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2012年2月

2012年2月25日 (土)

ミュージカル「ハムレット」 25日 大阪公演 昼の部を観て

  「この世界を越えていきたい。すべてを置き去りにして、さび付いた夢さえも。そして2人飛び立とう」。劇中で歌われたハムレットとオフィーリアのデュエットです。若い情熱だけを頼りに生きようとする恋人たちの切ない思いがよく伝わってきました。こんな熱い気持ち、それこそ自分にとってはいつの間にか置き去りにしてしまいましたが、今思い切って新たな人生を踏み出そうとしている身には、なんとなく2人からの応援歌のように聞いていました。

「ハムレット」は学生時代に新潮文庫で読みましたが、舞台でみるのは初めてです。しかも、ミュージカル・ロックというのですから、どんなシェークスピアになるのだろうかと少し気をもんでいました。しかし、結論から言うと大変わかりやすかったです。シェークスピア独特の誇張された難解なセリフはほとんど無く、それらはすべてミュージカルナンバーに置き換えられ、出演者の感情がストレートに観る者の心に響いてくるようです。

 複雑な悩みを抱えるハムレットの思いは、「ビー、ノット・ビー」の歌を以てしても、共感するには一度観ただけでは無理なところもありましたが、愛するハムレットに「尼寺へ行け」と邪険にされ、最後父さえ殺されてしまうオフィーリアの哀しみは、狂って歌う冒頭の歌に胸が熱くなってしまうほどでした。しかし、「ハムレット」って昼ドラなんか目ではない、相当なドロドロ復讐劇だったんですね。それもよくわかりました。

 原作通りならば5時間はかかるという長編悲劇を、わすが2時間10分(途中休憩20分含む)で観られたというのは、本格的なシェークスピアを知らない者にとっては、リーズナブルな時間であったと思います。カーテンコールで主演の井上芳雄が、年長の村井國夫に「村井さんにはこれぐらいがちょうどいい」とからかっていたのもおもしろかったです。

 急いだ部分、少しわかりづらいところもありましたが、ナンバーやダンスだけではなく、墓場で「ボチボチいこか」とかのギャグも入り、笑わせる場面もけっこうたくさんあって全体的に楽しむことができました。

 ハムレットをつとめた井上芳雄。スレンダーで悩める王子の姿がよく似合っていました。感情のこめられた歌もうまいし、熱い演技でした。可憐なオフィーリア役の昆夏美、妖艶なガートルード役の涼風真世、正義感あふれたレアティーズ役の伊礼彼方など、多様な人物像がそれぞれの持ち味で表現されていました。

2012年2月11日 (土)

ミュージカル「十一ぴきのネコ」 大阪公演 11日 昼の部を観て

 今年は「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」という長い名前のアニバーサリーで、1年間に渡り8本の作品が上演されるそうです。井上ひさしファンの自分にとっては、見逃せない年になりそうです。そしてその第一弾がミュージカル「十一ぴきのネコ」。

 馬場のぼるの絵本がベースになっているので、ファンタジックな舞台を想像していました。事実、客席には結構小さなお子さんの姿も多く見られました。しかし、サブタイトルが「子どもとその付き添いのためのミュージカル」とあるように、子どもたちももちろん見て楽しめますが、やはり井上作品らしく人間や社会をテーマにした内容の深い舞台であったことに間違いありません。

 開演前、「野良ネコ」たちが観客にちょっかいをかけうろつきまわっていきます。この時点ですでにファンタジックなネコではないことがわかりました。「キャッツ」のネコとはつくりがまず違います。へたをすればホームレスのようにも見えてしまいます。中にはたちの悪そうなのもおり、遅れてきたお客さんもからかわれていました。

 しかし、この個性豊かなネコたちがひとたび舞台に上がるや、群衆劇ならず群ネコ劇となって、見事に腹ぺこ野良ネコを演じていくのでした。特にひとつのリアクションを十一匹がそれぞれ異なるセリフでつないでいくパターンは、言葉がネコのように調子よく飛びかい、日本語のイリュージョンを聞いているようでもありました。そして、いつも最後の「にゃん十一」(山内圭哉)のところで、こけてしまうところがまた可笑しい。

 十一匹が繰り広げる、息のあったダンスやコーラスはまさにミュージカルの醍醐味であったと思います。しかし、それで楽しかっただけでは終わりませんでした。作品が作られた1971年という時代へのメッセージが色濃く込められていたからです。三島由紀夫の割腹自殺やベトナム戦争も登場しますが、それ以上に変わっていく日本人への作者の哀しみがそこにはありました。

 何も無い時代は貧しかったけれども、みんな明るくて互いに優しかった、そして人々は未来への希望のために力を合わせてなんとか生き抜こうとしていた。しかしひとたび豊かさを手に入れてしまうと、確かにあったはずのそんな大切なものが見えなくなってしまうと。

 「人間全体が幸せにならないといけない」、「自分の運命は自分で決める」といったセリフは現代に向けた井上ひさしの決意であるかのように思いました。

 主役の「にゃん太郎」を演じた北村有起也。みんなのために知恵を出して、前に引っ張って行こうとする理想的なリーダー役でしたが、時にはずっこけ時には間違う愛すべきネコを好演していました。

2012年2月 5日 (日)

NHK土曜ドラマスペシャル「キルトの家」後編 短い日日のあとに を観て

――諸君!
魂のはなしをしましょう
魂のはなしを!
なんという長い間
ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう

 ドラマの中で、語られた吉野弘の詩の一節です。すべての人間の心には、それぞれ魂があるのです。知らず培ってきた自分の生きる意味となる魂が、生きる喜びや哀しみに包まれた魂が。

 「人間はみな同じ」というけれども、それは少し違うと思います。同じ人間はふたりといないのです。だからそのひとりひとりが持つ魂の重さを大切にしなければならない。松坂慶子演じる桜井一恵の父親が死の直前に残した、「私は老人ではない桜井隆一郎という名のある人間だ」との痛切な叫びはまさに魂の叫びだったのでしょう。

 老人が自立することも、老人に援助の手を差しのべることもどちらも大事なことです。ただそこに老人は、意地を張らずあるがままの自分をみつめなければならないだろうし、若者も決して同情や慈善の気持ちだけであってはいけない。

 高齢化社会になって自立か援助か、これからどこまでも議論が続くと思いますが、人間が幸せな最期を迎えるためには、助け合いのシステムと同時に、魂の交流が不可欠なのだと思います。人間は寂しい、だからこそ家族、夫婦、恋人、仲間が互いの魂を温め合える関係をつくらないといけないのだと思いました。

2012年2月 4日 (土)

ミュージカル「ラ カージュ オ フォール 籠の中の道化たち」 大阪公演 4日昼の部を観て

 嬌声か喊声か、ダンスかアクロバットか、1幕の終わりに演じられた12人の『ゲイダンサーズ』によるカンカンに圧倒されてしまいました。一歩間違えれば妖しい世界になってしまうものを、観ている方は気分が高揚し手拍子に我を忘れ、最後には清々しい思いにさえ至っていました。まさに自分がゲイクラブのお客にでもなったかのように。
 
 

 『ラ☆カージュ オ フォール』、理屈抜きに楽しめるミュージカル・コメディです。登場するのはホモの夫婦とゲイダンサーズたち。普通には引いてしまいそうになる面々ですが、それがみなさん何とも言えず魅力的なんですね。本当のゲイの人たちもそうであるかのように、包み隠さずありのままの自分をさらけ出しているからなんだと思います。それは市村正親さん演じるアルバン(ゲイクラブの看板スター)が「ありのままの私」というナンバーで、誰になんと言われようが自分は自分であり、自分らしく誇り高く生きると歌われているように。

 愛にはいろいろな形があることも教えられます。ホモ夫婦の愛情と、そしてゲイである母親?が息子にかける愛情。それは実の女性である母親!の愛情よりも深いものでした。人間を型にはめて考えようとする人たちにとっては、それは理解しがたく拒絶せざるをえないものなのかもしれません。しかし見た目にきれいな愛だけが愛ではない、どれだけ心を尽くして愛せるかが大切であると思います。

  ストーリーの方は三谷幸喜的なシチュエーションコメディになっていました。特に息子の恋人の両親の前で、実の母親として登場するアルバンが最高にけっさくでもあり、一生懸命母親らしく努めようとする姿には胸が熱くもなりました。そして今この時を大事にして、前に進もうという呼び掛けに元気がもらえたミュージカルになりました。

  軽妙なセリフの掛け合いが、劇の調子を作っていましたが、鹿賀丈史と市村正親の息の合った演技が素晴らしかったです。表情が生き生きと演じられた香寿たつきさん、タイトなドレスが素敵で魅力的でした。他に、原田優一、愛原実花、今井清隆、森公美子らが出演。

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