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2009年10月

2009年10月24日 (土)

映画「沈まぬ太陽」を観て

 今日の公開にあわせて、昨日文庫版の原作・全5巻を読み終えました。主人公・恩地元(おんちはじめ)の苦渋に満ちた人間ドラマを、そして魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する政・官・財の絡みつく人間関係を、どんなふうに映像化するのか、楽しみにしながら映画館に足を運びました。

 しかし映画が始まるとともに目に飛び込んできたのは、そのどちらでもなく、それは1985年8月12日、日航123便御巣鷹山墜落事故でした。原作でも第3巻「御巣鷹山編」として全体のストーリーからは独立的に描かれ、作者・山崎豊子が犠牲者への鎮魂の思いをこめ、また心からの「償い」を見せようとしない上層部への怒りをこめて叙述されています。映画でも明日が来ることを信じて疑うことなく、搭乗前に記念撮影する家族の幸せな姿などが描かれ、冒頭から目頭が熱くなってしまいました。

 固辞していた労働組合の委員長を無理に押しつけられたところから、恩地元の悲劇が始まります。それも平穏にこなしていれば、管理職への足かがりにもなっていたはずなのに、性分としての強い正義感と、与えられた仕事はすべて誠意をもってなしとげようとする律儀さが、私利私欲のためだけに会社を食い物にしようとする輩たちの逆鱗に触れて、海外の僻地勤務に追いやられていくのでした。そして「詫び状を書けば復帰させてやる」という言葉にも乗らず、11年間の流罪にも等しい扱いにもひたすら堪え忍んだというのは、本当に驚くべき「頑固」さと言わざるを得ません。自分の人生のためにも、家族のためにも、どこかでおりあいをつける道はなかったのかと凡人は考えてしまうのですが。
それでも、逆境にありながら常に自分のポストにベストをつくそうとした態度は、立派だと思います。特に遺族に対し誠心誠意をこめてつくす姿は、感動的でした。

 主人公のように報復すら考えず、「組合の仲間を決して裏切ることはできない」と思い詰めている人間は、もう今の社会のどこを探しても存在しないような気がします。それだけに、納得いかないことがあっても、妥協を繰り返しながら生き続けている自分にも、人生のどこかでは「恩地」的な筋を通した生き方が大事かなと思ってしまいました。

 原作にも登場するニューヨーク・ブロンクス動物園に書かれた「世界で最も危険な動物」と言われる人間たちの姿は、原作ほどの「えげつなさ」はありませんでした。経営再建中の日本航空に遠慮したのかもしれませんが。後半は恩地元や行天四郎の露出は原作より多くて、複雑でおどろおどろした人間関係は二人に焦点をあてて整理していたようです。そのため、10分休憩後の後半は迫力に欠けるきらいがあります。
 
 最後の夕陽の中を疾走する場面。「何一つ遮るもののないサバンナの地平線へ黄金の矢を放つアフリカの大きな夕陽は、荘厳な光に満ちあふれている。それは不毛の日々にあった人間の心を慈しみ、明日を約束する沈まぬ太陽であった」というモノローグは、どんな人間の行いも、大自然に比べれば些末なものであるという作者の結局の思いがこめられているようでした。
 
 主人公・恩地元を演じた渡辺謙。会社と家族の間で苦悩する良心ある人間の姿を熱演しておられました。行天の愛人役・三井美樹(原作とは異なる)を演じた松雪泰子、スチュワーデス姿が魅力的でした。

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2009年10月17日 (土)

ドラマ「不毛地帯」第一回を観て

 ドラマ「不毛地帯」が始まりました。奇しくも来週からは同じ原作者・山崎豊子の「沈まぬ太陽」も公開され、テレビ、映画で山崎豊子の世界を堪能できることになります。

 そして、この二つの作品に同時に描かれているモデルが、元大本営参謀で戦後は伊藤忠商事の会長にまで登り詰めた「瀬島龍三」です。ただ自分としては正直言って、日本陸軍の亡霊が政界の黒幕的存在となって暗躍したというイメージが強いです。「不毛地帯」の原作を読んでいないので、どのような視点でとらえているのかは分かりませんが、第一回目を見る限りにおいては、主人公の壹岐正(唐沢寿明)が作戦参謀として、多くの人々を死に至らしめたことに責任を感じ、戦後は自分の肩書きが通用しない世界で、純粋に日本の再建につくすというようなモチーフでした。

 しかし、たぶん2回目以降は、山崎豊子お得意の政・財・官をとりまくどろどろした権勢欲の中で、木の葉のように翻弄される人間の姿が描かれるのだと思います。日本の戦後史をたどる上でも、おもしろそうな作品になりそうなので是非これからも注目したいです。
 
 1回目では、やはりシベリア抑留のシーンが印象的でした。父が抑留者の一人だったので、その過酷さは胸につきささりました。およそ人間の平等をかかげた社会主義国とは決して思えぬその非道さに、憤りが高まります。もちろん日本の戦争責任は問われなければなりませんが、人命をもてあそぶような原爆投下やシベリア抑留を正当化することは断じて許せません。

 数万の人が冷たい大地に倒れる中で、主人公は11年間も囚人として重労働に耐え、生きて日本に帰ってくることができました。その精神力は並大抵のものではなかったと思います。過ちをくりかえさせないためにも、この話はしっかり受け止めないといけないと思いました。
 
 キャストも唐沢寿明を始め、原田芳雄、柳葉敏郎など豪華な演技派をそろえ、女性陣も小雪、和久井映見、天海祐希など魅力的な面々で、フジテレビ開局50周年ドラマにふさわしい陣容になっています。それから音楽を坂本龍一が担当しているのも深いですね。

しかし「ふもうちたい」と入力し変換すると、「歩も打ちたい」となるのは何とかなりませんか。

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2009年10月11日 (日)

NHKドラマ「チャレンジド」第1[回 ~熱血教師 再び~を観て

 盲目の中学教師の物語。エピローグで視覚障害を持ちながら教壇に立っている教師は、全国で数百人いると言われていました。このドラマはフィクションのようですが、盲目の先生達が実際に活躍されているということを初めて知りました。

 視力を失い、それでも教師に復帰したいと相談する主人公の塙先生に対して、盲目の教師の会会長である筧先生が「またここに教師バカがいる」と言った言葉が印象的でした。教職なかばで失明した者にとっては、教師として再起をはかるということは、本当に心底教師が好きで、子どもが好きで、並大抵ではない情熱がないとできないということだと思います。しかも思春期まっただ中の様々な問題を抱える中学生とかかわるということは、健常者の教師にとっても困難を感じることが多いというのに、ハンディを背負った教師が向き合っていくということは、想像を絶するものがあります。このドラマでも、教室にたどりつけず誰もいない理科室で自己紹介を始めたり、目が見えないことをいいことに先生をからかう生徒が登場したりします。それでもくじけない塙先生の前向きな姿は感動的です。盲導犬、音声を読み上げてくれるパソコン、点字の出席簿などの助けを借りて、なんとか困難を乗り越えようとしていきます。

 題名になっているチャレンジドはアメリカでは障がい者を意味しているそうで、障がいは個性ではなく力であり、新たな力でチャレンジしていくことが、神様から与えられた使命ということ。マイナスと思ってしまうことも、人間というのは少し見方を変えてみると、それは逆にすごい力になるということを教えられました。また誰の助けも借りずに一人だけでがんばろうとするのではなく、できないことはできないこととして、みんなに助けを求めていくこと。支え合うのも人間ができる姿なんですね
 
 しかし、塙先生の学校の教師集団の冷たさはあまりにもひどい。自分から担任を任せたのだから、校長ももっとフォローすべきだろう。たぶんストーリー上の設定だとは思いますが、あれでは障がい児教育も人権教育も何もまともに行われない、能力主義、競争主義だけの学校になってしまいそうで恐ろしく思いました。
 
 塙先生役の佐々木蔵之介。僕の好きな俳優さんでもありますが、突然視力を失った苦しみを乗り越え、体一杯に生きる姿をほとばせている演技に好感を持ちました。妻役の富田靖子。夫の目が見えなくなってしまう前に、泣きながら化粧をして自分の一番美しい姿を見せようとする場面には、涙があふれてきました。

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2009年10月10日 (土)

映画「さまよう刃」を観て

 東野圭吾原作「さまよう刃」映画化作品。出演、寺尾聰・竹野内豊、酒井美紀。

 「さまよう刃」は東野作品の中にあっては、「手紙」と同じく社会派のジャンルに入ると思います。最愛の娘を陵辱されたうえ殺された父親が、法の裁きによることなく、自らの手で加害者に裁きを下すというものです。なぜ父親がこのような行為に走らざるを得なかったのか。それは、加害者が少年であり将来の社会復帰のためには、極刑をもって罪を償わせられないことにありました。しかも何の反省も無く自らの快楽のために、同じような犯罪を繰り返している彼らに対し、殺してしまいたいという感情を抱いてしまうことは主人公のみならずだれしもそうだと思いました。

 僕も二人の娘を持つ同じ父親として、娘を殺されることの悲しみと加害者への憤怒は本当によくわかりました。映画ではそのような父親の姿を、犯人に迫る靴音だけが静かに響くように描いていきます。未来を無くし無念をはらしたいだけの存在になってしまった姿が、よく表現されていたように思います。

 この事件を捜査する刑事が、「警察の仕事は正義の味方か。いや違う。警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとしているのは法律だ」というような言葉を言います。決して復讐は認めることはできないが、法律がすべて正義と言えないのではないかと。

 被害者やその家族の無念を思えば、少年であろうと本当に鬼畜のような犯罪を犯した者へは、厳罰を持って処すべきであるという意見と、あくまで少年の矯正教育や保護のために少年法は必要であるという意見がありますが、もしきょうの映画のような復讐をした父親を裁く裁判に、裁判員として臨んだとすれば自分はどのような正義を持つことができるだろうかと考えてしまいました。

復讐を果たそうとする父親役の寺尾聰。映画「半落ち」でみせたような、感情を抑えた演技がより父親の苦悩と執念をあらわにしていたように思います。刑事役の竹野内豊。警察官でありながら、殺人をおかそうとする者を救おうとしてしまうジレンマがよく伝わってきました。

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2009年10月 4日 (日)

東京セレソンデラックス「流れ星」 大阪公演 4日昼の部を観て

 学校にいつも来られている教材業者のSさんに、たぶん知らないだろうと思いながら、東京セレソンの「流れ星」の観劇の話をすると、『私は初日に観てきました。初日だったんでアドリブは少なかったですけどね』、という思いもよらない返事が返ってきて驚いてしまいました。演劇通の間ではけっこう人気のある劇団だったんですね。

 東京セレソンデラックス。僕が初めてこの名前を知ったのは演劇からではなく、この劇団を主宰されている宅間孝行が、監督・主演をされていた映画「同窓会」を観てからです。おもしろく意外性のある展開と、情感のあるストーリーにひかれてしまいました。それからテレビで放映されていた「夕」と、DVD化された「歌姫」を立て続けてみました。どちらも方言がノスタルジックで、登場人物は見た目によらず善人ばかりで、最後は人知れなかった悲しい思いに涙するというスタイルにぐっとくるものがありました。
 
 BRAVAの客席に着くと、開演前から懐かしのメロディーが流されていました。最後に流れたちあきなおみの「4つのお願い」は、このお芝居のモチーフにもなっていました。

 「流れ星」は1970年の頃が舞台になっている「昭和もの」のジャンルに入るお芝居です。70年から今を見て、忘れてしまっている大事なことを宅間孝行がいろいろな登場人物の言葉を借りて、語っているようにも思えました。豊かなモノが決して人を幸せにしないとか、人間を決してさげすんではいけないということなどです。そして一番言いたかったのは、自分に何をしてくれたかばかりを考えていては、本当の愛は見えてこない、本当の愛とは相手の幸せを人知れずとも願うことであると。

 こんなことばかり書くといたってシリアスなお芝居のように見えますが、それはとんでもないこと。下宿に巣くうそれは、それはユニークなキャラの人たちが、これでもかと言わんばかりに登場し、涙腺ならぬ「笑腺」を刺激しまくります。特に路上詩人の田淵兼子さん(別名 しらゆりあやめ?)はちびまるこちゃんに出てくる野口笑子とだぶって見えましたが、その圧倒的な存在感は夢にも出てきそうでした。伏線もたくさんひかれて、謎解きのおもしろさもあるお芝居にもなっていました。流れ星のかけらを集めて願いをかなえるというのも、ファンタジーでいいですね。また、新作ができたら是非観たいと思います。

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