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2011年12月

2011年12月29日 (木)

朝日新聞「沖縄40年 変わらぬ思い 1972年本土派遣の中学生たち」を読んで

 今日の朝日新聞の朝刊に掲載された、「1972年 本土派遣の中学生たち」という記事http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000111112280001を見つけ、40年前の記憶が甦ってきました。

 大阪で万博があった1970年、僕は大阪市内にある中学校の3年生で、生徒会の役員をしていました。その時ちょうど記事にあるような、沖縄から来た中学生の豆記者を迎えたことがあるのです。

 当時沖縄は本土復帰前で、4月28日の「沖縄デー」ではみんなで沖縄にある米軍基地の地図を模造紙に描いて、沖縄の返還を求める学習をしていました。沖縄から来た中学生は、見るからに日焼けした元気そうな顔に、白い歯がとても印象的でした。

 しかしその時彼らから聞いた話は、沖縄の悲しい現実でした。夜歩いていると米兵が追いかけてきて、とても怖い思いしたという女子中学生。給食はアメリカから与えられていて、パンを包んだ紙には握手しあう手が画かれてあり、感謝することを押しつけるようなその感じがとても不愉快だと話した男子中学生。

 僕はただただ黙って聞いているだけでしたが、同じ中学生でありながら本土の自分たちとのあまりもの差に、いたたまれない気分になりました。そして、沖縄が日本に一刻も早く返還され、平和で幸せな暮らしができるように願わざるを得ませんでした。
 
 その後、沖縄に帰るという一団を大阪駅まで、見送りにいきました。最後に僕が荷物を持ってあげていた女子と、列車の窓越しに握手をして別れました。その女子は浦添市立浦添中学校2年生の玉城ルリ子さんという人で、その後も何度か文通したこともあるのですが、元気にされているのでしょうか。
 

 今でも沖縄から中学生の豆記者交歓が行われていることを始めて知りました。しかし、あれから40年もたつというのに、沖縄は依然と移設問題で揺れる「基地の島」であり、あのとき願った平和と幸福な生活はいまだに実現されていません。沖縄から来る中学生が心から笑顔で、本土の中学生と交流できるのはいつの日のことでしょか。

2011年12月25日 (日)

第三舞台「深呼吸する惑星」 24日 大阪公演 を観て

 第三舞台という劇団は知らなかったのですが、10年の封印解除&解散公演ということがセンセーショナルに思えて「深呼吸する惑星」を観てきました。

 かつてから人気のある劇団であることは、観客の年齢層の高さにも表れていたし、劇中の次におこるであろうアクションへの期待をこめた笑いは、きっと「追っかけ」をされている方が多いことによるものと思いました。主演の筧利夫さん以外、他の劇団員の方々はあまり見覚えがなかったのですが、ベテランの俳優さんばかりで確かに息のあった演技は見応えがありました。

 ツボを押さえた笑い、身体を張ったギャグ、矢継ぎ早のセリフ、そしてシンクロナイズされたダンスなどどれをとっても洗練されていて、十二分に楽しませて頂きました。それからなんといっても、合計いくつの場面があったのかと思うほどのスピーディな展開。最初は戸惑いましたが、小さな出来事の積み重ねで、一人の人間が持つ様々な姿を見て取ることが出来たように思います。
 
 ストーリーの方はSFで、地球連邦に支配された星や宇宙人などが登場しますが、それ以上に空想科学的なことはほとんどなくて、現在を生きる人間の社会や心理を表しているようでした。歳だけ重ね大人になりきれない大人たち、地球人に都合得よく支配される星の姿は、沖縄やイラクのことを思い浮かべてしまいました。また、人が持つ心の痛みにどれだけより添えられるか、を考えさせられたという意味では、東北大震災にも通じ、「頑張れ」「立ち上がれ」というかけ声だけでは何も変わらない、ということに気付かされたようにも思います。
 
 終演後、「50歳代の人たちが楽しめる劇だったね」という話し声が聞こえてきましたが、「チンドン屋」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」とか、確かに懐かしかったです。ロビーで見かけた、鴻上尚史さんありがとう御座いました。

2011年12月23日 (金)

映画「『聯合艦隊司令長官山本五十六」を観て

 開戦70周年記念映画。

 

 「この5年間で首相が9人も変わった」、「この閉塞した状況を打破するためになんとかしなければならない」と言われれば、どこかで聞いたことのある言葉ですが、これらはこの映画で語られたセリフの一部です。そして政治も経済も息詰まると、勇ましいことを言う者に国民の賛同が集まりやすくなります。「戦争をすれば景気が良くなる」「日本の進出を押さえつけているアメリカを打破しろ」「バスに乗り遅れるな」などという高揚した気分で、日本は三国同盟を結び、無謀なアメリカとの戦争を始めてしまいました。新聞も国民をあおる役割を果たしたこともよく描かれていました。

 不戦海軍の思想を抱き、三国同盟に反対し対米開戦を避けようと尽力した山本五十六が、連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃の指揮をとることになるとは、皮肉な運命と言わざるを得ません。それが困難な戦局の中にあってもあきらめず、最後まで講和で終わらせる努力をしたことは、任務に対する責任の取り方として畏怖すべきものを感じました。

 そんな彼に対して、海軍軍令部との指揮命令系統が機能していなかったことが、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の作戦失敗に終わったことにつながっていることもよくわかりました。個人の努力にかかわらず、システムに問題があると成功することがないことを如実に表しています。

  自らの信念を全うし、冷静に大局をみつめ(戦争中も将棋に没頭するのもその表れでしょうか?)、軽挙妄動な発言にはその根拠を求め、現場の指揮官を信頼し、部下に温情をかける、まさにリーダーとしてふさわしい人物だとも思えました。「自分の目と耳と心で世界を見なさい」と若者に語りかけていましたが、今日本の進路を過つことのないためにも、心しなければならない言葉だと思います。
 
 映画紹介に戦争スペクタルとありましたが、戦争場面はさほど多くはなく、人間「山本五十六」を意識した映画づくりのようでした。
 

 山本五十六役の役所広司。風格あるリーダーをさせれば、この人の右に出る人はいません。家族や幼い者へ思いやる姿も自然で、人間味を感じさせてくれました。社の方針と真実の報道のジレンマに苦しむ若い記者を玉木宏が好演していました。「源氏物語」では生き霊に、この映画でダンサーにと演技に幅の広さを見せる田中麗奈、他に柳葉敏郎、阿部寛、瀬戸朝香、香川照之らが出演。

2011年12月20日 (火)

「不退寺」から「平城宮跡」へ

 燃え立つような紅葉の季節も過ぎ、冬枯れた風景の中に奈良の古寺を訪れました。「不退寺」です。近鉄新大宮駅から北に向かい15分ほど歩き、車の行き交う国道との交差点から少し道を外れると、そこだけ時がとまったかのような感覚さえ覚える小道の先に、木々に埋もれた山門が見えてきました。

 中に入ると慎ましやかな境内が迎えてくれました。時おり射す冬の光りが温かく感じられ、そこだけ赤く点灯したような山茶花の木に宿り来るメジロの鳴き声が、楽しげに聞こえてきます。参拝客は僕一人でしたが、お寺の方に本堂に招かれ、まつられている仏像のお話をして頂きました。本尊は「聖観世音菩薩」。貝殻でつくられた胡粉という顔料が使われているそうで、そのため仏像には珍しく白色をしいます。側面にはリボンのような大きな飾り、蓮の模様の後背。白さとともにまさしくエレガントな仏様です。話に聞けば、建立した在原業平の思い人がモデルやも知れぬということで、ほほえましく思えました。

 庭の池に浮かぶ、散り果てて褐色になった紅葉に時のうつろいのもの悲しさを感じながら、おいとまさせていだきました。

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  次に向かったのは「海龍王寺」。遣唐使の航海安全を祈願した寺院ということで、今でも渡海する人たちが参拝に来られるということです。本堂には世界各地の海水が瓶につめられて祭られており、その中には津波の被害にあった宮城県女川漁港のものもありました。鎮魂の祈りは様々なところでいとなまれていることを深く感じました。

 その後は足を伸ばして、「平城宮跡」に行きました。昨年の遷都1300年記念祭には結局1度も訪れたことがなかったので、復元した「大極殿」と「遣唐使船」を是非観たいと思ってましたが、やっとその思いをかなえることができました。平日とあって人影は全くなく、広い平城宮を独り占めしたような気分になれました。特に内部の天皇が御座した高御座(たかみくら)から眺める前庭は壮観でした。しばし殿上人の気分にひたっていました。

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 最後は「平城京資料館」で、平城京をバーチャルシアターで楽しみ、遣唐使船にも乗ることができて、寒い一日だったにもかかわらず、温かい気持ちになって帰ることができました。

2011年12月18日 (日)

WOWOW「現代能楽集Ⅵ 奇ッ怪其ノ弐」を観て

 「劇団イキウメ」の前田知大の作・演出作品。地震により噴出したガスのために、壊滅した村に残された神社が舞台。そこへ亡くなった神主の息子(山内圭哉)が戻ってくるが、山田(仲村トオル)と名乗るホームレスが住みついていて、幽明の境界をさまよう不思議な霊の話を始める。しだいにその神社にはこの世ならぬ者たちが漂っていることに気付いていく。そして・・・。
 
 四角にしつらえた能舞台のような社(やしろ)で、時間と空間を飛び越え、演じる者が他者に頻繁に入れ替わる中で、様々な話が紡がれていきます。それらは当たり前に暮らしているはずの日常生活には、人の死を前にすることで、舞台に空けられた穴のようなひずみが出現することを示唆していました。臓器移植、携帯電話、インターネットなど現代科学が登場しますが、人の生死はそんなものでは決して説明できない、不合理で不条理で不可知的な世界であることを物語っていきます。

 観ている者もつい、本当に自分が今生きているのか、生きていると思っているだけではないのか、とそんな気分にさせられてしまいます。逆に言えば普段我々は、知らず知らず生きていることに思い上っているだけなのかもしれません。
 

 では生きていることが確かになるにはどうすれば良いか。それは死者と向き合うことであると作者は言っているように思えました。死んでいった者の思いや生きていた証を受けとめることが、彼らの魂を鎮め、そして今生きている自らの魂を顕らかにすることにつながるのではないかと。

 仲村トオルが落ち着いた余裕のある演技で、死者と現世をつなぐ不思議な世界のナビゲーター役をうまくつとめていました。

2011年12月11日 (日)

映画「源氏物語 千年の謎」を観て

 観るまでは絢爛豪華な王朝絵巻の映画と思い込んでいましたが、それは男女の浮かれたラブストーリーなどでは決してなく、それはおぞましさも感じられるような人間の業を描いた作品でした。

 「源氏物語」を読んだことがないので、原作と映画を比較できないのですが、作者の紫式部が登場し、副題に「千年の謎」とあるように、紫式部がどのような情念でこの物語を書いたのかが、映画のテーマになっていました。それを表現するために現実の貴族社会と物語のバーチャルリアリテイが重なりあい、面白い構成になっています。

 道ならぬ藤原道長との恋が彼女の心に修羅の世界をひきおこし、その投影されたものが光源氏とそして彼にかかわる姫君たちの苦難の恋になるというものです。確かにお気楽なプレイボーイの話ではないということはよくわかりました。母の愛を知らず、義母・藤壺へのなせぬ思いが、女性遍歴を重ね続ける源氏の君の幼児的な性愛になるのだと。

 プライド、嫉妬、熱情、様々な女性の深い心理を暴く恐ろしさもありましたが、特に六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が生き霊となって、夕顔と葵の上を呪い殺す場面は、ホラー映画さながらでした。ただそこに安倍晴明が現実世界から「侵入」してくるのはご愛敬ということでしょうか。

 恋に落ちる者のほとばしるほどの歓喜と、地獄のような苦しみ、妬み、このドロドロさはいつの時代でも、第三者に興味をひきおこさせるようですね。決して純愛物語ではない源氏物語を再認識させられたような映画でもありました。

 衣装やセットなど細かいところまでこだわり、平安時代の雰囲気をよく醸しだしてその美しさも見応えがありました。

 美しい者の宿命として、女性に恋続ける光源氏の姿を生田斗真が清々しい演技で魅せてくれました。道長役の東山紀之。権力者としての風格と、女心に波風をたてる風情を兼ね持つ人物を好演していました。紫式部役の中谷美紀。映画やドラマで紫式部を観るのは初めてのような気がしますが、落ち着いた態度でそれらしい気品を感じました。六条御息所役で熱演した田中麗奈、この映画のある意味主役でした。他に窪塚洋介、真木よう子、多部未華子、東儀秀樹らが出演。

2011年12月 4日 (日)

映画「RAILWAYS  愛を伝えられない大人たちへ」を観て

 35年間無事故・無違反で仕事には何のほころびもなかった地方鉄道の運転手が、定年退職を目前にして、家庭で妻との関係にほころびをきたしてしまいます。

 前作のRAILWAYS1では、49歳にして電車の運転手になる夢を追い求めた男の物語でしたが、今回は仕事を果たし終えた夫と、これを機会に新たな生き甲斐を求めようとする妻とのせめぎあいを描いています。

 退職を契機に熟年離婚にいたってしまう夫婦があることは、周知の通りですが、この作品もその問題を象徴的に描いているように思えました。問題は妻が自分と同じ気持ちであるという夫の思い込みにあるようです。

 退職すれば、妻の慰労をかねてゆっくり旅行でもと、自分の思いだけでことを進めてしまう夫に対し、仕事がある間はサポートすることが妻の努めと耐えてきても、これからは私の人生好きにさせてもらいたいという妻の本音との摩擦です。夫はこれまで生活の糧を培ってきたというプライドから、自分の思い通りの生活を退職後も続けられるであろう、という「幻想」を抱いているのに対し、自分の時間をようやく持てた妻にはそんな夫の勝手は許されないのです。

 それ故に妻の思いにようやく夫が気付いた時、もう一度夫婦の絆をとりもどすことができたのでした。
 

 「これからが長いぞ」というセリフがありましたが、高齢化社会になって男女ともに「生き直し」の考えを持たないといけないようですね。もう一度、自分を活かす新たな「仕事」を求めて人生をリニューアルさせるのです。そのためには、退職してから考えるのでは遅い。自分のやりたいことは何か、自分らしく生きるとは何かを夫婦でよく話し合うことが大切ではないでしょうか。
 
 ベテラン運転手として、プロとして、伝えるべきことはしっかり若い後輩たちに伝え、そして迎えた退職の日の最後の運転。同僚と妻に見送られて、様々な思いが去来したことでしょう。自分も同年配の職業人として、本当に涙を流さずにはおれませんでした。 僕も最後までなすべきことをしっかりと果たし、次の世代にバトンを渡そうと思いました。

 白い立山を背景に走る富山電鉄の電車の姿がとても美しかったです。 

 あの青年スターであった三浦友和が、こんな定年退職の主人公になるのですから、時代は変わりましたね。ひきつがれる役の中尾明慶。ちょっと頼りないけど、夢を追い求める若者の姿に好感を持てました。妻役の余貴美子。そのパワフルさに感服しました。久し振りにお会いした仁科亜季子。危なさを感じさせる演技にドキドキしました。他に小池栄子、塚本高史、吉行和子らが出演。

2011年12月 3日 (土)

 「ヴィラ・グランテ青山 ~返り討ちの日曜日~」 3日 大阪公演 昼の部を観て

 人間の気持ちや考えは様々です。そんな人間の心の溝を埋め、つなげていくために、文学や演劇があるのではないか。これはこの舞台を観てまず思ったことです。

 登場人物たちの会話はうまくかみあいません。それぞれの経歴も人物同士のかかわりも、観ている者には断片的にしかわからず、勝手な想像に頼るしかありません。そのために理解しようとしているのに、理解できない不安が心の中にわだかまっていきます。しかし、それは実は今の社会に生きる我々の不安であることに気付かされていくのです。娘とその元カレのいさかいを仲裁しようとしたがために、逆にナイフで切りつけられた父親。過去の仕事の成功や幸せだった生活を思い返すだけの男たち。かなえられない夢をまだ見続けていたいと思っている者たち。閉塞した状況の中で、それぞれが互いにわけのわからないまま、もがき苦しみ、疲れ、傷つき傷つけ合って生きているのです。

 ようやく見えてきた光も幻想でしかありませんでした。がんばればどうにでもなるという時代は終わり、信じられるのは自分の肉体だけしかないという中、先の見えない言いようのない不安や寂しさが、いつ来るともわからない見えない元カレに象徴されているようでした。事実、物理的に落下してくる人間も描かれて、ある意味度肝を抜かれましたが。
 
 

 結局不安の中味は人それぞれ違っていても、この時代、その不安をこうしてみんなが共に感じるということに意味があり、あらたな人と人のつながりが生まれてくるようにも思えました。

  そんな思いとは裏腹に、舞台はいつも大きな笑いに包まれていました。それは生瀬勝久と竹中直人の可笑しさに他なりません。二人の言葉のバトルは見ものでしたし、状況によって自在に変わる表情は、さすがとしか言いようがありません。それだけでも観るべき価値は十分にありました。今回初舞台となった山田優。さすがモデルだけある魅力にとどまらず、歌も披露しそのマルチぶりが印象的でした。谷村美月、松下洸平の初々しい演技も良かったです。田口浩正もいい味を出していました。

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