2009年7月12日 (日)

NHKドラマ「リミット 刑事の現場2」 第1回 ~その男は悪魔~を観て

 刑事の現場の第2シリーズ・「リミット」が始まりました。今回もベテラン刑事と駆け出し刑事とのせめぎあいをベースにしながら、所轄と本部、組織と個人、加害者と遺族、キャリアとノンキャリアなど様々な構図を描いていきます。

 特に今回は、刑事という仕事の目的を「市民を守るため」と言う若手刑事に対して、「警察は警察を守るために仕事をしているだけだ」とその正義感をベテラン刑事が一蹴するところが印象的でした。 若い頃は夢や希望を求め張り切っていたはずなのに、経験と歳を重ねるにつれ現実と生活の重さにうちひしがれ、いつしか一枚一枚脱ぎ捨てるかのように、夢も希望も置き去りにしていくというのが人生のようにも思えます。 いかし、ベテランは青臭い夢は枯れても、自分の仕事に自信や誇りがあるはずだし、このドラマでも周りがどうあれ、刑事としての生き方を示している姿を感じることができました。

 また今回はインターネットや無差別殺人などを絡めていく中で、生きにくくなった現代社会の人間が抱える闇の部分を、登場人物の過去を通して展開していくようです。 
 森山未來演じる優秀な若手刑事は、前回よりも刑事姿が板についてきたように思いました。また意地を通すだけではなく、おりあいをつけようとする大人ぽっさも出てきたようです。
 ベテラン刑事役の武田鉄矢はどうしても「金八先生」のイメージが抜けなくて、刑事になかなか見えないのが難ですが、その説教ぶりは健在です。
 誰でも良かったと殺された被害者の遺族の無念さを、斉藤洋介が見事に演じていました。「どうだ俺はこれだけ社会を憎んでいるのだ」と顕示したいがために、何の罪もない人の命や家族の命や幸せを奪っていく犯罪者。そんな犯罪者に対して「優しさによる救済か、憎しみによる厳罰か」というドラマのテーマは裁判員制度が始まり、刑事だけではなく我々市民が犯罪をどうみるかという問題にもかかわってきそうです。

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2009年7月 5日 (日)

松田聖子”SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2009” 5日 大阪城ホール

”SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2009”へ行ってきました。”My Precious Songs”と銘打って彼女のお気に入りの数々の歌を聞くことができました。来年でデビュー30周年だそうですが、僕は何を隠そう若い頃から松田聖子のファンなんです。

 よく話題になる彼女の生き方についてはほとんど関心はありません。ただ彼女の歌が好きなのです。歌そのものの上手さもありますが、ポップスだけど心のこもった歌い方にずっと惹かれていました。 今日の大阪城ホールを埋め尽くした観客はやはり、僕のような往年のファンがつめかけていたようです。

 今日の松田聖子の出で立ちは、最初がセクシー、次にシック、そして最後がはじけたまさにSEIKOスタイル。元祖アイドルから、今は成熟したオールラウンドのタレントになってられるなと感じました。MCでは時々「おばさん」が入ってましたが、観客からのかけ声に絶妙に応じてられたのもさすがだと思いました。特にソフトバンクのコマーシャルの話がおもしろかったです。

 また知らなかったのですが、リクエストタイムというのがあるんですね。客席からリクエストする曲の横断幕がかかげられそこから、みんなの拍手で選ぶという趣向。結局、「大切な人」「制服」など4曲が選ばれましたが、聖子ちゃん自身が「これいいよね」と独断で選んでいた感も無きにしもあらず。そう言えばこのコーナーの司
会にバンドのリーダーである小倉さんを指名しておきながら、ほとんど完璧に自分でしきってしまったところなど、すべてマイペースな聖子ちゃんらしいところかなと思いました。

 歌の方はメドレーで歌われた「青い珊瑚礁」「夏の扉」「渚のバルコニー」などなつかしい歌に、さまざまな思い出が去来してきて胸か熱くなりました。

 最後は亡くなったマイケル・ジャクソンをしのんで、彼の歌をムーンウォークと併せて披露されていたのが印象的でした。

 全体の感想として、松田聖子健在なりですね。それどころか、さかんに小さな子から「聖子ちゃんかわいい」と声をかけられていましたが、これからも益々幅の広い音楽活動をされるのだろうと思います。ただ僕の好きな「瑠璃色の地球」が聞けなかったのが唯一残念なことでした。

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映画「蟹工船」を観て

 原作に漂う蟹工船の臭気をも感じさせてくれる映像だったと思います。また原作には無い来世を願うお遊び的な所も、心からは笑えない雑夫たちのまことしやかで、悲しい心情をよく表していました。

 無産階級(プロレタリア)と呼ばれた人々が、国家のためという美名のもとに、資本家や軍部に搾取され利用さていた構図が見事に理解することができます。国や支配者が精神主義で鼓舞することほど、疑ってかからねばならないものはありません。それは支配される者の過酷さを覆うってしまう隠れ蓑にすぎないからです。

 この映画で象徴的に使われていたのが歯車です。自分の力では回ることができず、ただひたすら機械の一部品として組み込まれているにすぎない歯車。それは、貧困層に生まれた運命に逆らえず、来世にしか望みを託すことができない労働者の姿そのものと思われました。しかし映画では、人間は人や社会に回され続ける歯車ではない、一人一人人間として自分らしく生きる権利があると立ちあがるのです。彼らが作った労働組合の旗にも、歯車同士が手を結ぶ絵が画かれていました。

 舞台は80年前ですが、現代風なタッチなところに我々の社会が抱える「貧困」という問題にも、迫っていたように思います。
 
 監督のSABUですが、示唆的で象徴的な構成や映像がうまいなぁと思いました。トイレに閉じ込められた雑夫の壁をたたく音が響くシーン、歯車がはずれて倒れるシーンなどが印象的でした。
 
 労働者のリーダーとなる新庄を演じた松田龍平。「死ぬことぐらい自分で決めたい」というマイナス思考から、「我々は立ちあがらねばならない」というプラス思考への変化を力強く表現していました。監督役の西島秀俊、メイクで悪役顔となり声をはりあげての熱演となりましたが、イメージが先行して役になりきれなかったところがあります。佐藤浩市のような人が良かったのでは。昨日、大阪薫英高校の先生が、パンフレットを持ってこられて谷村美月が本校の卒業生であると紹介されていましたが、いきなりの登場で驚きました。

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2009年6月28日 (日)

映画「Dear Doctor」を観て

 西川 美和脚本・監督作品。

 この作品は僻地の診療所に勤める医者と、村人達との温かいふれ合いを描いたよくあるヒューマンドラマでは決してありません。またストーリーは単純であっても、心にストンと落ちるわかりやすいドラマでも決してありません。

 この映画は人間心理の多重性を、叙情に流されることなく、映像だけの手法を使ってシニカルに描いていきます。僕はこの映画のテーマは「錯覚」ではないかと思いました。愛とか美とか、善とか幸福とか、人間が素晴らしいと思っていることは、つきつめると何一つ確かなものはなくて、そう思いこんでしまっている錯覚なのではないかと。

 この作品では、「命」さえもそうであるということを感じさせられる場面もありました。介護老人に救命を施そうとする医者に対して、「もうそのへんで」と諭す家族、死を告げられ握りしめた手がほどけた嫁。見ている方も錯覚にとらわれていることに、はっとさせられるシーンでした。

 しかし最後、きれい事では済まされないことに気づいている中で、それでも主人公は潔く自分を捨てて、癌患者とその家族が最も幸せになると思う道を選ぼうとします。いいとか、悪いとかではなくて、こんなことができてしまうのも人間なんだということを監督は言いたかったのではないでしょうか。
 
 診療所の医師役となった笑福亭鶴瓶、映画「母べえ」では吉永小百合との共演が見事でしたが、今回は八千草薫と差し向かっての演技に味わい深いものを感じました。特に最後の白衣を振って別れを告げるシーンは胸がつまりました。研修医役の瑛太、軽いキャラでしたが映画のテーマを引き立てる演技だったと思いました。

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2009年6月24日 (水)

劇団四季「ジーザス・クライスト・スーパースター」 大阪公演を観て

 「オペラ座の怪人」以来の四季劇場となりました。常に衣装や振り付けなど華やかな舞台しか知らない自分にとっては、「ジーザス・クライスト・スーパースター」はかなり異質な趣を感じました。

 まずは、ほとんど色彩がありません。荒れた茶褐色の大地に同化してしまったかのようなイエスをはじめ、民衆のみすぼらしき姿。(白に身を包んだヘロデ王と侍女たちが登場したときは、舞台が突然明るくなったような感じを受けたくらいです)それだけリアリズムに徹し、貧しく虐げられていた人々を描いたのだと思いました。

 またそのリアリズムは、衣装だけではなくイエスその人の心情にも及んでいました。イエスを演じていた物静かな金田俊秀さんの歌声が、突如として金きり声に変わるとき、まさに神の子ではなく、人間の子としての苦悩がにじみでているようでした。そこには奇跡を行い、愛をほどこしたスーパースターのイエスの姿はなく、無力になった我が身を民衆にとりつくされ、ついには弟子にも裏切られるという悲惨なものでした。

 また、初めて知ったのですが、イエスが処刑されるとき民衆は「イエスを十字架にかけろ!」と叫ぶのですね。「金の切れ目が縁の切れ目」的に手のひらをかえしてしまう民衆というのは、時にして残酷なものだと思いました。

 ムチを打たれ(正直もう止めてほしいと思ったくらいです)、最後の磔のシーンの音を立てて手と足に釘を打ち付ける所も、目を覆いたくなるほどでした。きっとキリスト教徒なら、思わず手を合わせるのではないかと思うくらいのラストでした。 

 ただカーテンコールで、「復活」されたイエスはみんなで輪の中に囲いこまれ、ようやく救われた気分になることができました。重いテーマでしたが、音楽のアクセントに合わせ躍動する手足のダンスは、素晴らしいものがあったし、心に残るたくさんのナンバーもありました。ユダを演じられた金森 勝さんが「私たちは命懸けで舞台をやっている」と胸をつまらせながら語っておられましたが、また四季の作品が好きになってしまいました。

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2009年6月21日 (日)

映画「劔岳 点の記」を観て

 若い頃は登山が好きで、夏の北アルプスにはよく登りました。そのころはそんな趣味もあって新田次郎の山岳小説は愛読書のひとつでした。「孤高の人」や「聖職の碑」、その他の短編集もよく読みました。その中でも、「剣岳 点の記」は最後の意外な顛末と共に、思い出深い作品の一つで、今回それが映画化されると聞くや、公開と同時に映画館に足を運びました。客席も登山愛好家らしい中高年の人でうまり、隣の年配のご婦人も出てくる山の名前を、感慨深げに復唱されていたし、映画が終わるやいなや図らずも大きな拍手が起きたのも、最近にない経験でした。
 
 黒澤作品の名カメラマン、木村大作が監督ということで本当にどのように撮影したのかと思うぐらい、ダイナミックで美しい映像をスクリーンいっぱいに見せてもらいました。特に秋にじゅうたんのように染め上げられた山の姿や、雲海が赤くそまる夕日の場面などは息を飲むような美しさでした。その中、豆粒か蟻の行列のように尾根にとりつく人々の姿が映し出されると、自然に挑む人間があまりにも切なくもあり、けなげでもあり、そして実に強くもあるように思いました。「悠久の大自然の中では、人間の行いなどちっぽけなものにすぎない」というセリフがありましたが、都会で使うと臭い言葉も山の中では心に落ちるものがあります。

 登山装備も十分でない100年前の日本で、ただ地図を作るという目的のために、危険をおかしてでも「死の山」と恐れられた剣岳の登頂に挑戦した人たちがいたことをこの映画は教えてくれます。「行ったことが大事ではなく、何のために行ったかが大事」と言われていたように、なしとげた事におごり高ぶらず、ただ淡々と自らにた与えられた「仕事」を全うしようとする主人公たちの姿に感動しました。最後の登頂成功の場面は物足りなく感じましたが、それをセンセーショナルに描くことがかえって登頂した彼らの意図に反するという思いがあったからなんでしょうね。

 そして、実はこの映画の本当の主人公は、人間を拒みそして包み込む剣岳そのものにあったのだとも思いました。
 
 測夫を演じた松田龍平、明治の若者には見えない雰囲気もありましたが、独特のキャラで作品を面白くさせていました。一番印象に残ったのはガイド役の香川照之。山を知り尽くし山に登りたいという人のために、山とおりあいをつける役柄を見事に演じていました。登山家役の仲村トオル、超然としたムードが測量隊と対峙できてストーリーを作っていました。主人公の測量手をつとめた浅野忠信、押さえた演技で誠実な人柄をよく表現していました。

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2009年6月14日 (日)

映画「真夏のオリオン」を観て

 この映画は太平洋戦争末期に、米巡洋艦インディアナポリスを撃沈したイ-58潜水艦の艦長橋本以行 少佐をモチーフにして描かれているそうです。 まもなく戦争が終わるという時に、最後まで戦わねばならなかった事実を、日米艦長の知力をつくして向き合う姿を通して描いていきます。

 人間魚雷「回天」の搭乗員に対して、「もったいない」とさとし出撃を許さず、自らの戦略と乗組員達とのチームワークで生きて帰ることをめざしたイ-77潜水艦の倉本孝行艦長(玉木宏)。米駆逐艦との死闘は鬼気迫るものがありましたが、戦争映画によく見られる悲壮感はほとんどありませんでした。それはどんな危機が迫ろうと「めしにしよう」と、一息いれることで動揺させずに冷静さを求めた明るい艦長と、その艦長に全幅の信頼を寄せる乗組員の姿があったからだと思います。 特攻攻撃という人間の精神を極限までに追い込んだ戦法とは、対極のものを感じました。潜水艦は「海に出れば自由だ」というセリフがありましたが、海軍の中ではまた独特の世界があったのでしょうね。

 ストーリーとしては現実の戦争では起こりえないような「おとぎ話」的な感じもなくはありませんでしたが、敵・味方に分かれていようとも、音楽や星や詩の美しさは人間を結びつけてくれることを映画は訴えているようでした。

  倉本艦長を演じた玉木宏。合理的な判断と、人間味あふれるハートを持つ指揮官の姿を好演していました。「僕の夢は、オーケストラの指揮者になること」というセリフには思わず笑ってしまいましたが。炊事を担当する兵を演じたドランクドラゴンの鈴木 拓、なかなかいい味を出していましたね。

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2009年6月 7日 (日)

「きらめく星座」 7日 大阪公演 を観て

 昨日の「シラノ」に続いての観劇となりました。井上ひさしの戯曲の中で、戦争を主題とした作品のひとつ。そういう意味で当然ながら、先日観た「ムサシ」とは趣を異にしています。
 
 とは言っても井上作品、観客を楽しませる仕込みには事を欠いていませんでした。まずはオープニング、暗闇でうごめく怪しい数々の光は出演者がつけた防毒面。エンディングでも使われますが戦争に向かう不安を象徴していたようです。それとなんと言っても歌。戦前にヒットした歌謡曲が、これも楽しい振りを付けられ歌われていきます。「きらめく星座」や「青空」のところでは、思わず客席から手拍子も入り、比較的多そうだった年配層が懐かしんでおられたようです。特に軍隊から脱走した兵を交えて、逮捕するためにやってきた憲兵が「青空」を歌いながら、一緒に踊る場面は傑作でした。

 そのほか、戦争中ならではの話では、バケツやマッチを高価なもののようにありがたがったり、1個の卵をめぐっていかに料理するか論争する場面なとが面白かったです。全体的には太平洋戦争開戦前の2年間を畳みかけるようなセリフの中で、テンポよく展開されていきますが、井上ひさしのメッセージの多くは、レコード店「オデオン堂」に住まいする竹田慶介が語っていたセリフに込められていました。

 「宇宙に地球のような水の惑星があることは奇跡なんです。その中で命が生まれ、人間まで至ったことは奇跡の連続で、こうして今私たちがいることも、何億何兆の奇跡の連続の結果なんです。こうして生きていることが奇跡なのだから、人間は生きていかなくてはならないのです」と。だから、人の命を奪うおろかな戦争はしてはならないのだと。まことしやかに美しい言葉で彩られた戦争の道義ほど、疑ってかからないといけない。そんな作者の思いが、キャストの熱演も加わりひしひしと伝わってくる舞台でした。
 
 オデオン堂の主人の妻役で登場された、愛華みれさん。悪性リンパ腫で療養中と聞いていましたが、「追い詰められるほど明るくなる」お母さんを元気に演じられていました。最後に歌われた伸びやかな「青空」は、軍歌や人を鼓舞する勇ましいだけの歌がもてはやされる時代にあって、本当に明るく楽しくなれる歌の大事さを感じさせてもらえました。

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2009年6月 6日 (土)

ミュージカル「シラノ」 大阪公演 6日昼の部を観て

 中学生の頃に読んだ北杜夫著「どくとるマンボウ青春期」に旧制松本高校の寮祭で「シラノ・ド・ベルジュラック」を公演したエピソードが出てきます。そのことを覚えていて「シラノ」というのは、哲学的な小難しい演劇かと思っていたら、そのようなことは全くありませんでした。

 それどころか面白くて愉快で(実際、たくさん笑わせて頂きました)、そして主人公シラノの心情に胸打たれるようなヒューマンなドラマでありました。19世紀後半に初演されたらしいのですが、こうして21世紀になってもミュージカルになるというのは、時代を超えて引きつけるものがあるからだと思います。

 それはひとつにはストーリーの巧みさ、ひとつには登場人物の魅力、ひとつにはメッセージにあります。ロクサーヌという美女をめぐり、でか鼻で醜いが女心を揺さぶれる詩才のあるシラノと、若くて美貌のクリスチャンという二人の男の恋の顛末。その主人公シラノは武勇にもすぐれ、権力や虚栄、傲慢を憎み実に痛快でいてどこかお茶目な人物。そして、訴えかけるのは人が愛するのは、見た目の美しさか、それとも美しい魂かという永遠のテーマ。これだけそろってしかもミュージカルとくれば、面白くならないはずはありません。

 死ぬ間際まで自分の本当の心情を隠し、クリスチャンのゴーストライターに徹することで、思いだけは伝えようとしたシラノの端から見える切なさも、彼にとっては、最後は「心意気」と言い切れるほどの充足感に満ちたものだったのだと思われました。
   

 シラノを演じた鹿賀丈史さん。他の人とは違う節回しの歌い方が際立ち、敵を持つことをむしろ歓びとする気高い演技が素晴らしく思いました。反対に自分の思いとは裏腹にロクサーヌの恋の手助けをしてしまうあたりの、大きな鼻を傾けて困惑を表すところは、チャーミングですらありました。ロクサーヌを演じた朝海ひかるさん。白、赤、黒と三回衣装を替えられますが、そのたびに「求める愛(真剣ななまざし)」「歓びの愛(素敵な笑顔)」「真実の愛(ほとばしる感情)」を見事に演じわけられ、その美しい歌声にも魅了させられました。クリスチャンを演じた中河内雅貴さん。若いひたむきな演技がカッコ良かったです。

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2009年5月30日 (土)

NHKドラマ「ツレがうつになりまして」第一回を観て

 かつて悪性腫瘍の手術後、次から次におそう痛みや不眠に絶望的な気分におちいり、たぶん薬のせいもあったでしょうが、壁一面に字が書いてあるように見えたり、外の景色を見ても家々が人の顔に見えたりした時がありました。そのとき担当のナースに「あなた、まじめすぎるんじゃない。ちょっと不良が入る方がいいよ」と言われました。このドラマを見てそれと同じ言葉を、原田泰造演じるツレと呼ばれる主人公にもかけてみたくなりました。

 すべて自分で抱え込み、仕事の失敗も人を責めないで自分のせいにする、几帳面でまじめで、自罰的な性格。それで順調にいけば、きっと一つのことをきっちりと成し遂げられるのでしょうが、個人がひとつ、ひとつ積み上げてきた積み木を一度に蹴倒してしまう非情さに満ちた現代社会では、誰でもが落とし穴にはまり変調を来すことが起こることは容易に想像できます。バリバリ働いてはずの自分がなぜこうなったんだろうと、涙を流す主人公を見て本当に心が痛みました。それとは逆に、藤原紀香演じるテンさんと呼ばれる奥さんの気ままな生活ぶりには笑ってしまいました。主婦失格とか、何をやってもだめとかそれなりに悩みを持ってられるようだけれど、それほど深刻になる気配もない。今まで頼り切りになっていた夫がウツになって、さぁこの妻はどうするか、次回からの展開が待たれます。「決して気分転換を図ろうとはしてはいけない。気分転換できなくて、余計に申し訳無いという気持ちが強くなるから」と風吹ジュン演じる精神科医の言葉にも、耳を傾けたいと思います。

 起き抜けでほとんどすっぴんのような藤原紀香を見て、いつもの華やかさとは違うコミカルでいて、どこか哀れさも感じる素顔の演技を感じました。人の良い性格から、自分を追い詰めてウツにおちいるまでの変化を原田泰造が、ていねいに演じていたと思います。

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