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2012年2月11日 (土)

ミュージカル「十一ぴきのネコ」 大阪公演 11日 昼の部を観て

 今年は「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」という長い名前のアニバーサリーで、1年間に渡り8本の作品が上演されるそうです。井上ひさしファンの自分にとっては、見逃せない年になりそうです。そしてその第一弾がミュージカル「十一ぴきのネコ」。

 馬場のぼるの絵本がベースになっているので、ファンタジックな舞台を想像していました。事実、客席には結構小さなお子さんの姿も多く見られました。しかし、サブタイトルが「子どもとその付き添いのためのミュージカル」とあるように、子どもたちももちろん見て楽しめますが、やはり井上作品らしく人間や社会をテーマにした内容の深い舞台であったことに間違いありません。

 開演前、「野良ネコ」たちが観客にちょっかいをかけうろつきまわっていきます。この時点ですでにファンタジックなネコではないことがわかりました。「キャッツ」のネコとはつくりがまず違います。へたをすればホームレスのようにも見えてしまいます。中にはたちの悪そうなのもおり、遅れてきたお客さんもからかわれていました。

 しかし、この個性豊かなネコたちがひとたび舞台に上がるや、群衆劇ならず群ネコ劇となって、見事に腹ぺこ野良ネコを演じていくのでした。特にひとつのリアクションを十一匹がそれぞれ異なるセリフでつないでいくパターンは、言葉がネコのように調子よく飛びかい、日本語のイリュージョンを聞いているようでもありました。そして、いつも最後の「にゃん十一」(山内圭哉)のところで、こけてしまうところがまた可笑しい。

 十一匹が繰り広げる、息のあったダンスやコーラスはまさにミュージカルの醍醐味であったと思います。しかし、それで楽しかっただけでは終わりませんでした。作品が作られた1971年という時代へのメッセージが色濃く込められていたからです。三島由紀夫の割腹自殺やベトナム戦争も登場しますが、それ以上に変わっていく日本人への作者の哀しみがそこにはありました。

 何も無い時代は貧しかったけれども、みんな明るくて互いに優しかった、そして人々は未来への希望のために力を合わせてなんとか生き抜こうとしていた。しかしひとたび豊かさを手に入れてしまうと、確かにあったはずのそんな大切なものが見えなくなってしまうと。

 「人間全体が幸せにならないといけない」、「自分の運命は自分で決める」といったセリフは現代に向けた井上ひさしの決意であるかのように思いました。

 主役の「にゃん太郎」を演じた北村有起也。みんなのために知恵を出して、前に引っ張って行こうとする理想的なリーダー役でしたが、時にはずっこけ時には間違う愛すべきネコを好演していました。

2012年2月 5日 (日)

NHK土曜ドラマスペシャル「キルトの家」後編 短い日日のあとに を観て

――諸君!
魂のはなしをしましょう
魂のはなしを!
なんという長い間
ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう

 ドラマの中で、語られた吉野弘の詩の一節です。すべての人間の心には、それぞれ魂があるのです。知らず培ってきた自分の生きる意味となる魂が、生きる喜びや哀しみに包まれた魂が。

 「人間はみな同じ」というけれども、それは少し違うと思います。同じ人間はふたりといないのです。だからそのひとりひとりが持つ魂の重さを大切にしなければならない。松坂慶子演じる桜井一恵の父親が死の直前に残した、「私は老人ではない桜井隆一郎という名のある人間だ」との痛切な叫びはまさに魂の叫びだったのでしょう。

 老人が自立することも、老人に援助の手を差しのべることもどちらも大事なことです。ただそこに老人は、意地を張らずあるがままの自分をみつめなければならないだろうし、若者も決して同情や慈善の気持ちだけであってはいけない。

 高齢化社会になって自立か援助か、これからどこまでも議論が続くと思いますが、人間が幸せな最期を迎えるためには、助け合いのシステムと同時に、魂の交流が不可欠なのだと思います。人間は寂しい、だからこそ家族、夫婦、恋人、仲間が互いの魂を温め合える関係をつくらないといけないのだと思いました。

2012年2月 4日 (土)

ミュージカル「ラ カージュ オ フォール 籠の中の道化たち」 大阪公演 4日昼の部を観て

 嬌声か喊声か、ダンスかアクロバットか、1幕の終わりに演じられた12人の『ゲイダンサーズ』によるカンカンに圧倒されてしまいました。一歩間違えれば妖しい世界になってしまうものを、観ている方は気分が高揚し手拍子に我を忘れ、最後には清々しい思いにさえ至っていました。まさに自分がゲイクラブのお客にでもなったかのように。
 
 

 『ラ☆カージュ オ フォール』、理屈抜きに楽しめるミュージカル・コメディです。登場するのはホモの夫婦とゲイダンサーズたち。普通には引いてしまいそうになる面々ですが、それがみなさん何とも言えず魅力的なんですね。本当のゲイの人たちもそうであるかのように、包み隠さずありのままの自分をさらけ出しているからなんだと思います。それは市村正親さん演じるアルバン(ゲイクラブの看板スター)が「ありのままの私」というナンバーで、誰になんと言われようが自分は自分であり、自分らしく誇り高く生きると歌われているように。

 愛にはいろいろな形があることも教えられます。ホモ夫婦の愛情と、そしてゲイである母親?が息子にかける愛情。それは実の女性である母親!の愛情よりも深いものでした。人間を型にはめて考えようとする人たちにとっては、それは理解しがたく拒絶せざるをえないものなのかもしれません。しかし見た目にきれいな愛だけが愛ではない、どれだけ心を尽くして愛せるかが大切であると思います。

  ストーリーの方は三谷幸喜的なシチュエーションコメディになっていました。特に息子の恋人の両親の前で、実の母親として登場するアルバンが最高にけっさくでもあり、一生懸命母親らしく努めようとする姿には胸が熱くもなりました。そして今この時を大事にして、前に進もうという呼び掛けに元気がもらえたミュージカルになりました。

  軽妙なセリフの掛け合いが、劇の調子を作っていましたが、鹿賀丈史と市村正親の息の合った演技が素晴らしかったです。表情が生き生きと演じられた香寿たつきさん、タイトなドレスが素敵で魅力的でした。他に、原田優一、愛原実花、今井清隆、森公美子らが出演。

2012年1月29日 (日)

音楽朗読劇「モリー先生との火曜日」 29日 兵庫公演を観て

 演者は3人の俳優と二人の演奏者だけの音楽朗読劇、というシンプルだけど、それだけにじっくりと心に染みいる感動的な舞台になっていました。

 ALSという難病に侵されたモリー先生のもとに、教え子のミッチ・アルボムが訪れ、毎週火曜日に2人だけの授業が始まります。それは死を前にしたモリー先生の最後の授業でもありました。授業のテーマは「生きる意味」について。筋力が衰え最後には呼吸も止まり死に至ることを覚悟しながら、モリー先生は自分の考えを人に語り残すことが自分の使命であるかのように、幸福感に満たされながらゆったりと話していきます。

 死を前にするとすべてのものが変わると言われます。窓から見える何気ない風景もモリー先生にとっては愛しく思われます。死に方を学ぶということは、生き方を学ぶことと言われました。生きていることが当たり前と思っている時には、何を大事にして生きなければならないか気付いていないのです。「人生で一番大切なことは何か」、それは「人に愛をあたえ、人からの愛を受けとめること」であると。地位や金のためでなく、身近な者に自分がどれだけつくし役だったかにかかっているのです。今読んでいるフランクルの「それでも人生にイエスと言おう」の中でも、人生にどんな意味があるか問うのではなく、人生に何ができるのか問うことが大切と書かれていましたが、まさにその答えが生きる意味なんだろうと思えてしまいます。

 波の話も感動的でした。いつか砕け散る小さな波も海の一部であると。そう思えば、いつか消える自分の命さえも宇宙の一部でもあるのです。生きることも死ぬこともひとつのことであり、死ぬことの恐れや不安を十分に感じ取った後はそれを捨てれば良い、というモリー先生の最後の言葉には、これからもガンを抱えて生きなければならない自分にとっては、救いの言葉になりました。
 
 出演者 光枝明彦 吉原光夫 土居祐子。ピアノ 小原孝 バイオリン 真部裕。 

NHK土曜ドラマスペシャル「キルトの家」 前編を観て

 いつのころからか、住宅街にあるアパートが火事になったニュースがあるたびに、その犠牲者の多くが逃げ遅れた一人暮らしの老人であることに気づき心を痛めていました。またそうでなくとも孤独死という悲しい現実があります。この物語は古い団地に住む独居老人たちと、たぶん東日本大震災で被災し、東京のこの団地に移り住んできた若夫婦の交わりを描いていきます。山田太一作。
 

 団地の自治会では、一人暮らしの老人に「助け合い」の手を差しのべようとします。しかし、老人にかかわる余裕のない家庭が多く、しかたなく始めた、老人のために仕事をしたら250円を支払うという制度もうまく機能していません。その中で、自治会の助け合いを拒み、自分たちで寄り添うように毎日を暮らしている老人たちがいました。それが「キルトの家」につどう人たちです。

 彼らはお互いの過去もよくわからぬままに、誰の世話になることなく、支え合って生活しているのです。そこには、年寄りは人から助けられなければならない弱い存在だとか、見た目に年寄りは誰も同じ年寄りだとかという考えはありません。しかし、その気むずかしさや頑迷さが奇異に映り、自治会の人たちには理解してもらえないのです。
 

 老人も老人であるまえに人であり、もちろん自尊心や誇りがあると思います。シルバー人材センターのように社会に貢献でき役立ち感に満ちれば、幸せな生き方もできるであろうことは想像に難くありません。それゆえに「キルトの家」の老人たちの自ら若者に触れあおうとする姿勢は、若者にとっても新鮮であり、学ぶことがあり、互いに高め合うことになるのだと感じました。ただそれも元気だからこそできる話で、もし寝たきりや「認知症」で介護が必要になったときは、どうするのかという問題は必ず残ります。
 
 若夫婦の夫役の三浦貴大。主役級としては初めての出演と思うのですが、心情のよく伝わる演技でした。その妻役の杏。しっかりした前向きな女性の姿に好感を持ちました。

2012年1月22日 (日)

映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」を観て

 このシリーズは3作とも観ていますが、人気はどれも高く映画館の客席はいつも満員です。客層は50代以上がほとんどで、同じ時代をくぐった者同士の一体感に包み込まれているかのような雰囲気があります。映画の最初に出てくる東宝のタイトルが突然昔使われた「TOHOSCOPE」が出てきて、ちょっと驚いてしまいました。

 まだ舗装されていない地道をランニングシャツ1枚の姿で、「ひょっこりひょうたん島」を歌いながら駆けていく少年は、まさに僕自身です。東京オリンピックの開会式を鈴木家ではカラーテレビで観ていましたが、確か我が家にはまだ白黒テレビしかなくて、カラーテレビのある近くの家で見せてもらったことを覚えています。映画のカレンダーではこの日は土曜日になっていましたが、開会式を見られたということは小学校は休校だったということでしょうか。

 テレビも全部の放送がまだカラーではなく、新聞のテレビ欄にはカラー放送される番組には、そこだけ「カラー」と書かれていましたね。懐かしいイヤミの「シェー」や、植木等の歌が登場しますが、昔のことを思い出すとなぜか幸福感に満たされます。あの昭和の時代、決して豊かではなかったけど、この映画の下町のように人情があふれ、未来への希望があったからでしょうか。
 

 物語では、六子の恋と茶川とその父親の死を中心に進んでいきますが、いずれも泣かせる話です。時にいがみあったり、けんかしたりするけれども、本当はみんな温かい心を持って、支え合って生きているんですね。「だれもが、上ばかりめざしている世の中だけど、それよりも人が安心してもらえることの方に自分は喜びを感じる」という、奉仕医療の医者の言葉がありましたが、まさに今の時代に大切にしたい言葉だと思いました。

 六子の恋人役の森山未來。73分けのヘヤースタイルと、懐かしいアイビールック(衣装協力にVANとありました。まだ健在なんですね)が決まっていました。六子役の堀北真希。純朴な姿が可愛らしく、ウェディングドレスも素敵でした。お父さん役の堤真一。NHKドラマ「とんび」の父親役とかぶっていましたが、まさに昭和の豪放らいらくな父親の代表となりました。茶川先生役の吉岡秀隆。登場人物の誰よりも深い演技でした。

2012年1月21日 (土)

「金閣寺」 大阪公演 21日 昼の部を観て

 金閣寺放火事件を描いた三島由紀夫の小説を舞台化した、宮本亜門演出の作品です。
 

 たくさんのテーブルの置かれた、稽古場か教室に見える空間の中で、前衛的な舞踏で心象風景を表現しているかのような舞台でした。置かれた大きなテーブルが何人もの踊る男たちによって動かされ、時には道に、時には階段に、特には車に見立てられる舞台美術に不思議な感覚を覚えていきます。そして、何といっても極めつけが、主人公の青い衝動を破壊するために、金閣寺の化身と思われる男によって、空気を引き裂くように鳴らされる笛の音です。
 
 吃音というコンプレックスゆえに外界に心を閉ざしてしまった主人公が、二人の友人たちとの出会いによって、人にどう見られているかを意識するのではない、こだわりのない生き方に目覚めていくのです。 その時の印象的な言葉が「仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。羅漢に逢うては羅漢を殺し。父母に逢うては父母を殺し。親眷に逢うては親眷を殺し。始めて解脱を得ん」で、黒板にもその意味を表す「透脱自在」と大書されます。自意識が強く思い悩んでいた主人公に、思い込みではない自由な生き方があることを気付かせていきます。
 
 しかし、二つのものが立ちふさがります。、ひとつは表向きはとりつくろいながらも、事の責任をあいまいに済ませる大人の醜悪な姿です。それは純粋な心を持つ若者には許されないことでした。これは、戦争の責任を自分たちでは取ることができなかった日本の姿をだぶらせているようにも思えました。
 
 もうひとつは、絶対的な美の象徴である金閣寺です。それは人の生き方をも決定づける力を主人公は感じ取ってしまうのです。これは、日本の進路を閉塞させている伝統的な権威なのかとも思えました。そんな主人公に残された道は、行為によってしか世界は変えられないということでした。結局、金閣寺を放火するのです。この場面がまさに圧巻でした。燃えさかる金閣寺が目に見えるかのようでした。
 
 しかし、破滅的な物語では決して無く、最後に主人公が「生きよう」とつぶやくように、灰の中からまた新たな命や社会の創造が生まれていく気がしました。

 金閣寺の若き学僧を演じたV6の森田剛。内面的な難しい演技を要求される配役でしたが、時に静かに時に激しく、自分の心の葛藤を見事に表現していました。特に目を見開いて空をみつめる様が素晴らしかったです。 他に中越典子、高岡蒼佑、大東駿介らが出演

2012年1月15日 (日)

映画「ロボジー」を観て

 「ハッピーフライト」以来となる久々の矢口史靖監督作品。

 今回の主人公はロボット。しかし、アシモのようなスマートなスーパーロボットではなく、いかにも古びたパーツを寄せ集めたようなポンコツ然のロボット、その名も安っぽい旅館風の「ニュー潮風」。そのロボットが大活躍と書けば、よくある映画のストーリーになってしまいますが、そこは矢口監督、ロボットの中に人間を入れてしまいました。まさに落語の話に出てきそうな物語ですが、中に入ったのは補聴器を装着したお爺さんという、ロボットと高齢者が合体し「ロボジー」に変身させたことが、この映画の可笑しさになっていました。このようなことを思いつき、真剣になってつくりあげてしまうところがまたスゴイ。
 
 お払い箱のロボット、そして家族から鼻つまみになつている一人暮らしの老人、社会から取り残された寂しいモノ同士が、一躍町の人気者になっていく姿は、おかしくもあり、切なくもあり、ばかばかしくもあり、これからリタイヤする自分にとっては身につまされる話でもありました。
 

 ロボットを操る!電機メーカーの若手社員は、制御不能のわがままじいさんロボットに手を焼きながらも、腰痛を心配したり、その力にすがったり、お年寄りをいたわる姿がそこにはありました。本当の事を言っても「認知症」と思われてしまうおじいさんは、それでも自分が役だっていることを誇らしく感じているのでした。その意味で、温かく優しい映画になっていたと思います。

 ロボジー役のミッキーカーチス、まだまだお元気そうですね。芸名も五十嵐信次郎と名のなれて、ますますご活躍されそうです。ロボット開発社員役の濱田岳。まじめたけど気の弱そうな雰囲気がよく出ていました。ロボットおたくの女子大生役の、吉高由里子。そのキャピキャピ感がとても素敵でした。

2012年1月14日 (土)

「90ミニッツ」 大阪公演 14日 昼の部を観て

 三谷幸喜感謝祭の最後をしめくくる舞台、「90ミニッツ」を観てきました。演じるのは、西村雅彦、近藤芳正の二人です。名画「ラヂオの時間」で共演し、コミカルなバイプレーヤー振りを発揮した二人ですが、ほとんど笑いの入る隙間もないほどのシリアスな内容で、向き合ってセリフを闘い合わせる舞台になっていました。

 毎回、新たな手法に挑戦する三谷さんですが、今回は持ち味のコメディをほぼ封印し、エホバの証人の輸血拒否事件をモデルにして、自己決定権と人命尊重の医療行為のせめぎあいを凝った趣向や伏線を用意することなく、ただ生のままに葛藤させる、そんな新たな仕掛けを用意した作品作りになっていました。しかも、命が助かる時間制限の90分が、進行するリアルタイムの90分となって、まさに舞台も客席も息を飲むような、緊張感あふれる時間を共有していくことになります。

 輸血拒否の立場から、交通事故で重傷を負った息子の手術の同意書にサインしない父親を、手術をすれば子どもの命は助かると、なんとかサインするよう説得を試みる医師。観ている方も最初は、医師の言う通りサインするのは当然であって、都合のいい理屈をこねる父親になんとも言えない反感や苛立ちを覚えていきます。

 しかし、「承諾書」とはとどのつまり、医師のリスクからの責任逃れのためでしかない、という父親からの反論があって、観ている自分の心にも波風が立っていきます。今度は、承諾書無しの手術を要求し医師を説得する父親、裁判を恐れてそれを拒否する医師、と攻守が逆転していきます。このあたりの構成はさすが三谷幸喜です。

 両者がそれぞれの天秤にどのような重りを載せるかで、形勢が変わっていくことがよくわかりました。父親の信念、信者?からの風あたり、そして息子への愛情。病院の責任、個人的な都合、そして医師としての良心。

 何を大事にして生きていくかは、それぞれ違っています。それはそれでいい。しかし、それらがぶつかり合った場合に何を優先させるのか、この舞台のようにじっくり話し合わないといけないのだろうと思いました。

 重いテーマでしたが、見終わってほっとして、人間は信じるにあたいするものだと温かい気持ちになれたのも事実です。舞台中央に流れおちる一筋の水が人の命のつながりのようにも思えました

2012年1月 8日 (日)

ミュージカル「ア・ソング・フォー・ユー」 7日 兵庫公演を観て

 いつもと変わらない正月の日々が過ぎていきましたが、それが幸せなことだとつくづくと思う歳になったような気がします。今年、観劇初めになったミュージカル「ア・ソング・フォー・ユー」は、変わりゆく自分や人の心に寂しさを覚えながら、変わらない大切なものを「カーペンターズ」の歌に託して、感じていたいと願う大人たちの物語です。

 舞台は70年代の横田基地近くにある米兵相手のライブハウス。60年代の激しかった政治の季節も、あさま山荘事件をして終焉せしめられ、ベトナム戦争の終結で反戦運動も影を薄くしていきました。若者たちはエネルギーの向け先に葛藤していた時代であったと思います。そんなときに現れたのが「カーペンターズ」。その歌は、本当に世界を変えられると信じて闘い、挫折し傷ついていった若者の心を優しく包みこんでいったのです。

 ステージさながらに、たくさんのカーペンターズの楽曲が披露されていきました。『Yesterday Once More』『Top of World』『Close to You』『A Song for You』などなど、どの曲も思わず一緒に口ずさみたくなるほど懐かしく、 心に染みいりました。

 「幸せとは、居場所のあることだとカーペンターズは歌っている」「カーペンターズの歌は戦争とは対極の世界にある」というセリフがありました。確かに声高く戦争反対と歌う歌では決してなく、砂糖菓子のように甘ったるいものかもしれません。しかし、
人を愛し仲間に寄り添い、過去を懐かしみ今を明るく生きていく、そんなメッセージが歌から十分伝わってくるのです。こんな時代だからこそ、心がひとつになれるようカーペンターズの歌がもっと歌われてもいいように思うのですが。

 学生運動に敗れ屈折した気持ちを抱えながら、カーペンターズの歌で愛や平和をアメリカ兵に伝えようとした翔子を演じた春野寿美礼。相手役の川平慈英の怪演に戸惑われてしまうところもありましたが、やはりタカラジェンヌ、スレンダーな身体から発せられる歌声はとても素晴らしく美しいものでした。松本紀保、吉沢梨絵と3人によるコーラスもきらびやかで心に残りました。アメリカンクラッカーやハッピーバードなど懐かしいアイテムも登場して、50代にとってはたまらない舞台になりました。

2011年12月29日 (木)

朝日新聞「沖縄40年 変わらぬ思い 1972年本土派遣の中学生たち」を読んで

 今日の朝日新聞の朝刊に掲載された、「1972年 本土派遣の中学生たち」という記事http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000111112280001を見つけ、40年前の記憶が甦ってきました。

 大阪で万博があった1970年、僕は大阪市内にある中学校の3年生で、生徒会の役員をしていました。その時ちょうど記事にあるような、沖縄から来た中学生の豆記者を迎えたことがあるのです。

 当時沖縄は本土復帰前で、4月28日の「沖縄デー」ではみんなで沖縄にある米軍基地の地図を模造紙に描いて、沖縄の返還を求める学習をしていました。沖縄から来た中学生は、見るからに日焼けした元気そうな顔に、白い歯がとても印象的でした。

 しかしその時彼らから聞いた話は、沖縄の悲しい現実でした。夜歩いていると米兵が追いかけてきて、とても怖い思いしたという女子中学生。給食はアメリカから与えられていて、パンを包んだ紙には握手しあう手が画かれてあり、感謝することを押しつけるようなその感じがとても不愉快だと話した男子中学生。

 僕はただただ黙って聞いているだけでしたが、同じ中学生でありながら本土の自分たちとのあまりもの差に、いたたまれない気分になりました。そして、沖縄が日本に一刻も早く返還され、平和で幸せな暮らしができるように願わざるを得ませんでした。
 
 その後、沖縄に帰るという一団を大阪駅まで、見送りにいきました。最後に僕が荷物を持ってあげていた女子と、列車の窓越しに握手をして別れました。その女子は浦添市立浦添中学校2年生の玉城ルリ子さんという人で、その後も何度か文通したこともあるのですが、元気にされているのでしょうか。
 

 今でも沖縄から中学生の豆記者交歓が行われていることを始めて知りました。しかし、あれから40年もたつというのに、沖縄は依然と移設問題で揺れる「基地の島」であり、あのとき願った平和と幸福な生活はいまだに実現されていません。沖縄から来る中学生が心から笑顔で、本土の中学生と交流できるのはいつの日のことでしょか。

2011年12月25日 (日)

第三舞台「深呼吸する惑星」 24日 大阪公演 を観て

 第三舞台という劇団は知らなかったのですが、10年の封印解除&解散公演ということがセンセーショナルに思えて「深呼吸する惑星」を観てきました。

 かつてから人気のある劇団であることは、観客の年齢層の高さにも表れていたし、劇中の次におこるであろうアクションへの期待をこめた笑いは、きっと「追っかけ」をされている方が多いことによるものと思いました。主演の筧利夫さん以外、他の劇団員の方々はあまり見覚えがなかったのですが、ベテランの俳優さんばかりで確かに息のあった演技は見応えがありました。

 ツボを押さえた笑い、身体を張ったギャグ、矢継ぎ早のセリフ、そしてシンクロナイズされたダンスなどどれをとっても洗練されていて、十二分に楽しませて頂きました。それからなんといっても、合計いくつの場面があったのかと思うほどのスピーディな展開。最初は戸惑いましたが、小さな出来事の積み重ねで、一人の人間が持つ様々な姿を見て取ることが出来たように思います。
 
 ストーリーの方はSFで、地球連邦に支配された星や宇宙人などが登場しますが、それ以上に空想科学的なことはほとんどなくて、現在を生きる人間の社会や心理を表しているようでした。歳だけ重ね大人になりきれない大人たち、地球人に都合得よく支配される星の姿は、沖縄やイラクのことを思い浮かべてしまいました。また、人が持つ心の痛みにどれだけより添えられるか、を考えさせられたという意味では、東北大震災にも通じ、「頑張れ」「立ち上がれ」というかけ声だけでは何も変わらない、ということに気付かされたようにも思います。
 
 終演後、「50歳代の人たちが楽しめる劇だったね」という話し声が聞こえてきましたが、「チンドン屋」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」とか、確かに懐かしかったです。ロビーで見かけた、鴻上尚史さんありがとう御座いました。

2011年12月23日 (金)

映画「『聯合艦隊司令長官山本五十六」を観て

 開戦70周年記念映画。

 

 「この5年間で首相が9人も変わった」、「この閉塞した状況を打破するためになんとかしなければならない」と言われれば、どこかで聞いたことのある言葉ですが、これらはこの映画で語られたセリフの一部です。そして政治も経済も息詰まると、勇ましいことを言う者に国民の賛同が集まりやすくなります。「戦争をすれば景気が良くなる」「日本の進出を押さえつけているアメリカを打破しろ」「バスに乗り遅れるな」などという高揚した気分で、日本は三国同盟を結び、無謀なアメリカとの戦争を始めてしまいました。新聞も国民をあおる役割を果たしたこともよく描かれていました。

 不戦海軍の思想を抱き、三国同盟に反対し対米開戦を避けようと尽力した山本五十六が、連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃の指揮をとることになるとは、皮肉な運命と言わざるを得ません。それが困難な戦局の中にあってもあきらめず、最後まで講和で終わらせる努力をしたことは、任務に対する責任の取り方として畏怖すべきものを感じました。

 そんな彼に対して、海軍軍令部との指揮命令系統が機能していなかったことが、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の作戦失敗に終わったことにつながっていることもよくわかりました。個人の努力にかかわらず、システムに問題があると成功することがないことを如実に表しています。

  自らの信念を全うし、冷静に大局をみつめ(戦争中も将棋に没頭するのもその表れでしょうか?)、軽挙妄動な発言にはその根拠を求め、現場の指揮官を信頼し、部下に温情をかける、まさにリーダーとしてふさわしい人物だとも思えました。「自分の目と耳と心で世界を見なさい」と若者に語りかけていましたが、今日本の進路を過つことのないためにも、心しなければならない言葉だと思います。
 
 映画紹介に戦争スペクタルとありましたが、戦争場面はさほど多くはなく、人間「山本五十六」を意識した映画づくりのようでした。
 

 山本五十六役の役所広司。風格あるリーダーをさせれば、この人の右に出る人はいません。家族や幼い者へ思いやる姿も自然で、人間味を感じさせてくれました。社の方針と真実の報道のジレンマに苦しむ若い記者を玉木宏が好演していました。「源氏物語」では生き霊に、この映画でダンサーにと演技に幅の広さを見せる田中麗奈、他に柳葉敏郎、阿部寛、瀬戸朝香、香川照之らが出演。

2011年12月20日 (火)

「不退寺」から「平城宮跡」へ

 燃え立つような紅葉の季節も過ぎ、冬枯れた風景の中に奈良の古寺を訪れました。「不退寺」です。近鉄新大宮駅から北に向かい15分ほど歩き、車の行き交う国道との交差点から少し道を外れると、そこだけ時がとまったかのような感覚さえ覚える小道の先に、木々に埋もれた山門が見えてきました。

 中に入ると慎ましやかな境内が迎えてくれました。時おり射す冬の光りが温かく感じられ、そこだけ赤く点灯したような山茶花の木に宿り来るメジロの鳴き声が、楽しげに聞こえてきます。参拝客は僕一人でしたが、お寺の方に本堂に招かれ、まつられている仏像のお話をして頂きました。本尊は「聖観世音菩薩」。貝殻でつくられた胡粉という顔料が使われているそうで、そのため仏像には珍しく白色をしいます。側面にはリボンのような大きな飾り、蓮の模様の後背。白さとともにまさしくエレガントな仏様です。話に聞けば、建立した在原業平の思い人がモデルやも知れぬということで、ほほえましく思えました。

 庭の池に浮かぶ、散り果てて褐色になった紅葉に時のうつろいのもの悲しさを感じながら、おいとまさせていだきました。

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  次に向かったのは「海龍王寺」。遣唐使の航海安全を祈願した寺院ということで、今でも渡海する人たちが参拝に来られるということです。本堂には世界各地の海水が瓶につめられて祭られており、その中には津波の被害にあった宮城県女川漁港のものもありました。鎮魂の祈りは様々なところでいとなまれていることを深く感じました。

 その後は足を伸ばして、「平城宮跡」に行きました。昨年の遷都1300年記念祭には結局1度も訪れたことがなかったので、復元した「大極殿」と「遣唐使船」を是非観たいと思ってましたが、やっとその思いをかなえることができました。平日とあって人影は全くなく、広い平城宮を独り占めしたような気分になれました。特に内部の天皇が御座した高御座(たかみくら)から眺める前庭は壮観でした。しばし殿上人の気分にひたっていました。

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 最後は「平城京資料館」で、平城京をバーチャルシアターで楽しみ、遣唐使船にも乗ることができて、寒い一日だったにもかかわらず、温かい気持ちになって帰ることができました。

2011年12月18日 (日)

WOWOW「現代能楽集Ⅵ 奇ッ怪其ノ弐」を観て

 「劇団イキウメ」の前田知大の作・演出作品。地震により噴出したガスのために、壊滅した村に残された神社が舞台。そこへ亡くなった神主の息子(山内圭哉)が戻ってくるが、山田(仲村トオル)と名乗るホームレスが住みついていて、幽明の境界をさまよう不思議な霊の話を始める。しだいにその神社にはこの世ならぬ者たちが漂っていることに気付いていく。そして・・・。
 
 四角にしつらえた能舞台のような社(やしろ)で、時間と空間を飛び越え、演じる者が他者に頻繁に入れ替わる中で、様々な話が紡がれていきます。それらは当たり前に暮らしているはずの日常生活には、人の死を前にすることで、舞台に空けられた穴のようなひずみが出現することを示唆していました。臓器移植、携帯電話、インターネットなど現代科学が登場しますが、人の生死はそんなものでは決して説明できない、不合理で不条理で不可知的な世界であることを物語っていきます。

 観ている者もつい、本当に自分が今生きているのか、生きていると思っているだけではないのか、とそんな気分にさせられてしまいます。逆に言えば普段我々は、知らず知らず生きていることに思い上っているだけなのかもしれません。
 

 では生きていることが確かになるにはどうすれば良いか。それは死者と向き合うことであると作者は言っているように思えました。死んでいった者の思いや生きていた証を受けとめることが、彼らの魂を鎮め、そして今生きている自らの魂を顕らかにすることにつながるのではないかと。

 仲村トオルが落ち着いた余裕のある演技で、死者と現世をつなぐ不思議な世界のナビゲーター役をうまくつとめていました。

2011年12月11日 (日)

映画「源氏物語 千年の謎」を観て

 観るまでは絢爛豪華な王朝絵巻の映画と思い込んでいましたが、それは男女の浮かれたラブストーリーなどでは決してなく、それはおぞましさも感じられるような人間の業を描いた作品でした。

 「源氏物語」を読んだことがないので、原作と映画を比較できないのですが、作者の紫式部が登場し、副題に「千年の謎」とあるように、紫式部がどのような情念でこの物語を書いたのかが、映画のテーマになっていました。それを表現するために現実の貴族社会と物語のバーチャルリアリテイが重なりあい、面白い構成になっています。

 道ならぬ藤原道長との恋が彼女の心に修羅の世界をひきおこし、その投影されたものが光源氏とそして彼にかかわる姫君たちの苦難の恋になるというものです。確かにお気楽なプレイボーイの話ではないということはよくわかりました。母の愛を知らず、義母・藤壺へのなせぬ思いが、女性遍歴を重ね続ける源氏の君の幼児的な性愛になるのだと。

 プライド、嫉妬、熱情、様々な女性の深い心理を暴く恐ろしさもありましたが、特に六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が生き霊となって、夕顔と葵の上を呪い殺す場面は、ホラー映画さながらでした。ただそこに安倍晴明が現実世界から「侵入」してくるのはご愛敬ということでしょうか。

 恋に落ちる者のほとばしるほどの歓喜と、地獄のような苦しみ、妬み、このドロドロさはいつの時代でも、第三者に興味をひきおこさせるようですね。決して純愛物語ではない源氏物語を再認識させられたような映画でもありました。

 衣装やセットなど細かいところまでこだわり、平安時代の雰囲気をよく醸しだしてその美しさも見応えがありました。

 美しい者の宿命として、女性に恋続ける光源氏の姿を生田斗真が清々しい演技で魅せてくれました。道長役の東山紀之。権力者としての風格と、女心に波風をたてる風情を兼ね持つ人物を好演していました。紫式部役の中谷美紀。映画やドラマで紫式部を観るのは初めてのような気がしますが、落ち着いた態度でそれらしい気品を感じました。六条御息所役で熱演した田中麗奈、この映画のある意味主役でした。他に窪塚洋介、真木よう子、多部未華子、東儀秀樹らが出演。

2011年12月 4日 (日)

映画「RAILWAYS  愛を伝えられない大人たちへ」を観て

 35年間無事故・無違反で仕事には何のほころびもなかった地方鉄道の運転手が、定年退職を目前にして、家庭で妻との関係にほころびをきたしてしまいます。

 前作のRAILWAYS1では、49歳にして電車の運転手になる夢を追い求めた男の物語でしたが、今回は仕事を果たし終えた夫と、これを機会に新たな生き甲斐を求めようとする妻とのせめぎあいを描いています。

 退職を契機に熟年離婚にいたってしまう夫婦があることは、周知の通りですが、この作品もその問題を象徴的に描いているように思えました。問題は妻が自分と同じ気持ちであるという夫の思い込みにあるようです。

 退職すれば、妻の慰労をかねてゆっくり旅行でもと、自分の思いだけでことを進めてしまう夫に対し、仕事がある間はサポートすることが妻の努めと耐えてきても、これからは私の人生好きにさせてもらいたいという妻の本音との摩擦です。夫はこれまで生活の糧を培ってきたというプライドから、自分の思い通りの生活を退職後も続けられるであろう、という「幻想」を抱いているのに対し、自分の時間をようやく持てた妻にはそんな夫の勝手は許されないのです。

 それ故に妻の思いにようやく夫が気付いた時、もう一度夫婦の絆をとりもどすことができたのでした。
 

 「これからが長いぞ」というセリフがありましたが、高齢化社会になって男女ともに「生き直し」の考えを持たないといけないようですね。もう一度、自分を活かす新たな「仕事」を求めて人生をリニューアルさせるのです。そのためには、退職してから考えるのでは遅い。自分のやりたいことは何か、自分らしく生きるとは何かを夫婦でよく話し合うことが大切ではないでしょうか。
 
 ベテラン運転手として、プロとして、伝えるべきことはしっかり若い後輩たちに伝え、そして迎えた退職の日の最後の運転。同僚と妻に見送られて、様々な思いが去来したことでしょう。自分も同年配の職業人として、本当に涙を流さずにはおれませんでした。 僕も最後までなすべきことをしっかりと果たし、次の世代にバトンを渡そうと思いました。

 白い立山を背景に走る富山電鉄の電車の姿がとても美しかったです。 

 あの青年スターであった三浦友和が、こんな定年退職の主人公になるのですから、時代は変わりましたね。ひきつがれる役の中尾明慶。ちょっと頼りないけど、夢を追い求める若者の姿に好感を持てました。妻役の余貴美子。そのパワフルさに感服しました。久し振りにお会いした仁科亜季子。危なさを感じさせる演技にドキドキしました。他に小池栄子、塚本高史、吉行和子らが出演。

2011年12月 3日 (土)

 「ヴィラ・グランテ青山 ~返り討ちの日曜日~」 3日 大阪公演 昼の部を観て

 人間の気持ちや考えは様々です。そんな人間の心の溝を埋め、つなげていくために、文学や演劇があるのではないか。これはこの舞台を観てまず思ったことです。

 登場人物たちの会話はうまくかみあいません。それぞれの経歴も人物同士のかかわりも、観ている者には断片的にしかわからず、勝手な想像に頼るしかありません。そのために理解しようとしているのに、理解できない不安が心の中にわだかまっていきます。しかし、それは実は今の社会に生きる我々の不安であることに気付かされていくのです。娘とその元カレのいさかいを仲裁しようとしたがために、逆にナイフで切りつけられた父親。過去の仕事の成功や幸せだった生活を思い返すだけの男たち。かなえられない夢をまだ見続けていたいと思っている者たち。閉塞した状況の中で、それぞれが互いにわけのわからないまま、もがき苦しみ、疲れ、傷つき傷つけ合って生きているのです。

 ようやく見えてきた光も幻想でしかありませんでした。がんばればどうにでもなるという時代は終わり、信じられるのは自分の肉体だけしかないという中、先の見えない言いようのない不安や寂しさが、いつ来るともわからない見えない元カレに象徴されているようでした。事実、物理的に落下してくる人間も描かれて、ある意味度肝を抜かれましたが。
 
 

 結局不安の中味は人それぞれ違っていても、この時代、その不安をこうしてみんなが共に感じるということに意味があり、あらたな人と人のつながりが生まれてくるようにも思えました。

  そんな思いとは裏腹に、舞台はいつも大きな笑いに包まれていました。それは生瀬勝久と竹中直人の可笑しさに他なりません。二人の言葉のバトルは見ものでしたし、状況によって自在に変わる表情は、さすがとしか言いようがありません。それだけでも観るべき価値は十分にありました。今回初舞台となった山田優。さすがモデルだけある魅力にとどまらず、歌も披露しそのマルチぶりが印象的でした。谷村美月、松下洸平の初々しい演技も良かったです。田口浩正もいい味を出していました。

2011年11月28日 (月)

「紅葉を求めて万葉の旅」 その3 錦の里・「正暦寺」

 紅葉を求めて万葉の旅、最後は「正暦寺」を訪れました。

 曇り空の平日ということで、それほど人は多くないだろうと思っていましたが、恐るべし紅葉シーズンの正暦寺。近鉄奈良駅のバスターミナルから正暦寺行きの臨時バスが出るというので、ゆっくり乗り場に向かうとすでにそこは長蛇の列。

 ほどなくしてバスが来たと思ったら、なんと小型バスで、始発のJR奈良駅からの乗客ですでに満員。前の方に並んでいた人は、なんとかぎゅうぎゅうになりながらも乗り込まれましたが、僕を始めあとの客はほとんど積み残されてしまいました。どうなることかと気をもんでいたら、また臨時の臨時バス!が出るということになり、30分待ってようやく来たバスに乗り込めました。

 バスが国道をそれると、山に向かってどんどん細い道になり、対向もままならない先に目的地の「正暦寺」がありました。バスを降りると谷川にそった道をしばらく登っていきます。山の空気がひんやりとからだに感じられ、冬枯れの前の一瞬の木々の輝きがそこにはありました。

 まず向かったところが、福寿院客殿。狩野派の絵師によって描かれた欄間の先に見える庭は、それはまさに柱の額におさまった屏風絵のような美しさでした。背景に深い緑に包まれた山々があり、その前景に龍のようにうねる古木の松、そして燃え立つような紅葉。これは確かに苦労してでも来るべき値打ちのある風景だと思いました。

 名画を満喫したような気分で、名残惜しくも福寿院を辞したあとは、次に本殿を訪れました。石段を登り詰めたところに立つ本殿は、名付けられた「錦の里」の主人として厳かに佇んでおられるようでした。「正暦寺」、また何度も訪れてみたいお寺になりました。

今回、紅葉を求めて万葉の旅で訪れた三つの寺、「長岳寺」「長谷寺」「正暦寺」、三つとも真言宗のお寺なんですね。世俗を離れ修行のため籠もる山にある寺なので、紅葉の美しい場所になるのでしょうか。

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2011年11月27日 (日)

祝・ゆるキャラグランプリ2011 「素敵なくまモンになりまして」 

 今年の春に開通したての九州新幹線で、熊本を旅行して以来ファンとなり、心から応援していた「くまモン」がついに「ゆるキャラグランプリ2011」で、見事にグランプリの座を勝ち取ることができました。これで毎日あきらめずに投票し続けたかいがありました。おめでとう、くまモン。きっと熊本県民を始め、全国のくまモンファンも大喜びのことと思います。愛媛の「バリィさん」とのデッドヒート、突如表れた西国分寺の「にしこくん」の不正投票問題など数々の苦難を乗り越えて、2位に4万票差以上をつけての優勝は、涙さえも禁じえません。たかがゆるキャラ、されどゆるキャラ、携帯ストラップにつり捧げた君の笑顔を見るたびに、遠く熊本を思い、なんど励まされたことか。

 

 

 グランプリのお祝いをかねて、僕が作ったくまモン主演の演劇台本を贈りたいと思います。

 

                   素敵な「くまモン」になりまして
                  

 

   幕が開く
大阪のとある中学校
女子中学生4人が、文化祭で発表するダンスの練習を体育館でしている
AKB48の「ヘビーローテーション」がかかっている

 4人「アイウォンチュー、アイラビュー、アイニーズュー、頭の中 ガンガン 鳴ってる  MUSIC ヘビーローテーション」

 

アサミ「みんな、ちょっとストップ」
音楽止まる

 ハルカ「なんやのアサミ、これからノリノリになってくるところやのに」

 アサミ「ごめん、ごめんハルカ。ちょっと変やねん」

ミドリ「変て、ダンスが合ってないってこと」

アサミ「ちがう、ちがう。ダンスはバッチリやねんけど」

ユキエ「ごめん、やっぱりうちが歌はずしてるんやろ」

アサミ「うん、それもあるねんけど」

ユキエ「そうなんや・・・。みんなに迷惑かけるから、うち、もう口パクにするわ」

ハルカ「何ゆうてんの、ユキエがクチパクやったら、私なんか水面金魚のパクパクもええとこになるやん」
       ハルカ、金魚の物まねでパクパク口をあける

 

アサミ「もう違うって。歌はこれから練習したらすむことや。私が言いたいのはこのCDから変な声が聞こえてくる気がするねん」

 ミドリ「やめてや、アサミ、そんな心霊写真みたいなこと言うの」

アサミ「ミドリ、あんたら、聞こえへんか。うちだけかな」

ハルカ「そんなん聞こえへんよ、なあ」

ミドリ「全然。そんなん、気のせいやって。アサミ、最近疲れ気味やし」

 アサミ「そう言われたら、そうかもしれんな」

ミドリ「文化祭、明日やで。もう時間ないねんから、しょうもないことゆうてんと早よ練習しよう」

 アサミ「そうやな、忘れとった。よし、もう一回頭からいくで」
       音楽がなり始めて、4人踊り出す
4人「アイウォンチュー、アイラビュー、アイニーズュー、頭の中 ガンガン 鳴ってる   MUSIC ヘビーローテーション」
間奏がしだいに小さくなって別の声が大きくなって聞こえてくる

 男の声「あんたがた どこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ くまもとどこさ せんばさ せんばやまには くまそがおってさ、それをりょうしが てっぽでうってさ」

 ユキエ「キャー」

 ハルカ「何、今の声」

 ミドリ「確かに、ウチも聞いた」

アサミ「やっぱり、空耳でも気のせいでもなかったんや」

 ハルカ「ということは、今の声はユ、ウ、 レ、イっていうこと」
      4人、思わず「きゃー」 と抱き合う
      そこへまた声が聞こえる  悲しそうな歌声

 「あんたがた どこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ くまもとどこさ せんばさ せんばやまには くまそがおってさ、それをりょうしが てっぽでうってさ にてさ やいてさ」
 途中で上手から毛がぼうぼうの熊のようなクマソが、歌をうたいながら登場

 クマソ「みなさん、こんにちは」
4人「キャー、でたぁーお化けぇ」
4人、腰を抜かさんばかりに、下手へ走って去ろうとする

 クマソ「みんなお願い、逃げないで、僕お化けじゃないから」
   ハルカ、そうっと振り返りながら

 ハルカ「お化けじゃなかったら、思いっきり妖怪、ゾンビ、はたまた宇宙人?」

 クマソ「妖怪でもないし、ゾンビ、はたまた宇宙人でも決してありません」

ミドリ「あっわかった、あんた3組の三谷君だ。文化祭に出る、出ると聞いてたけど、そんなカッコウで出るなんて。もう、驚かさないでよ」

 クマソ「三谷君って、誰?知らないよ」

 ミドリ「三谷君じゃないなら、アサミ、こいつきっと不審者よ。早く職員室へ行って 先生呼びに行きましょう」

 アサミ「ミドリ、ちょっと待って。この、人かなんかわからないけど、悪者ではない気がする」

ハルカ「何言ってるの、新手の着ぐるみ不審者に決まってるって。早くしないとどんな目にあうかわかったものじゃない」
        その時、クマソが突然号泣しだす。

 ユキエ「うわぁ、泣き出したよ」
       ユキエ、クマソのそばに近寄ろうとする

 ミドリ「だめよ、そんな手にのつちゃだめ。弱みをみせておいて、襲いかかるのがこいつらの手なんだから」
       ユキエ思わず、引き下がる
       悲しい鳴き声がいっそう大きくなる

 アサミ「もう泣かないで、あなたはだれなの?」

ミドリ「アサミ、もういいから、ほっといてにげましょう」

アサミ「どこから来たの、名前は」

クマソ、ようやく顔をあげ泣きじゃくりながら
クマソ「ボクはクマソ、熊本からきました。みんなにお願いがあるんです」

 ハルカ「クマソに、熊本。クマばっかりやな。どうりでそんなクマみたいな着ぐるみを着てるやな」

クマソ「いえいえ、着ぐるみではありません。これはボクの地毛ですから」
       クマソ、自分の毛をひっぱって痛そうにする

アサミ「それじゃ、いったいあなたは」

クマソ「ぼくは、クマの化身なんです」

ミドリ「化身って、やっぱりお化けのたぐいやないの」

クマソ「ボクは5千年まえから、クマの魂となってずっと熊本の船場山に住んでいるんです」

ミドリ「ようわからへんけど、あんたはええもんなん、わるもんなん?」

アサミ「そんな聞き方したら失礼でしょ。ところであなたは、生き物なの化け物なの」

ミドリ「そっちの方がきついって」

クマソ「生き物というより、自然の霊のようなものです。といっても幽霊ではありませんよ。それどころか、ずっと熊本のクマたちを守り続けてきたのですから」

ハルカ「そうなんや。そしたらええ人なんや」

ミドリ「不審者やなんて言って、さっきはごめんなさい」

クマソ「いえいえ、こんなかっこですから、仕方がありません」

ユキエ「霊になるんやったら、クマのプーさんとかテデイベアとか、いくらでも可愛くなれたんとちゃうかな」

クマソ「それが、そうもいかなくて、5千年ずっとこのかっこうで。ときどき猟師にみつかって、鉄砲で撃たれることも」
       クマソ、うなだれる

 ハルカ「わかった。それがさっきの歌なのね。どうりで悲しそうな歌だと思ったわ」

アサミ「確か、クマソさん、さっきお願いがあるとか言ってなかった?」

 クマソ「よくぞ聞いて下さいました。ちょっとボクの話を聞いてください」
                   暗転

 

                   照明がつく
                   ここは熊本の山中  真ん中に満開の大きな桜の木
                   クマA クマB  クマCが話している

 

クマA「さっき、つばめがツイッターしていきよったんじゃが」

 クマB「つばめ?、あぁスワローズか。今年はヤクルト、もうちょっとのところで優勝のがしよって惜しかったな。それから、阪神。ちょっとがっかりやな。来年は阪神ベアーズにしたらもっと強なるとおもうんじゃけどな」

クマA「あのななんの話や。プロ野球の話と違うって。さっき伝令のつばめがツィッターしてくれたんや」

クマB「何、そのツイッターというのは」

クマC「今、人間界ではやっているつぶやきのことや。おまえ知らんのか。野多首相もやってるらしい。もっとも『こんにちは 野多昭彦です』で止まってるらしいけど」クマB「それで、つばめは何と」

クマA「それが大変なんじゃ」

クマB「また、猟師がくるのか」

クマA「猟師どころの話じゃないわ」

クマC「どうしたんじゃ」

クマA「それがやな」
      そこへ上手からクマソ登場

 クマソ「騒がしいけど、どうかしましたか?」

 クマA「ああ、これはクマソ様、ご機嫌うるわしゅう」

 クマソ「あいさつはもういいから、何があったか話してごらん」

 クマA「それがつばめ、ヤクルトとは違いますぞ。」

 クマソ「わかっております。我が伝令ツバメのスワちゃんですね」

 クマA「スワちゃん?、そんな名前でしたか。そのスワちゃんがさっきやってきてささやいてくれました」

 クマソ「ほう、スワちゃんが、ツイッターをしてくれたのか。そしてなんと」

 クマA「それが、大変なことで」

 クマソ「大変はいいから、早く話してください」

クマA「はい、スワ、いやあやつの話では人間たちが、この船場山を削って、とんでもなく速い乗り物を走らせるというのです」

クマソ「速い乗り物?」

クマA「人間たちの話では、九州新幹線といものらしいです」

クマソ「新幹線、知っています。あの時速300キロで走る鉄の箱のことですね。とうとうここまで来てしまいましたか」

 クマA「そうなんでさぁ。ついにそれがこの九州を縦断することになって、ここ船場山が通り道に選ばれたそうなんです」

クマC「それで、もしそれが作られたらワイらどうなるんで」

クマソ「たぶんこれまでの人間のやり方から考えると、このあたりの山に穴をあけて、そこに鉄の道を通すのだと思います。そうなったら」

 クマB「そうなったら」

 クマソ「私たちは住みかを失ってしまいます。今のうちに里の近くに移り住むしかないでしょうね」

 クマC「そんなのワイはいやだ。ここを出るのはいやだ」
       クマC泣き出す

 クマソ「ボクも、ここを出たくはありません。しかし、人間の力には逆らえません。早くしないと人間がここに来てしまう」

 クマA「クマソ様、人間がきたら追い返してしまいましょうや。この山は自分たちで守りましょうや」

 クマB「俺も戦う」

 クマC「こうなっちたらワイも」

 クマソ「あなた方の気持ちはよーくわかります。でも、今は何千年も続いた熊一族の命を守ることが大切です。ここは、耐えてボクの言うことを聞いてください」
        クマたち泣き出す

 クマA「クマソ様、われわれをいつもお守り下さりありがとうございます。なぁ、みんな、ここはご先祖様や子孫のためにも山を下りようじゃないか」

クマソ「よくぞ言ってくれました。ではさっそく引っ越しの準備をしましょう。」

クマB「クマソ様、この我らの大サクラはどうしましょう」

クマソ「このままほっといても、人間に切られてしまうだけです。いっそのこと我らの手でほうむってやりましょう」

クマA「クマソ様、これだけの花を咲かせたサクラがあまりにもかわいそう。             せめて、花が散るまで待ってやりましょう」

 クマソ「いや、そんな時間はありません。(考えてから)そうだ、この枝を1本折って、持って行きましょう。どこかのサクラの木に接ぎ木してやったら、このサクラの花の魂は生きのびられるかもしれません」

 クマA「わかりゃした。それではこのあたりの太いところを折って、持って行きやしょう」

クマA、丁寧に枝を折って懐にいれる

クマソ「じゃあ、みんな出発の用意にかかろう。スパちゃんも一緒にな」
        クマソ、空をみあげてつばめを呼ぶ
    全員、下手へと去る

 

        暗転

 

        照明がつく
        ここは町里にちかい山のふもと

 

クマC「ずいぶん下まで、降りてきちまったな」

クマB「オラ、腹が減った」

クマA「クマソ様、食べ物はどうしましょう」

クマC「いっそのこと、人間の畑からかっぱらってやろうぜ」

クマB「それはいい、グッドアイデア。こうなったのも人間のせいだからな」

クマソ「ダメ、それはダメです。みつかったら、殺されてしまいます。食料はまた山に入ってとりにいきましょう」

クマB「えー、動いたらまた腹減るよ」

クマソ「冬眠するまでの辛抱です。それまで、なんとか生きのびましょう」
        その時上手から武器を持った村人登場A B  C D

 村人A「いたいた、今度こそ生け捕りにしてやろうぜ」

 村人B「いつも、畑を荒らしやがって、このクマのガキめ」

 村人C「おいおい、へんなクマがいるぜ。あいつはなんだい」

 村人D「えらい毛むくじゃらの、ムックみてーなクマだな。かまうことなんかいらねぇから、逃げねぇうちにやってしまおうぜ」

 全員「おう」
      村人、クマたちに襲いかかる
      クマたち必死で抵抗し、逃げ回る
      しばらく乱闘シーン

 

       暗転
       照明がつく
       洞くつの中
      怪我をしたクマたちが横たわっている

クマC「腹減ったよー、痛いよー、腹減ったよー、痛いよー」

クマB「しかし、人間たち、とんでも無いことしゃがって」

 クマA「くそっー、なんで俺たちだけがこんなひどい目に遭わないと行けないかですかい」

クマB「こんなことになるんだったら、いっそ船場山で人間たちと戦って、死ぬ方がまだましというもんだ」

 クマソ「みんなすまない。ボクに力がないばかりに、こんなひどい目にあわせてしまって」       

クマソ泣き出す

 クマA「クマソ様のせいでは決してありません。みんなあの憎い人間たちのせいで」

 クマC「その通りでさぁ。もうワイは人間を許しませんで。痛てて」

 クマA「おい、だいじょうぶか。クマソ様、いったいこれからどうします?」

 クマソ「そうだね。しばらく、この洞くつで身をかくして、夜になったら交代で食料を探すことにしよう」
 

クマB「しかし、それもいつまで持つか。そのうち、人間たちに見つかって、クマ鍋の具にされるのがオチで」

 クマC「クマ鍋、えーっ。まだ死にたくないよ」

 クマソ「だいじょうぶ。ボクに考えがある」

 クマA「考え?」

 クマソ「人間たちと共に生きる方法を考えるんです」

 クマB、吹き出して「人間と共に生きる、寝言を言っちゃこまりますよ。いくらクマソ様といえども、その言葉はいただけませんや」

 クマA「これ、何をいうか。クマソ様に失礼じゃぞ」

 クマB「住みかを追われ、これだけ痛めつけられて、これでもまだ人間と仲良くやれというですかい。笑い死にしそうですわい」

 クマA「これ、もうやめんか」

 クマソ「爺、もういい」

 クマA「爺って、お言葉ですが、まだクマ盛りの年頃で、決して爺さんではありませんの念のために」
 

クマソ「これは失礼。そのもの言いが、どうも爺ぽくって。」

 クマA「ふん、それで、どうやって人間と仲良くするのですか」

クマソ「クマという動物は決して、人間には嫌われてはいない。その証拠にクマの可愛いキャラクターは町にあふれています。小さい子どものいる家では、必ずひとつはクマさんのぬいぐるみか、クマさんの絵本があるはず。」

 クマC「そういえば、そうかも」

 クマソ「クマは人間に愛されているのです。しかし、それはファンタジーの世界であって、現実には、このように人間とぶつかってばかり。それで」
        間

 クマソ「それで、現実の世界に愛されるクマになって、人間の前に登場してやるんですよ」

 クマA「それはわかりますが、どうやって?」

 クマソ「ボクが、ユルキャラになって人間の前に現れてやるんです」
クマたち全員吹き出す

 クマB「そのかっこうで」

 クマC「ゆるキャラになる」

 クマA「それは、あまりにも身の程知らずな、いや無謀なお考えで」

 クマソ「確かにこのままでは、自分でも無理があると思っています。それで少しイメージチェンジをはかろうかと」

 クマA「イメージチェンジ、それはとても無理かと」

 クマソ「いや、やってみないとわかりませんよ。奈良のせんと君の例もあるし、やってみたら以外と受けるかもしれません」

 クマB「とうやって、イメチェンするんで」

 クマソ「それには、人間の力を借りようと思います。大阪にいけば、世話焼きのおばちゃんたちがたくさんいるらしいから、一度、その大阪のおばちちゃんたちに相談してみようと」

 クマC「友達が大阪に住んでるんで、知ってるけど、大阪のおばちゃんにかかったら、クマじゃなくて、ヒョウ柄にされてしまいますぜ」

 クマソ「ヒョウ柄はいけませんね。そうしたらいっそのこと、おばちゃん予備軍の女子中学生に頼んでみたら、もっと可愛いキャラにしてくれるかもしれません」

 クマA「それはそうかもしれませんが、大阪の女子中学生がすんなりクマソ様に会ってくれるでしょうか。不審者やいうて、撃ち殺されるかもしれませんよ」

 クマソ「もうこうなったら、命懸けでやるしかありません。どうかみんな、ボクを信じて 待っていてください」

全員「クマソさまー」
     クマソにすがりつく
                暗転
                もとの大阪の中学校にもどる

 

ハルカ「そうやったんや」

 ミドリ「あんまり長い話やったんで、自分のセリフ忘れそうになっちたわ」

 ユキエ「クマソさんたち、かわいそう」

 アサミ「話はよくわかりました。それで私たちにお願いというのは」

クマソ「はい、人間と仲良くなるために、ボクを愛されるゆるキャラにしてほしいんです」

 ミドリ「うーん、つまりクマソさんをプロデュースしたらええわけやね」

クマソ「そっ、そうです。なんとか、よろしくお願いします」

ハルカ「といわれても、これではどう見てもエイリアンやしな」

 アサミ「よし、みんなやろっ。これもクマ助け。人間とクマが仲良く生きていくために、うちらにできることやってみようよ」

 ミドリ「うん、わかった。おもしろそうやし、やってみよ。大阪の女子中生のパワーをみせてやろうや」

 ユキエ「私もやる」

 アサミ「そしたら、話は決まった。全員でクマソさん、ゆるキャラ化作戦開始や」

 ミドリ「まずは手始めに、イメージ作りやな」

 アサミ「よし、みんなで可愛いキャラを考えてみよう」

 クマソ「ありがとう、ありがとう。よろしくお願いします」

         4人頭をつきあわせて、なにやら相談して絵を描き始める
         その間明るいBGM

 ミドリ「じゃーん、できたこれでどう」
        ミドリ画用紙を見せる
         目がやたら大きい少女漫画のようなクマの絵が書かれている

 クマソ「うーん、ボクは男の子やし、もうちょっと強そうにしてくれませんか」

 ミドリ「強そうね、みんなもう一回や」
          また書き始める
          BGM
 

ミドリ「じゃーん、注文通りできたよ」
        今度は、人を襲いそうな感じになっている

 クマソ「うーん、これでは人食い熊ですね。もう少し可愛く」

 ミドリ「可愛くね、わかった」
        また書き始める
          BGM

 ミドリ「もうこれ以上無理」
        ほっぺたが赤く、笑顔のくまになっている

 クマソ「全身が真っ黒なのが、気になるけど、でもこれでいい。みんなありがとう」

 ミドリ「熊だから、真っ黒でしょう。気に入ってくれたら、後は名前ね」

 ユキエ「クマソ君はどう」

 アサミ「ちょっとベタかな」

 ハルカ「くまゴンは、どう」

 アサミ「ちょっとイメージがちがうな」
 

ミドリ「それじゃ、くまモンがいいんじゃない。ドラえもんみたいでいけるかも」

クマソ「くまモンか、いいですね。それでいきましょう」

アサミ「次は、ヘヤーカットにメイクね。ユキエんち美容院でしょ、こっそりクマソさ     ん連れて行きましょうよ」

ユキエ「まかしといて、今日はお休みで誰もいないから、大丈夫」

クマソ「みなさん、お手柔らかにお願いします」

          暗転
          しばらくして照明

 ミドリ「くまモン、誕生。みなさん拍手でお迎えください」
ユキエにつれられてくまモンにになったクマソと登場

ミドリ「めっちゃ、可愛いって」

ハルカ「ほんまや、これやったらグッズも売れること間違いなし」

ミドリ「どう感想は? クマソさんいや、くまモン」

クマソ「なんか、自分が自分でないみたいで」

ミドリ「何言ういるの、これからはゆるキャラらしく、愛想ふりまきや」

アサミ「ちょっと歩いてみよか」

クマソ「こうですか」
        まだクマのようにのし、のしと歩く

アサミ「それではダメね。みんなに手をふりながら、時々ウィンクもして、そしてスマル」

 クマソ「えー、ウインク、できるかな」
ぎこちなく手をふり、たいそうにウィンクする

 アサミ「まぁ、最初はこれでいいか」

クマソ「みなさん、ありがとう。なんとお礼をいったらいいか」

 ハルカ「礼をいうのはまだ早いよ。熊本に帰って、待ってるクマの仲間と一緒に人間の前にでるんでしょ」
 

クマソ「そうえでした、そうでした。早く帰ってやらないと。みなさん、それではこれ     でお別れです。皆さんのことはいつまでも忘れません。そして、もし良かったら熊本に遊びに来てくださいね」

 アサミ「九州新幹線にも乗ってみたいし、みんなで遊びに行くから、その時はナビよろしく」

 クマソ「わかりました。その時はクマのえさ場から、クマの住みか、そしてクマの墓場まで案内します」

ミドリ「クマはいいから、阿蘇山とか、天草のイルカウォッチングに連れて行ってよ。」クマソ「そうでした、みなさんはクマではありませんでしたね。つい親しくなってしまって。わかりました、どこへでも案内しますよ」

ユキエ「やったー、楽しみ、いきなり団子も食べて、馬肉コロッケも食べて、タイピーエンも食べて」

ハルカ「あんた、ダイエット中ちゃうかった」

ユキエ「まぁ、そのときはその時で」

ハルカ「もう、調子ええねんから」

アサミ「それでは、クマソさん、がんばって下さいね。私たちも応援してるから。きっとうまくいくよ」

 クマソ「はい、仲間のためにゆるキャラになりきります。ボクは正直言って、人間を信じることができなくなっていました。でもみなさんのおかげで、もう一度人間を信じてみようと思うようになりました。みていてください、必ずやりとげますから。それではまた会う日まで、お元気で」

 全員「さようなら、くまモン」

あんたがた どこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ くまもとどこさ せんばさ せんば  やまには くまそがおってさ、それがかわいいくまモンになってさ 笑ってさ 歌ってさ 楽しくってさっさ 

 

      元気に歌いながら退場

 

スクリーンに祝!九州新幹線ウェーブの動画
熊本駅通過の場面で、仲良く住民に囲まれた「くまモン」の姿がアップ
くまモン、笑顔で手を振っている

 

疾走する特急さくらの動画
アップすると、船場山のサクラの枝が飾られている

 

疾走する特急つばめの動画
アップするとつばめのスパちゃんがウィンクしている

 

どんどんカメラを引いていくと、空に七色の虹がかかっている

 

              幕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

«紅葉を求めて万葉の旅 その2 初瀬・「長谷寺」

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