« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

2008年11月30日 (日)

映画「ブラインドネス」を観て

 最近、新型ヴィールスによる感染被害の予測が現実化されてきた感もありますが、この映画も突然、人の視力を奪い視界を「白い闇」で覆ってしまうという伝染病を描いています。ただ普通のパニック映画とは趣を異にしています。この種の多くの映画では対策に追われる政府、国家、軍隊などの混乱ぶりにカットを割きますが、この映画ではほとんどそのようなシーンは観られず、舞台は感染患者が隔離された病棟で繰り広げられる、「食欲」や「性欲」のままに生きる人間の姿をリアルに描くことに費やされていきます。散乱するゴミ、汚されたままのトイレ、そして食料を支配するために「王」となり権力を振るう男の登場。人間の持つ醜さに目を覆いたくなってしまいます。ただ、平等であることは一人の女性をのぞいて、誰も目が見えないということです。だれもが社会的弱者になっているということです。ここでは、人種の違い、貧富の差など何一つ通用しません。一人では絶対に生きていけないし、見た目の価値ではなく内面の価値が問われていく世界になります。それでも弱肉強食の生存競争になるのか、目が見えない者同士寄り添って生きていくのか、人間の存在をも深くつきつけた映画になっていました。見た目の美醜や価値に振り回されている現代人にとって、考えさせられる映画でもありました。

 映像的には、最初の展開をアップテンポで描き、観る者を「隔離病棟」に有無を言わさず引きずりこんだあと、じっくりと「人間の闇」を見せつける手法はただならぬものを感じさせられました。日本からも、伊勢谷友介・木村佳乃が熱演していましたが、ジュリアン・ムーアの追い詰められた者の厳しく迫真の演技が素晴らしかったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月24日 (月)

映画「私は貝になりたい」を観て

 この映画が公開されることを知った時から、観なければいけないと思い詰めていましたが、今見終わって正直ほっとしているところです。映画館には30分前に着いたのですが「残席わずか」のサインが点滅しており、前から3列目の鑑賞となりました。この映画への関心の高さが、うかがわれました。観客は年配の方が多くをしめていましたが、中居君の坊主頭が目当てか、若い人も少なからず見受けることができました。
 
 橋本忍脚本のリメイク版ということですが、名作「砂の器」に劣ることのない人間の悲しみを深く掘り下げた見応えのあるドラマでした。貧乏な生活から這いずりあがり、妻(仲間由紀恵)と小さな村にへばりつくように生きてきて、ようやくささやかな幸せの光が見えてきたとたんに、戦犯として葬られてしまわねばならなかった主人公・清水豊松(中居正広)の「もう、人間なんかに生まれかわりたくない。私は戦争もない深い海の底の貝になりたい」という悲痛な叫びが、胸につき刺さりました。責任の取りようもなかったいっかいの兵卒に、罪を背負わせたBC級戦犯の裁判はまさに戦後処理のための「生けにえ」づくりではなかったかと思ってしまいます。戦争は人間が起こした犯罪でしょうが、本当に裁かれねばならないのはいったい何なのでしょうか。ただ、人間へのとてつもない不信感で終わらせることのないように、アメリカ兵との友情、矢野中将(石坂浩二)のアメリカ軍への告発、そして新たな命の誕生を描くことで、テーマの重さを何とか支えようとする作者の思いは伝わってきました。 

 豊松を演じた中居正広。処刑の執行を告げられた後の演技は、絶望の淵に立たされた人間の姿を如実に表現できて秀逸でした。映画「母べぇ」同様、笑福亭鶴瓶の演技は暗く重い映画の中に、飾らないホンネで生きる人間の強さ感じさせてくれてホットさせられました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月16日 (日)

ドラマ「告知せず」を観て

テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャル。今年度芸術祭参加作品。
自分の最愛の妻が末期ガンと知った時、医師である夫は告知できるのかを訴えたドラマ。

 告知することが医師の義務とするならば、医師・長谷川誠至(渡哲也)がなせなかった事は、自己中心的な考えのように思われてしまいます。主治医となった患者や家族には、そんな斟酌(しんしゃく)しないでためらわず告知するからです。告知をし医者と患者が、最後まで同じ目線で病気と向き合っていくことが、医療だと思います。このドラマでも妻十央子(高畑淳子)がなぜ自分が死んで行かねばならないのか知らぬままに、最期を迎えましたが、それで本当に良かったのか、それで本当に妻は幸せだったのか、僕にはわかりません。告知されることで、残された日々をどのように生きるかを考えることもできたはずだろうし、家族も苦しい演技などせずに、寄り添っていけた様にも思うのです。ただ、すべてがそうすべきだとも思えません。このドラマのように、常に家庭の太陽であり続けることが妻の幸せだと考えた夫の気持ちや、夫婦の生き方も大事にする必要があるからです。告知を含めて生と死の問題については、やはり考え続けることが答えなんだろうと思ってしまいます。

 妻役の高畑淳子。最後まで太陽であろうとした演技が胸にせまりました。明るさも意志の力であることを感じさせてくれました。息子役を演じた滝沢秀明。研修医の白衣がよく似合っていましたが、父親に対して医師であるべきか夫であるべきなのかを問う、その苦悩をよく表現できていました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年11月15日 (土)

私家版 創作四字熟語 2008年度版

 今年こそ明治生命の創作四字熟語に応募しようと思っていたのに、気がつけば締め切られた後でした。しかたなく、このブログを借りて自分の作品を発表します。

「空即是侵」(空即是色)

航空自衛隊幕僚長が侵略は濡れ衣と発言

「北京厳陣」(北京原人)
厳戒態勢の中、北京オリンピック開催

「棄蓄米落」(鬼畜米英)
アメリカの金融危機に端を発した世界同時不景気

「故米猛騒」(誇大妄想)
事故米、汚染米の流通で不安広がる

「黒色燦然」(古色蒼然)
アメリカ初の黒人大統領誕生

「鳥牛偽鰻」(鳥獣戯画)
  鶏肉、牛肉 ウナギの産地偽装相次ぐ

             
「虎恨無颯」(古今無双)
    阪神タイガース歴史的V逸

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国立国際美術館「アジアとヨーロッパの肖像画」を観て

 今秋の芸術鑑賞第2弾ということで、国立国際美術館の「アジアとヨーロッパの肖像 SELF and OTHER」を観てきました。それで知らなかったのですが、今日は「関西文化の日」らしくて、なんと入場無料となっていました。初めて京阪の中之島新線に乗ることもできたし、830円得するしいい日となりました。

 さて、洋の東西を通して、よくもこれだけ肖像画を集めたものだと感心するくらい、そのボリュームたるやすごかったです。著名な絵画は少なかったですが、東南アジア諸国の肖像画など初めて観るものだったし、最後はビデオで登場する自画像や、立体にうごめく顔なども展示され、なかなか極めつけでおもしろかったです。洋の東西で最初、異種の人間に対しての肖像画はあたかもモンスター的だったのが、交流が進むにつれ写実的になり、さらに絵の技法は東洋は西洋を取り入れ、西洋は東洋を取り入れ描かれていく変遷がよくわかりました。そして、グローバルになった現代の肖像画に、「自分っていったい何」という不安や孤独を感じたのは僕だけでしょうか。作品的には、教科書に良く出ている南蛮屏風を間近に観られて良かったです。南蛮船で来港したヨーロッパ人も黒人も、そして日本人も均整がとれた画法で隔たりなく描かれているのが美しく思いました。それから、松木竣介の「立てる像」。巨大に見える若者像と、背景の暗さが妙に気になりました。戦争中の作品ということで、作者の思いを暗示した肖像画なのだろうと思われました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 8日 (土)

映画「天国はまだ遠く」を観て

 瀬尾まいこ著「天国はまだ遠く」の映画化作品。原作のストーリーや感想はhttp://hishiya.cocolog-nifty.com/mokumoku/2006/11/post_1fac.html
 
 ずいぶんも前から映画化の話があって、千鶴と田村さんは誰がなるのかと瀬尾ファンの間では密かに盛り上がっていましたが、結局異色なキャスティングで、加藤ローサとチュートリアルの徳井義実が演じることになりました。結果的に徳井が入ったことで、ヨシモトテイストの「天国はまだ遠く」という感じで、いたる所に二人のボケ・ツッコミの会話がまじり、思わず吹き出すシーンも多々ありました(突然の相方・福田の登場も爆笑でした)。といっても、民宿「たむら」のイメージもそのままに、原作の持ち味は壊されることなく、スローライフな情感はよく生かされていたと思います。都会生活の人間関係に心傷ついた千鶴にとって、手を伸ばせば星があり、自然の中のゆるやかな時間があり、そして自分の良さをまるごと受け止めてくれる田村さんとの生活は、自分らしさを取り戻せる、生きていることを実感させられる大切な日々であったことを映画は描いていきます。特に「自分にとっての日常をもう一度強く生きてみたい」という言葉が印象的でした。思い通りにならないことを、自分のせいにして自分を追い込めば追い込むほど生きづらくなってしまう。自分を無理して飾るのではなく、素直に心を開いて、素朴なまま自然や人を感じることが幸せなんだと。天橋立の風景をさりげなく織り込んだ映像も、美しくて良かったです。
 
 田村さんを演じた徳井義実、最初ちょっと線が弱いのではと思いましたが、とぼけた感じが逆に温かくて、人間味のある演技につながっていました。加藤ローサ、今風の女の子らしい演技で自殺未遂から立ち直っていく姿を好演していましたが、原作の千鶴からはちょっと精神的に幼すぎる感が無きにしもあらずというところでしょうか。また、ストーリー的にも千鶴や田村さんの悲しみや苦しみが、分かりづらいかったところも残念でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 3日 (月)

映画「まぼろしの邪馬台国」を観て

 「まぼろしの邪馬台国」を著し、古代史研究に一石を投じた宮崎康平とその妻和子の物語。
 
 宮崎康平氏というのは文学者であり、経営者であり、古代史研究家であり、今で言うところのマルチな人であったことがよくわかりました。才能だけではなく、エネルギッシュな行動力、郷土・島原への深い愛情、そして人と正面から向き合える人間力などに長けた人物でありました。しかし、過ぎたワンマンな性格のため人との折り合いが悪く、家庭生活はうまくはいかなかったようです。そこへ後妻として入った和子さんの、康平氏を全身で受け止め、バックアップされる姿がいとおしく思えました。それだけ人ととして魅力あるものを康平氏にみつけられたのでしょう。特に古代にかける思いや情熱は、並々ならぬものを感じました。人を魅了してやまない、「邪馬台国」。思いを卑弥呼にはせる時、康平氏の郷土を愛する気持ちから、どうしても九州の地にその存在を願わざるを得なかったと思います。二人で倭人伝をたどる九州各地への旅は、本当にうらやましささえ感じました。盲目の康平氏の目となって、研究を支えられた和子さんの姿は愛情に満ちあふれていました。だからこそ、最後に康平氏が「邪馬台国なんかどうでもいいんじゃ、お前と二人でこうして歩けることが、何よりうれしいんじゃ」と言わしめたものと思えました。
 古代へのロマンと夫婦愛を描いた感動的な映画でした。
 
 宮崎康平氏を演じられた竹中直人さん、盲目でありながら求めてやまない気持ちをストレートにダイナミックに演じられていました。和子役の吉永小百合さん。映画「母べぇ」の時とは違って若々しく、伸び伸びした女性の姿を美しく演じられていました。森重久弥の名前がたびたび登場していましたが、学生時代の康平氏の演劇仲間だったんですね。演劇といえば、和子さんも放送劇団の一員で、きっと二人を結びつける何かがあったのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 2日 (日)

Piper10周年記念公演第2弾「ベントラー・ベントラー・ベントラー」1日、昼の部を観て

 カーテンコールで後藤ひろひとさんは、「みなさんの見終わった後の感想を一文字で表すなら、『で?』、二文字で『んで?』、それで私の答えは三文字で『べつに』」と沢尻エリカのようなことを言われていましたが、僕は大王に敬意を表してきちんとわかりやすくストーリーと感想を書きたいと思います。

 まずストーリーは、たぶん地下にあるであろうと思われる、実は軍の機密研究施設らしい、よくディズニーランドやUSJのスペースもののアトラクションに乗るまでに通っていくところにあるような、パイプや鉄のドアがむき出しになった部屋に住み着く、めっちゃストレンジな三人家族にまきおこる、ボビー=バレンタイン監督誘拐事件にまつわる、詐欺師や宇宙人おたくなどがひきおこす、SFかSMか、ファンタジーかホラーか、判断不能の超ドタバタお馬鹿ワールドのお話。ということで、おわかりになられたでしょうか。それでもまだ「で?」と言われる方のために感想を書きます。まず何がどのようにつながっているのか、地上は上なのか下なのか空想をかきたて、最後はそんなものどうでもいいと思わせる空間をつくりだしている舞台が見事です。その中で繰り広げられる、誰と誰がからんでいたのかを考えているうちに、わけがわかからなくなってしまい、最後には考えることは無駄であると思い知らせられ超高速の回転木馬のような展開が見事です。数々の宇宙人語や飛び交う電波、奇天烈なファッションに神経回路が寸断され、最後には原始反射的に笑いの筋肉をひたすらけいれんさせられる演技が見事です。こんなものでご理解いただけたでしょうか。
 
 前作の「ひーはー」ではウマの着ぐるみが可愛らしかったですが、今回は宇宙人?怪獣?が登場し、じっと2階を見つめる場面が最高におかしかったです。また山内圭哉と腹筋善之介が歌う「友情ソング」は、ぜひCDにして発売してほしいと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

重松清著「その日のまえに」を読んで

 今日から公開される映画「その日のまえに」の原作。

 著者である重松清の小説は数多く読みましたが、書店の棚に並ぶ重松清の本の中で、「その日のまえに」だけはどうしても手が伸びませんでした。それは自分自身がかつてガン患者であり、今もなお検査、通院の日々を送っているからに他なりません。できるだけ忘れていたいと思うことを、あえて呼び覚ますことはないと感じるからです。しかし、今回意を決して読もうと思ったのは、やはりそれが重松清の作品だからと言わざるを得ません。
 
 7編の作品から構成されていますが、中心となるのは「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」の三部作です。妻の余命宣告を受けた夫の視点から、残された日々の生活、死を迎えたその日のこと、そして妻のいなくなったその後の家庭のたたずまいを描いていきます。その中で一番心に残るのは「その日のまえに」です。絶望的な状況になった二人は、涙が涸れるまで泣いたあと、「その日」までの残された日々を「日常」として生きていこうとします。死と向き合うことが「日常」ということほど、悲しく残酷なことは無いと思いますが、最後まで準備しなければならないことを考えて生きることが、ひとつの「生きがい」にまで高められていくような気がしました。さらにそれは、死と向き合う必要の無いつまらないと思えるような「日常」が、どれほど大切なものだったかを知ることにもなります。二人はそれを確かめるために、初めて生活を共にした小さな町を訪れ、つつましかったけれども幸せだった日々を心に刻んでいくのです。最後に登場する看護師さんが「自分の生きてきた意味や、死んでいく意味の答えなどありません。ただ、それを考え続けることが答えだと思います」という言葉が、今の僕にもその通りであるように思えました。やっぱり読んでよかったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »