東野圭吾著「聖女の苦悩」を読んで
昨年に同時刊行されたガリレオシリーズ「ガリレオの苦悩」「聖女の苦悩」を続けて読みました。テレビドラマと映画の影響で、内海薫は柴咲コウが喋ってるように思え、湯川学は福山雅治が喋ってるように思え、登場人物のイメージが自由にならなかっのが難点でしたが。ここでは長編作品の「聖女の苦悩」の感想を書きたいと思います。前作の「流星の絆」のような劇的な展開はあまり無く、どちらかというと心理劇を観ているような感じで、とりわけ女性心理を女性刑事の内海薫の鋭い感性で明らかにしていくことにおいて、秀でた作品だと思います。それも、作者の女性に対する深い観察力のなせる技なんでしょう。しかも最後には有り得ない心情の風景をガリレオこと湯川先生により、つまびらかにされるこで、そんな世界もあったのかと思う気分になれました。とは言うものの、トリックにおいては確かにユニークさはありましたが、犯罪を構築しようとする心理においてやっぱり不自然さはぬぐいきれませんでした。きっとそれは長編小説で、読み手に深く考える余裕を与えてしまったからではないでしょうか。たとえば「毒盛る」といったようなタイトルで短編にした方がよりおぞましさを感じることができたように思うのですが。
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