでしたが、奥さんは6枚ゲットして1位だったと喜んでました。壁面に書かれた歌の前に立つと、ゲーム機から朗詠や歌の説明が聞けるのはおもしろいですね。特に恋歌を聞くと、歌に託したいにしえの人の思いが切々と伝わってくるようです。P1000354_1 そのほか、バーチャルで歌人達(結構かわいい女性などが登場します。これなら負けても悔しくはないか)とカルタ取りをして遊んだり、井戸をのぞき込むようなクイズなどがあり、藤原定家も驚くデジタル「百人一首」となっていました。ただとりあわせはおもしろい発想かもしれませんが、リピーターを獲得するには、営業努力がまだ必要なようです。2階に展示された百人一首の中に戦時中に作られた「愛国百人一首」がありました。日本の国や天皇をたたえる歌ばかりが集められ(もちろん恋歌などありません)、戦意高揚のために使われたようです。それを思うと、ゲームになって遊べる百人一首は平和の証なのかもしれません。

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2006年9月 9日 (土)

「紙屋悦子の青春」にかかわって

 映画の感想を書きながら、両親(もうどちらも亡くなりましたが)から聞いた話を思い出しましたので、ここに書き留めておきたいと思います。召集された父のいた部隊が大阪から、戦地(満州)に出発することになったそうです。機密上もちろん家族に知らされることはありません。しかし母はたまたま、警察官をしていた親戚から情報を得て、出発する日に兵舎にかけつけ、父を見送ることができました。見送っていた母に、兵隊さん達が次々とかけより、会うことができなかった家族への手紙を託していきました。それは母の両手に持ちきれないぐらいの手紙の数になったそうです。次の日は決められていた兵舎での家族との面会日でした。母は父が残していった荷物だけを受け取りに出かけていきましたが、そこには事情を知らされていない家族が、好物の「おはぎ」や「お弁当」をいっぱいつくって持ってきておられたそうです。しかし、すでに兵隊の出発したあとの兵舎には荷物しか残っておらず、面会に来た家族はみんな、荷物だけをもって泣いて帰っていったそうです。幸いに父は無事に生還できましたが、そのまま二度と家族の元に還ってこれなかった人も大勢いたことなのでしょう。

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2006年8月20日 (日)

サントリー京都ビール工場見学記

Pp_2 今日は高校の6回目のプチ同窓会。3年ほど前から、大阪近郊に住む者で旧交を温め続けている。今回は工場見学シリーズの第2弾(前回はサントリーの山崎工場)で、サントリー京都ビール工場へ。JR長岡京駅からシャトルバスに乗って10分ほど。工場に入ると見学者用施設に案内される。他のメーカーはどうなのか知らないが、ホテルのような小綺麗なロビーである。夏休みの土曜日とあって、100人近くの見学者が集まっていた。まず中庭にあるホップから紹介される。ここで使われるホップはドイツ産というで、とにかく天然水など原料にこだわっていることを強調されていた。これこそプレミアムビールだということなのであろう。工場に入り、「麦芽ジュース」をつくる巨大なタンクにおどろく。60度ぐらいが適するということで、部屋も熱気がこもる。続いて発酵からビールをねかせる貯酒へと、たくさんのパイプが走る。ひとつのタンクには大瓶にして25万本分のビールがためられているという。気の遠くなる量である。最後に缶詰、瓶詰めの行程なのだが、一番見たかったところなのだが、いかんせんそれはビデオたげであった。そしていよいよほとんどの見学者のお目当てだと思われるビールの試飲会場へ。おつまみまでいただき、さっそくできたてのプレミアムモルツを飲み干す。やはり「できたて」「鉄管直送」のビールはちがう。普通のモルツビールとプレミアムモルツをぜひ味わっていただきたいと言われていたが、発泡酒と普通のビールの違いもわかない自分にとっては、プレミアムビールだけで満足することにする。会場では、おいしいビールの注ぎ方も実演してもらった。結構高い位置から一気にコップに半分くらい注ぎ込む。当然アワだらけになるのだが、暫く待って泡が上にたまってきたところをみはかり、グラスをかたむけ静かに注ぎ込むといものである。こうすれば適度な泡がビールをおさえておいしく飲めるということらしい。サントリーの社員はみんなこの飲み方とか。一応「健康のため、おかわりは3杯まで」という注意書きがあったが、好きな人はここぞとばかり3杯以上いっていたように思う。友達のM君は、これで終わりますというアナウンスがあったにもかかわらず、おかわりに行き「グラス半分だけにして下さい」といわれたものの最後までビールを楽しんでいた。恐るべし。感じたことは、サントリーの職員の方が、自社の製品に自信を持ちこよなく愛されているということである。特に案内していただいた、笑顔が素敵な前田さん、どうもありがとうございました。おみやげにプレミアム・モルツを買った。僕は2本。最初ケースごと買うと豪語していたMさんは、さすが数学の先生らしく計算した上で、6本だけにしてましたが。その後の宴会も盛り上がり、楽しい同窓会になつたことはいうまでも無い。

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2006年1月19日 (木)

国語力をつけるには、どうしたら

 今日、子どもらに「国語力」をつけるにはどうしたらいいか小学校の先生と話し合いました。まずは読書活動に力をいれることで一致したのですが、ふだんの授業の中で、どんな工夫をすればいいか有効な方法は、なかなか見つかりませんでした。この問題は根深いようです。それでは自分自身はどのように国語力を身につけたんだろうかと、振り返ってみたら、それは小学校の5、6年生の時の担任だったY先生のおかげかなと思うのです。Y先生は、「日記は心のアルバムだ」と言われて生徒に毎日日記を書くことを強要!されました。そして、いつも朱で返事を書いて返してくださったのです。忘れてきたら、残して書かせる徹底ぶりでした。そのおかげで、人に読んでもらうための文を自分なりに、考えて毎日書くようになりました。日記をつける習慣はその後も続き、中学、高校、大学、社会人とそれぞれの時代の日記帳がまだ本棚にならんでいます。結婚してからは、僕の日記帳に嫁さんが、入り込んできました。最近では、ガンで入院中の絶望的な状況の中で日記をつけることが、どれだけ自分を支えてくれたかしれません。

一度生徒に日記をつけることを提案してみようかな。でもいやがられるかな。

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2006年1月 1日 (日)

卒業DVD作り

 今日から2006年。家族みんなで、おだやかな正月を迎えられた幸せに感謝したいと思います。

 この数日は、卒業式前のお別れ会で、保護者と生徒に見せるためのDVDの編集作業をしています。入学式から撮りためた写真やビデオを並べて、1本の作品に仕上げているのです。1年生の時の写真を見て、生徒から歓声とも悲鳴とも聞こえるような声があがるのが、目に見えるようです。私にとってはこの仕事が、教師のひとつの醍醐味となっています。パソコンで編集したり、BGMは何にしようかと考える楽しみもありますが、それを見て自分達の学校生活を振り返り、懐かしく思いながら気持ちよく生徒達が卒業してくれることが、何よりうれしいのです。これは、絶対に現場にいないと味わえない仕事です。昔の教え子の親からきた年賀状に「教師としての使命を果たしてください」という言葉がありました。このまま現場に残り続けて、一教師としてがんばっていきたいと思います。テレビの新春かくし芸大会で堺正章さんが、素晴らしい芸を見せてくれていましたが、そのようにいつまでも、自分の教育技術を磨いていきたいという思いを新たにした年のはじめです。

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2005年12月28日 (水)

初プログ

 今まで自己満足的(現在までアクセス数300ほど、内半数は自分でアクセス)なホームページづくりは経験していますが、ブログには初挑戦で少し緊張しています。何を書いていいのかとまどってしまいますが、自分の好きな演劇、ミュージカル、読んでおもしろかった本、仕事の話(中学の教員です)などのせていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

 最初は、演劇の話。三谷幸喜氏の作品を中心に見ています。先月は「龍馬の妻とその夫と愛人」を見ました。「その場しのぎの男たち」と同じく東京ボードヴィルショーの作品で、三谷流のみごとな歴史解釈(曲解?)で笑わせていただきました。来月はいよいよ「12人の優しい日本人」の大阪公演です。チケット争奪戦に連戦連敗の破竹の勢いだったのですが知人から思いもかけずチケットを譲っていただき、1月28日を心待ちにしています。もし東京公演を見られた方がありましたら感想をお聞かせ下さい。

竜ののの馬の妻とその夫と愛人竜馬の妻とその夫と愛人

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