2009年11月22日 (日)

キャラメルボックス 2009 クリスマスツアー"AN ANJEL EARS'S STORY " 21日 神戸公演 昼の部

 今回のクリスマスツアーは、他人の心の声が聞こえるという「天使の耳」を持った男の話。いわゆるテレパスという超能力と似ていますが、違うのは人の心を読もうとするのではなく、自分の意思とは裏腹に自然と聞こえてくるというものです。怪我をして現れた出版社の社長が、社員になぜ自分はこうなったのかを、時間を戻し話始めるというキャラメルらしい展開になっています。

  「人の気持ちがわかるというのは、不幸なことだ」と男は言います。今ままで尊敬されているとばかり思っていたのに、心の声では娘や息子に「くそオヤジ」と言われているのですから。確かにそんな言葉は聞きたくはありません。しかし、作者は心の声が本当のその人の気持ちとは限らないとします。さらに自分をだましてでもその奥には、隠された本心があると。そこまで考えると、自分の本当の心というのは、自分にもわからない無意識の世界にあるような気がして、不可解極まります。
 
 なんか心理学か精神分析のように難しい話になってきましたが、実際の舞台はそんなことを深く考える必要もないように、コミカルに展開していきます。出演者が入れ替わり立ち替わり、心の声の役になって後ろにつくというおもしろい演出になっています。ちょっとせわしない感もなきにしもあらずですが、声役の人が風貌までまねしてしゃべろうとするところはよく受けていました。そしてやっぱり最後は、クリスマスらしい心温まる話になっていました。

 「天使の耳」はエンジェルだけが持つのがいいようです。人間にできることは、人の気持ちに共感できることだけでいいと思いました。
 
 天使の耳を突然持つことになった社長を演じた、西川浩幸さん。絶妙の間やセリフの切り返しがさすがでした。

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2009年11月15日 (日)

映画「ゼロの焦点」を観て

 松本清張の原作は読んでいなかったので、犯人捜しも新鮮な気持ちになって観ることができました。

 この作品は舞台を現代に移すことなく、原作そのままの時代を描いたことに意味があるように思われます。それは、戦争の暗い陰を色濃くうつしているからに他なりません。自らも機銃掃射で打ち抜かれた肩の傷を持ち、戦争で死んでいった仲間の姿を引きずって生きている男。生きていくために、戦後アメリカ軍相手に娼婦(パンバン)に身を落としたことをひたすら気付かれまいとする女。男の過去を深く知らぬままに、結婚した新妻。男が過去を払拭し、新しい人生を踏み出そうとしたばかりに、悲劇がおこります。暗い北陸の冬の海が舞台となって、いやが上でも凄惨な雰囲気を醸し出します。

 戦争がなければ、幸せに生きられたはずの人たちというのは、何も戦争で死んでいった人ばかりでは無く、生き残った人たちにもあてはまるということを強く感じました。推理小説的には、謎のある人たちが多く登場しそれなりに、ミステリアスでしたが、最初の殺人場面からだいたいの犯人像は浮かびあがりました。それよりも過去を話したがらない、男と女の過去を尋ね歩く新妻により、明らかになる悲しみの方に心が動かされていきます。

 松本清張生誕100周年記念作品ということですが、「砂の器」と並んで社会に翻弄される人間の姿が浮かびあがってくるような映画でした。
 
 新妻役の広末涼子。見知らぬ夫の姿を追い求める姿が、いじらしく思えました。最後に真相がわかったときに彼女が取る行為には、女の戦いというイメージがぴったりでした。社長夫人役の室田佐知子役の中谷美紀。NHKの「白州次郎」ではその妻役の正子を演じていましたが、雰囲気的には似通うものがありました。我を押し通す強さ、冷たさともろさを併せ持つような気性、それがたいへん魅力に感じられます。元娼婦役の木村多江。僕の好きな女優さんの一人ですが、方言の言い回しがとてもせつなく聞こえて、あわれで涙があふれました。

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2009年11月14日 (土)

劇団☆新感線「蛮幽鬼」大阪公演 13日 夜の部を観て 

 去年、劇団☆新感線の「五右衛門ロック」で、そのスペクタルな冒険活劇に魅了され、是が非でも「蛮幽鬼」は観たいと思いを募らせていました。

 しかしいろいろな先行予約にかけましたが、ことごとく敗退という惨憺たる結果に終わってしまいました。それでも平日の夜のチケットは何とかゲットすることはできたものの、センターではない2階席の一番奥まったところという、きわめて観劇環境の悪いところで観る羽目に。観客席を駆け回る出演者たちの姿はほとんど見えず、1階席から笑い声がおきる舞台袖の場面は何のことかさっぱりわからず。とは言うものの、さすがに「いのうえ歌舞伎」。それが持つ凄まじいばかりの迫力は十二分に体感することができました

  「蛮幽鬼」、この作品は「巌窟王」をモチーフにした復讐劇です。先日の朝日新聞の演劇評に「後味は重く暗い」とあり、卑劣で人間の暗闇ばかり見せられるのかと少し懸念していましたが、そんな評にあがらうかのように、橋本じゅん、山内圭哉、高田聖子、村木よしこらのキャラは爆発して「えっ、なんでこんなところでそんなんすんの」というような大阪のノリをねらったアドリブや、市橋容疑者ネタもさっそく入り、結構楽しませてもらいました。
 
 しかし、主な登場人物が次々と殺されていくという意味では、「蛮幽鬼」というタイトルもどこかホラー的に見えてきます。新聞評にあったように「おもしろかった」という娯楽劇では終わらないところに、作者・中島かずきの人間の描き方へのこだわりが感じられました。

 ただ友を殺され、その罪をかぶせられた主人公が10年もの間監獄島で幽閉されたことへの復讐という割には、ほとんど復讐らしき追い詰め方をしていないことに、物足りなさを感じました。また、復讐をおこさせる発端になった事件にしても、多くの人が重層的に絡み合って、だれが本当の黒幕なのか、復讐すべき相手は本当はだれなのか、なかなか見えてはきませんでした。たぶんサジと呼ばれる悪魔のような暗殺者にその任を与えたかったのでしょうが、それも背筋が凍り付くような情念では無かったような気がします。そこまで人間は悪くはないという中島かずきさんの優しさがあったのかもしれません。
 
 その中でも「舵をだれがとるかばかり張り合って、やつらは船の目的地をみつけようとしない」というセリフにあるように、どの時代でもあるどろどした人間の権力闘争はよく表していると思いました。
 
 主人公の土門を演じた上川隆也。「キャラメルボックス」のダンスで培ったと思うその立ち回りが見事でした。また前半で憎しみをたぎらせていく場面、後半の許嫁であった女性への思いが葛藤する場面などすばらしい演技だと思いました。サジ役の堺雅人。「ボク」という一人称で笑みを浮かべて人を殺す姿に、冷徹で残酷な雰囲気をよく醸し出せていました。初めて観た早乙女太一。その立ち回りの柔らかな華麗さと、最後まで恩義を果たそうとする健気さが心を打ちました。

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2009年11月 9日 (月)

東野圭吾著「新参者」を読んで

 加賀恭一郎が主人公の作品との出会いは「赤い指」以来となります。 ここでは江戸情緒が残る日本橋に「新参者」として赴任してきた、所轄の刑事で登場します。

 この作品は全9章からなりますが、ひとつひとつの章に殺人事件の周辺でおきたエピソードの謎解きの妙があります。そしてそれらが最後はひとつにつながるように構成されており、なかなかおもしろい章立てになっています。

 しかも殺人事件をあつかいながらも、ほほえましく感じたり、人情にほだされたりして読後感はいたってさわやかです。犯罪者を見事な推理で追い詰めていくミステリーを期待する読者には、物足りなさがあるかもしれませんが、どこか時代劇を思わせるような、暖かい市井に生きる人たちの息づかいを感じさせてもらえる作品です。

 加賀恭一郎もその中で、「事件を捜査するのが刑事じゃない。事件によって心が傷付けられた人がいるのなら、その人だって被害者だ。そういう被害者を救う手立てを探し出すのも刑事の役目だ」と言っているように、刑事の嗅覚とともに心の感度も高くして、人知れずかかえる悲しみや喜びを明らかにしようとしていきます。これまた、遠山の金さんのような雰囲気を感じとってしまいました。

 とにかく、ガリレオシリーズとは全く趣を異にして、科学でではなく、人間の心のありようで事件を解き明かしていくというテイストの作品になっていました。

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2009年11月 8日 (日)

NHKドラマ「チャレンジド」 最終回 ~さよなら先生~を観て

 盲目の中学校教師のドラマ・「チャレンジド」全5話を見終わりました。全体的に実際の教育現場のことを十分取材出来ていなかったせいか、違和感を覚える場面が多くあったことは否めません。

 しかし、主人公の塙先生が、自ら「メロス」となり身をもって生徒たちのために走る姿には、胸が熱くなりました。「生徒のためなら、教師はなんだってできるんだ」と一生懸命にがんばることが、子どもの心を育てることができるのですね。それも決して空回りで独りよがりの頑張りではなく、生徒一人一人のことをよくわかった上でのことでなければなりません。塙先生は目が見えない分、残された感覚と心の目を最大限に使って、生徒たちに向き合っていこうとしていました。それは本当に教師が好きでないとできないことです。目の前にいる子どもから決して逃げないで、自分のすべてをぶつけていくことで、本当の教育ができるのだと、このドラマから改めて学んだ気がします。

 ただ現実にはこのドラマのような物わかりのいい子どもばかりとは限らず、それですべてがうまく行くとは決して思いませんが、「障がい」のある、なしに関わらず、教師は常にチャレンジしていくことは絶対に必要なことだと思っています。

 ドラマの主題歌であるCHEMISTRYが歌う"ONCE AGAIN"もいい曲でした。

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2009年11月 7日 (土)

「正倉院展」から「依水園」へ

 第61回「正倉院展」を観てきました。今年は天皇御即位20年を記念して、会期も例年より3日長くなっています。

 訪れた日が土曜日ということで、開館40分前に奈良国立博物館に着くようにしました。するとまだ列は入り口前の通路にとどまる長さで、約30分待ちで(10分早く開館されました)中に入ることができました。といってもさすがに最初の方は大変な人だかりだったので、いつものようにそこはワープして、お目当ての宝物で比較的すいているケースを目指しました。

 やはり観たかったのは「螺鈿の鏡」と「紫檀の琵琶」。鏡はもう何度も観ているのですが、色とりどりに宝石がちりばめられ、あたかも万華鏡のようなその美しさは立ち去りがたい感動を与えてくれます。次に琵琶のケースでは琵琶の演奏する音色も聞こえてくる中、その響きにあわせ描かれた鳥が花をまき散らし、飛び交うかのような錯覚も覚えてしまいました。

 今回特に、おもしろく思ったのは「ほうき」です。皇后がカイコの部屋を掃き清める儀式に使われたそうですが(今でも皇后様がカイコのお世話をされている写真が飾られていました)、枝にはガラス玉を差し込み、手元には金糸が巻かれて、スーパーホウキとでもいうべき豪華さでした。儀式に用いるものはどんなものであっても、手を抜かないという天平人の魂を見た気がします。
 
 正倉院展を出た後は、お帰りになった阿修羅様を拝みに「興福寺」に向かいました。しかし、その行列のすさまじさに圧倒され今回は断念することに。その代わり、東大寺の裏にある名園の「依水園」を訪れました。ここは人影も少なく、色づく秋の気配を静かに味わうことができます。ファインダーをのぞくと、紅葉した木々にススキの穂が重なり、さらに遠景に東大寺が。思わずシャッターで秋を切り取りました。

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2009年11月 1日 (日)

映画「風が強く吹いている」を観て

 今日は映画の日。日曜日と重なったので混雑するかなと、朝の早い目に映画館に向かいましたが、思いの外空いていて、結局開場まで朝マックをして時間をつぶしました。

 「駅伝」と聞くと、たすきを繋ぐという言葉からすでに熱いものを感じてしまいます。一人で走るマラソンとは違い、駅伝の走りには仲間への思いが込められているからです。

 この作品は、個性の全く異なる9人の若者の心を繋いで、一つの「走り」にまで高めていったドラマです。陸上競技にはほとんど素人で、箱根駅伝と言えばテレビで観ることぐらいしか思いつけなかった若者たちを、リーダーのハイジこと清瀬灰二がそれぞれの良さを引き出していく様がいいですね。ハイジは「長距離は才能と努力を天秤にかければ、努力の方に傾く競技だ」と言っていましたが、その努力も「根性」という言葉で強制するのでは決してなく、単調にならず無理をさせずに走らせ続け、少しずつ力をつけさせていくのです。

 それはハイジが一人一人の特性を見抜いて、その特性に応じた練習をプランニングしたり、自信をつける言葉で巧みにやる気にさせたり、そして何よりも、夢を実現しようとするリーダーへの絶大な信頼感があったからこそ、気持ちがひとつになって目標に向かっていけたのだと思いました。

 人間というのは高い目標、良きリーダー、そして強い仲間意識があれば、どんな困難にも打ち勝つことができることを、教えられたような気がします。何のために走るのか、それはより早く走るためではなく、より強い人間になるためであると。さわやかで感動的ないい映画でした。正月にある「箱根駅伝」をまた違う思いで観ることができるかもしれません。
 
 ハイジ役の小出恵介。どんなときも笑顔を絶やさない、そのさわやかな魅力が素晴らしい。スピードを追い求めるランナー・カケル役の林 遣都。映画「バッテリー」で観たときよりも、随分とたくましくなっていました。自信にあふれたいい走りを見せてもらいました。

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2009年10月24日 (土)

映画「沈まぬ太陽」を観て

 今日の公開にあわせて、昨日文庫版の原作・全5巻を読み終えました。主人公・恩地元(おんちはじめ)の苦渋に満ちた人間ドラマを、そして魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する政・官・財の絡みつく人間関係を、どんなふうに映像化するのか、楽しみにしながら映画館に足を運びました。

 しかし映画が始まるとともに目に飛び込んできたのは、そのどちらでもなく、それは1985年8月12日、日航123便御巣鷹山墜落事故でした。原作でも第3巻「御巣鷹山編」として全体のストーリーからは独立的に描かれ、作者・山崎豊子が犠牲者への鎮魂の思いをこめ、また心からの「償い」を見せようとしない上層部への怒りをこめて叙述されています。映画でも明日が来ることを信じて疑うことなく、搭乗前に記念撮影する家族の幸せな姿などが描かれ、冒頭から目頭が熱くなってしまいました。

 固辞していた労働組合の委員長を無理に押しつけられたところから、恩地元の悲劇が始まります。それも平穏にこなしていれば、管理職への足かがりにもなっていたはずなのに、性分としての強い正義感と、与えられた仕事はすべて誠意をもってなしとげようとする律儀さが、私利私欲のためだけに会社を食い物にしようとする輩たちの逆鱗に触れて、海外の僻地勤務に追いやられていくのでした。そして「詫び状を書けば復帰させてやる」という言葉にも乗らず、11年間の流罪にも等しい扱いにもひたすら堪え忍んだというのは、本当に驚くべき「頑固」さと言わざるを得ません。自分の人生のためにも、家族のためにも、どこかでおりあいをつける道はなかったのかと凡人は考えてしまうのですが。
それでも、逆境にありながら常に自分のポストにベストをつくそうとした態度は、立派だと思います。特に遺族に対し誠心誠意をこめてつくす姿は、感動的でした。

 主人公のように報復すら考えず、「組合の仲間を決して裏切ることはできない」と思い詰めている人間は、もう今の社会のどこを探しても存在しないような気がします。それだけに、納得いかないことがあっても、妥協を繰り返しながら生き続けている自分にも、人生のどこかでは「恩地」的な筋を通した生き方が大事かなと思ってしまいました。

 原作にも登場するニューヨーク・ブロンクス動物園に書かれた「世界で最も危険な動物」と言われる人間たちの姿は、原作ほどの「えげつなさ」はありませんでした。経営再建中の日本航空に遠慮したのかもしれませんが。後半は恩地元や行天四郎の露出は原作より多くて、複雑でおどろおどろした人間関係は二人に焦点をあてて整理していたようです。そのため、10分休憩後の後半は迫力に欠けるきらいがあります。
 
 最後の夕陽の中を疾走する場面。「何一つ遮るもののないサバンナの地平線へ黄金の矢を放つアフリカの大きな夕陽は、荘厳な光に満ちあふれている。それは不毛の日々にあった人間の心を慈しみ、明日を約束する沈まぬ太陽であった」というモノローグは、どんな人間の行いも、大自然に比べれば些末なものであるという作者の結局の思いがこめられているようでした。
 
 主人公・恩地元を演じた渡辺謙。会社と家族の間で苦悩する良心ある人間の姿を熱演しておられました。行天の愛人役・三井美樹(原作とは異なる)を演じた松雪泰子、スチュワーデス姿が魅力的でした。

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2009年10月17日 (土)

ドラマ「不毛地帯」第一回を観て

 ドラマ「不毛地帯」が始まりました。奇しくも来週からは同じ原作者・山崎豊子の「沈まぬ太陽」も公開され、テレビ、映画で山崎豊子の世界を堪能できることになります。

 そして、この二つの作品に同時に描かれているモデルが、元大本営参謀で戦後は伊藤忠商事の会長にまで登り詰めた「瀬島龍三」です。ただ自分としては正直言って、日本陸軍の亡霊が政界の黒幕的存在となって暗躍したというイメージが強いです。「不毛地帯」の原作を読んでいないので、どのような視点でとらえているのかは分かりませんが、第一回目を見る限りにおいては、主人公の壹岐正(唐沢寿明)が作戦参謀として、多くの人々を死に至らしめたことに責任を感じ、戦後は自分の肩書きが通用しない世界で、純粋に日本の再建につくすというようなモチーフでした。

 しかし、たぶん2回目以降は、山崎豊子お得意の政・財・官をとりまくどろどろした権勢欲の中で、木の葉のように翻弄される人間の姿が描かれるのだと思います。日本の戦後史をたどる上でも、おもしろそうな作品になりそうなので是非これからも注目したいです。
 
 1回目では、やはりシベリア抑留のシーンが印象的でした。父が抑留者の一人だったので、その過酷さは胸につきささりました。およそ人間の平等をかかげた社会主義国とは決して思えぬその非道さに、憤りが高まります。もちろん日本の戦争責任は問われなければなりませんが、人命をもてあそぶような原爆投下やシベリア抑留を正当化することは断じて許せません。

 数万の人が冷たい大地に倒れる中で、主人公は11年間も囚人として重労働に耐え、生きて日本に帰ってくることができました。その精神力は並大抵のものではなかったと思います。過ちをくりかえさせないためにも、この話はしっかり受け止めないといけないと思いました。
 
 キャストも唐沢寿明を始め、原田芳雄、柳葉敏郎など豪華な演技派をそろえ、女性陣も小雪、和久井映見、天海祐希など魅力的な面々で、フジテレビ開局50周年ドラマにふさわしい陣容になっています。それから音楽を坂本龍一が担当しているのも深いですね。

しかし「ふもうちたい」と入力し変換すると、「歩も打ちたい」となるのは何とかなりませんか。

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2009年10月11日 (日)

NHKドラマ「チャレンジド」第1[回 ~熱血教師 再び~を観て

 盲目の中学教師の物語。エピローグで視覚障害を持ちながら教壇に立っている教師は、全国で数百人いると言われていました。このドラマはフィクションのようですが、盲目の先生達が実際に活躍されているということを初めて知りました。

 視力を失い、それでも教師に復帰したいと相談する主人公の塙先生に対して、盲目の教師の会会長である筧先生が「またここに教師バカがいる」と言った言葉が印象的でした。教職なかばで失明した者にとっては、教師として再起をはかるということは、本当に心底教師が好きで、子どもが好きで、並大抵ではない情熱がないとできないということだと思います。しかも思春期まっただ中の様々な問題を抱える中学生とかかわるということは、健常者の教師にとっても困難を感じることが多いというのに、ハンディを背負った教師が向き合っていくということは、想像を絶するものがあります。このドラマでも、教室にたどりつけず誰もいない理科室で自己紹介を始めたり、目が見えないことをいいことに先生をからかう生徒が登場したりします。それでもくじけない塙先生の前向きな姿は感動的です。盲導犬、音声を読み上げてくれるパソコン、点字の出席簿などの助けを借りて、なんとか困難を乗り越えようとしていきます。

 題名になっているチャレンジドはアメリカでは障がい者を意味しているそうで、障がいは個性ではなく力であり、新たな力でチャレンジしていくことが、神様から与えられた使命ということ。マイナスと思ってしまうことも、人間というのは少し見方を変えてみると、それは逆にすごい力になるということを教えられました。また誰の助けも借りずに一人だけでがんばろうとするのではなく、できないことはできないこととして、みんなに助けを求めていくこと。支え合うのも人間ができる姿なんですね
 
 しかし、塙先生の学校の教師集団の冷たさはあまりにもひどい。自分から担任を任せたのだから、校長ももっとフォローすべきだろう。たぶんストーリー上の設定だとは思いますが、あれでは障がい児教育も人権教育も何もまともに行われない、能力主義、競争主義だけの学校になってしまいそうで恐ろしく思いました。
 
 塙先生役の佐々木蔵之介。僕の好きな俳優さんでもありますが、突然視力を失った苦しみを乗り越え、体一杯に生きる姿をほとばせている演技に好感を持ちました。妻役の富田靖子。夫の目が見えなくなってしまう前に、泣きながら化粧をして自分の一番美しい姿を見せようとする場面には、涙があふれてきました。

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