朝日新聞「沖縄40年 変わらぬ思い 1972年本土派遣の中学生たち」を読んで
今日の朝日新聞の朝刊に掲載された、「1972年 本土派遣の中学生たち」という記事http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000111112280001を見つけ、40年前の記憶が甦ってきました。
大阪で万博があった1970年、僕は大阪市内にある中学校の3年生で、生徒会の役員をしていました。その時ちょうど記事にあるような、沖縄から来た中学生の豆記者を迎えたことがあるのです。
当時沖縄は本土復帰前で、4月28日の「沖縄デー」ではみんなで沖縄にある米軍基地の地図を模造紙に描いて、沖縄の返還を求める学習をしていました。沖縄から来た中学生は、見るからに日焼けした元気そうな顔に、白い歯がとても印象的でした。
しかしその時彼らから聞いた話は、沖縄の悲しい現実でした。夜歩いていると米兵が追いかけてきて、とても怖い思いしたという女子中学生。給食はアメリカから与えられていて、パンを包んだ紙には握手しあう手が画かれてあり、感謝することを押しつけるようなその感じがとても不愉快だと話した男子中学生。
僕はただただ黙って聞いているだけでしたが、同じ中学生でありながら本土の自分たちとのあまりもの差に、いたたまれない気分になりました。そして、沖縄が日本に一刻も早く返還され、平和で幸せな暮らしができるように願わざるを得ませんでした。
その後、沖縄に帰るという一団を大阪駅まで、見送りにいきました。最後に僕が荷物を持ってあげていた女子と、列車の窓越しに握手をして別れました。その女子は浦添市立浦添中学校2年生の玉城ルリ子さんという人で、その後も何度か文通したこともあるのですが、元気にされているのでしょうか。
今でも沖縄から中学生の豆記者交歓が行われていることを始めて知りました。しかし、あれから40年もたつというのに、沖縄は依然と移設問題で揺れる「基地の島」であり、あのとき願った平和と幸福な生活はいまだに実現されていません。沖縄から来る中学生が心から笑顔で、本土の中学生と交流できるのはいつの日のことでしょか。





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