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2009年6月

2009年6月28日 (日)

映画「Dear Doctor」を観て

 西川 美和脚本・監督作品。

 この作品は僻地の診療所に勤める医者と、村人達との温かいふれ合いを描いたよくあるヒューマンドラマでは決してありません。またストーリーは単純であっても、心にストンと落ちるわかりやすいドラマでも決してありません。

 この映画は人間心理の多重性を、叙情に流されることなく、映像だけの手法を使ってシニカルに描いていきます。僕はこの映画のテーマは「錯覚」ではないかと思いました。愛とか美とか、善とか幸福とか、人間が素晴らしいと思っていることは、つきつめると何一つ確かなものはなくて、そう思いこんでしまっている錯覚なのではないかと。

 この作品では、「命」さえもそうであるということを感じさせられる場面もありました。介護老人に救命を施そうとする医者に対して、「もうそのへんで」と諭す家族、死を告げられ握りしめた手がほどけた嫁。見ている方も錯覚にとらわれていることに、はっとさせられるシーンでした。

 しかし最後、きれい事では済まされないことに気づいている中で、それでも主人公は潔く自分を捨てて、癌患者とその家族が最も幸せになると思う道を選ぼうとします。いいとか、悪いとかではなくて、こんなことができてしまうのも人間なんだということを監督は言いたかったのではないでしょうか。
 
 診療所の医師役となった笑福亭鶴瓶、映画「母べえ」では吉永小百合との共演が見事でしたが、今回は八千草薫と差し向かっての演技に味わい深いものを感じました。特に最後の白衣を振って別れを告げるシーンは胸がつまりました。研修医役の瑛太、軽いキャラでしたが映画のテーマを引き立てる演技だったと思いました。

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2009年6月24日 (水)

劇団四季「ジーザス・クライスト・スーパースター」 大阪公演を観て

 「オペラ座の怪人」以来の四季劇場となりました。常に衣装や振り付けなど華やかな舞台しか知らない自分にとっては、「ジーザス・クライスト・スーパースター」はかなり異質な趣を感じました。

 まずは、ほとんど色彩がありません。荒れた茶褐色の大地に同化してしまったかのようなイエスをはじめ、民衆のみすぼらしき姿。(白に身を包んだヘロデ王と侍女たちが登場したときは、舞台が突然明るくなったような感じを受けたくらいです)それだけリアリズムに徹し、貧しく虐げられていた人々を描いたのだと思いました。

 またそのリアリズムは、衣装だけではなくイエスその人の心情にも及んでいました。イエスを演じていた物静かな金田俊秀さんの歌声が、突如として金きり声に変わるとき、まさに神の子ではなく、人間の子としての苦悩がにじみでているようでした。そこには奇跡を行い、愛をほどこしたスーパースターのイエスの姿はなく、無力になった我が身を民衆にとりつくされ、ついには弟子にも裏切られるという悲惨なものでした。

 また、初めて知ったのですが、イエスが処刑されるとき民衆は「イエスを十字架にかけろ!」と叫ぶのですね。「金の切れ目が縁の切れ目」的に手のひらをかえしてしまう民衆というのは、時にして残酷なものだと思いました。

 ムチを打たれ(正直もう止めてほしいと思ったくらいです)、最後の磔のシーンの音を立てて手と足に釘を打ち付ける所も、目を覆いたくなるほどでした。きっとキリスト教徒なら、思わず手を合わせるのではないかと思うくらいのラストでした。 

 ただカーテンコールで、「復活」されたイエスはみんなで輪の中に囲いこまれ、ようやく救われた気分になることができました。重いテーマでしたが、音楽のアクセントに合わせ躍動する手足のダンスは、素晴らしいものがあったし、心に残るたくさんのナンバーもありました。ユダを演じられた金森 勝さんが「私たちは命懸けで舞台をやっている」と胸をつまらせながら語っておられましたが、また四季の作品が好きになってしまいました。

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2009年6月21日 (日)

映画「劔岳 点の記」を観て

 若い頃は登山が好きで、夏の北アルプスにはよく登りました。そのころはそんな趣味もあって新田次郎の山岳小説は愛読書のひとつでした。「孤高の人」や「聖職の碑」、その他の短編集もよく読みました。その中でも、「剣岳 点の記」は最後の意外な顛末と共に、思い出深い作品の一つで、今回それが映画化されると聞くや、公開と同時に映画館に足を運びました。客席も登山愛好家らしい中高年の人でうまり、隣の年配のご婦人も出てくる山の名前を、感慨深げに復唱されていたし、映画が終わるやいなや図らずも大きな拍手が起きたのも、最近にない経験でした。
 
 黒澤作品の名カメラマン、木村大作が監督ということで本当にどのように撮影したのかと思うぐらい、ダイナミックで美しい映像をスクリーンいっぱいに見せてもらいました。特に秋にじゅうたんのように染め上げられた山の姿や、雲海が赤くそまる夕日の場面などは息を飲むような美しさでした。その中、豆粒か蟻の行列のように尾根にとりつく人々の姿が映し出されると、自然に挑む人間があまりにも切なくもあり、けなげでもあり、そして実に強くもあるように思いました。「悠久の大自然の中では、人間の行いなどちっぽけなものにすぎない」というセリフがありましたが、都会で使うと臭い言葉も山の中では心に落ちるものがあります。

 登山装備も十分でない100年前の日本で、ただ地図を作るという目的のために、危険をおかしてでも「死の山」と恐れられた剣岳の登頂に挑戦した人たちがいたことをこの映画は教えてくれます。「行ったことが大事ではなく、何のために行ったかが大事」と言われていたように、なしとげた事におごり高ぶらず、ただ淡々と自らにた与えられた「仕事」を全うしようとする主人公たちの姿に感動しました。最後の登頂成功の場面は物足りなく感じましたが、それをセンセーショナルに描くことがかえって登頂した彼らの意図に反するという思いがあったからなんでしょうね。

 そして、実はこの映画の本当の主人公は、人間を拒みそして包み込む剣岳そのものにあったのだとも思いました。
 
 測夫を演じた松田龍平、明治の若者には見えない雰囲気もありましたが、独特のキャラで作品を面白くさせていました。一番印象に残ったのはガイド役の香川照之。山を知り尽くし山に登りたいという人のために、山とおりあいをつける役柄を見事に演じていました。登山家役の仲村トオル、超然としたムードが測量隊と対峙できてストーリーを作っていました。主人公の測量手をつとめた浅野忠信、押さえた演技で誠実な人柄をよく表現していました。

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2009年6月14日 (日)

映画「真夏のオリオン」を観て

 この映画は太平洋戦争末期に、米巡洋艦インディアナポリスを撃沈したイ-58潜水艦の艦長橋本以行 少佐をモチーフにして描かれているそうです。 まもなく戦争が終わるという時に、最後まで戦わねばならなかった事実を、日米艦長の知力をつくして向き合う姿を通して描いていきます。

 人間魚雷「回天」の搭乗員に対して、「もったいない」とさとし出撃を許さず、自らの戦略と乗組員達とのチームワークで生きて帰ることをめざしたイ-77潜水艦の倉本孝行艦長(玉木宏)。米駆逐艦との死闘は鬼気迫るものがありましたが、戦争映画によく見られる悲壮感はほとんどありませんでした。それはどんな危機が迫ろうと「めしにしよう」と、一息いれることで動揺させずに冷静さを求めた明るい艦長と、その艦長に全幅の信頼を寄せる乗組員の姿があったからだと思います。 特攻攻撃という人間の精神を極限までに追い込んだ戦法とは、対極のものを感じました。潜水艦は「海に出れば自由だ」というセリフがありましたが、海軍の中ではまた独特の世界があったのでしょうね。

 ストーリーとしては現実の戦争では起こりえないような「おとぎ話」的な感じもなくはありませんでしたが、敵・味方に分かれていようとも、音楽や星や詩の美しさは人間を結びつけてくれることを映画は訴えているようでした。

  倉本艦長を演じた玉木宏。合理的な判断と、人間味あふれるハートを持つ指揮官の姿を好演していました。「僕の夢は、オーケストラの指揮者になること」というセリフには思わず笑ってしまいましたが。炊事を担当する兵を演じたドランクドラゴンの鈴木 拓、なかなかいい味を出していましたね。

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2009年6月 7日 (日)

「きらめく星座」 7日 大阪公演 を観て

 昨日の「シラノ」に続いての観劇となりました。井上ひさしの戯曲の中で、戦争を主題とした作品のひとつ。そういう意味で当然ながら、先日観た「ムサシ」とは趣を異にしています。
 
 とは言っても井上作品、観客を楽しませる仕込みには事を欠いていませんでした。まずはオープニング、暗闇でうごめく怪しい数々の光は出演者がつけた防毒面。エンディングでも使われますが戦争に向かう不安を象徴していたようです。それとなんと言っても歌。戦前にヒットした歌謡曲が、これも楽しい振りを付けられ歌われていきます。「きらめく星座」や「青空」のところでは、思わず客席から手拍子も入り、比較的多そうだった年配層が懐かしんでおられたようです。特に軍隊から脱走した兵を交えて、逮捕するためにやってきた憲兵が「青空」を歌いながら、一緒に踊る場面は傑作でした。

 そのほか、戦争中ならではの話では、バケツやマッチを高価なもののようにありがたがったり、1個の卵をめぐっていかに料理するか論争する場面なとが面白かったです。全体的には太平洋戦争開戦前の2年間を畳みかけるようなセリフの中で、テンポよく展開されていきますが、井上ひさしのメッセージの多くは、レコード店「オデオン堂」に住まいする竹田慶介が語っていたセリフに込められていました。

 「宇宙に地球のような水の惑星があることは奇跡なんです。その中で命が生まれ、人間まで至ったことは奇跡の連続で、こうして今私たちがいることも、何億何兆の奇跡の連続の結果なんです。こうして生きていることが奇跡なのだから、人間は生きていかなくてはならないのです」と。だから、人の命を奪うおろかな戦争はしてはならないのだと。まことしやかに美しい言葉で彩られた戦争の道義ほど、疑ってかからないといけない。そんな作者の思いが、キャストの熱演も加わりひしひしと伝わってくる舞台でした。
 
 オデオン堂の主人の妻役で登場された、愛華みれさん。悪性リンパ腫で療養中と聞いていましたが、「追い詰められるほど明るくなる」お母さんを元気に演じられていました。最後に歌われた伸びやかな「青空」は、軍歌や人を鼓舞する勇ましいだけの歌がもてはやされる時代にあって、本当に明るく楽しくなれる歌の大事さを感じさせてもらえました。

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2009年6月 6日 (土)

ミュージカル「シラノ」 大阪公演 6日昼の部を観て

 中学生の頃に読んだ北杜夫著「どくとるマンボウ青春期」に旧制松本高校の寮祭で「シラノ・ド・ベルジュラック」を公演したエピソードが出てきます。そのことを覚えていて「シラノ」というのは、哲学的な小難しい演劇かと思っていたら、そのようなことは全くありませんでした。

 それどころか面白くて愉快で(実際、たくさん笑わせて頂きました)、そして主人公シラノの心情に胸打たれるようなヒューマンなドラマでありました。19世紀後半に初演されたらしいのですが、こうして21世紀になってもミュージカルになるというのは、時代を超えて引きつけるものがあるからだと思います。

 それはひとつにはストーリーの巧みさ、ひとつには登場人物の魅力、ひとつにはメッセージにあります。ロクサーヌという美女をめぐり、でか鼻で醜いが女心を揺さぶれる詩才のあるシラノと、若くて美貌のクリスチャンという二人の男の恋の顛末。その主人公シラノは武勇にもすぐれ、権力や虚栄、傲慢を憎み実に痛快でいてどこかお茶目な人物。そして、訴えかけるのは人が愛するのは、見た目の美しさか、それとも美しい魂かという永遠のテーマ。これだけそろってしかもミュージカルとくれば、面白くならないはずはありません。

 死ぬ間際まで自分の本当の心情を隠し、クリスチャンのゴーストライターに徹することで、思いだけは伝えようとしたシラノの端から見える切なさも、彼にとっては、最後は「心意気」と言い切れるほどの充足感に満ちたものだったのだと思われました。
   

 シラノを演じた鹿賀丈史さん。他の人とは違う節回しの歌い方が際立ち、敵を持つことをむしろ歓びとする気高い演技が素晴らしく思いました。反対に自分の思いとは裏腹にロクサーヌの恋の手助けをしてしまうあたりの、大きな鼻を傾けて困惑を表すところは、チャーミングですらありました。ロクサーヌを演じた朝海ひかるさん。白、赤、黒と三回衣装を替えられますが、そのたびに「求める愛(真剣ななまざし)」「歓びの愛(素敵な笑顔)」「真実の愛(ほとばしる感情)」を見事に演じわけられ、その美しい歌声にも魅了させられました。クリスチャンを演じた中河内雅貴さん。若いひたむきな演技がカッコ良かったです。

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